7.『流れず星』ぱせりんさん

痺れた一文

「バスタオルを2枚もらえない?(『流れず星』ぱせりんさん)


 『神は細部に宿る』と建築家ミース・ファン・デル・ローエは言った。ミースは規格品の鉄骨(H型鋼)とガラスを駆使して、寸法的に逃げのない工業製品的建築を確立し、後の国際様式(ガラス張りのビルヂング)の始祖となったと、わたしは思っている。一般的には、ディテールへをこだわりによって、全体が高められる。というように解釈されているこの言葉を、わたしはもう少し唯物的(ペシミスティック)にとらえている。つまり、「我々は常に、部分的にしか存在を認識できない」と。


 「バスタオルを2枚もらえない?」


という「お隣の奥さん」は、登場シーンこそ、親切でやさしい人のようだったが、「流れず星」のため、「主人公」のため、を装いながら、単に厄介払いをしたいだけの自己本位な人だということが、その言動の端々に露呈してきて、読んでいて少しずつ「アレ? ヘンだぞ?」との思いを募らせていく。やがて、「流れず星がかわいそう」というポーズをとり続けている(つもりの)「隣の奥さん」が、しだいにグロテスクにすら感じられてしまう。

 主人公が終始一貫して「流れず星」に感情移入し、その行く末を心から心配していることが、この対比によって際立ってくる。

 「流れず星」という不思議でロマンティックと思われる出来事ですら、「隣の奥さん」にとっては、ただの厄介ごとでしかなかった。表札も出さず、面倒ごとさへ自分の目先から遠ざけてしまえば、あとは全く無関心。もしかしたら、隣人の主人公のことですら「流れず星」のように疎ましく思っているのではないだろうか。何が彼女をそうさせたのか? と考えずにはおられない。

 「学生時代に天文学を専攻して」おり、「流れず星」についての造詣も深く、その動向についても把握していることから、「隣の奥さん」もかつては、星空に想いをはせていたころがあったのだと思う。「流れ星」に願いをかけたこともあっただろう。

 だが今は主人公の言葉を食い気味に「そんなのただの迷信よ」と一言のもとに切り捨て、その後に「でもまあ、信じる信じないは自由だから、好きにしたら良いんじゃない?(後略)」と言い添えねばならないほど、他人とは無関係でいたいと思う人になっている。

 「そんなのただの迷信よ」と、思わず感情的になってしまった自分を取り繕うため、「流れ星への願掛け」について他人がどう思おうが自分には無関係だ、ということを念押ししたいがための付けたしだったのだと思う。

 「自由にすればいい」は「関心がないので」とか「責任を負いたくないので」いう前言を省いた形で用いられるときがもっとも厄介だ。本来「自由にすればいい」と言った側には相応の責任が生じるはずだからだ。だが、その責任をあらかじめ放棄できると「隣の奥さん」は考えている。それはかつて、同じような扱いを受けたためなのではなかっただろうか。

 星空が好きで、共に星に願いをかけた相手から、そんなのは迷信だと言われ、だから約束は無効だと突っぱねられたとき、「隣の奥さま」の中で何かが壊れた。それが、今の夫との間のことだったのか、そのことがあって、別の男を夫としたのかは書かれていないが、「隣の奥さま」は、この夜の隣の部屋のベランダに落ちてきた「流れず星」のことを、今の夫に話すことはなかっただろう。


「バスタオルを2枚もらえない?」


 という細部に、そんな「隣の奥さん」のペシミストぶりがにじみ出ていたことが、「痺れた一文」の理由だ。

以上

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