2.『輝き続ける』綿津実さん

痺れた一文。

「ひっ…」あれは胃だ。(『輝き続ける』綿津実さん)


 浦島太郎をモチーフとする、ほのぼのとしたファンタジーコメディーの中にあって、この一文はひじょうにグロテスクだ。「ひっ……」の表情は、中川翔子さんが、楳図かずおさんテイストで描いた美少女のそれを彷彿させる。

 「胃」は、スーパーアイドルであるヒトデがアサリを食べている場面に現れる。主人公が聞こえてくる素敵な歌に惹かれ、そっと襖を開けて覗いたときのことだ。美しい歌声の主が「化粧をして小綺麗な服を着たヒトデ」だったことへの驚きは竜宮城という状況によって幾らか緩和されていたが、その歌声と食事風景とのギャップを目の当たりにした主人公はさぞ慄いただろう。しかもその時ヒトデは「上機嫌で鼻歌を歌」っているのである。【あの声で蜥蜴くらうか時鳥 其角】なんて句を思い出す。

 もしこの捕食が、アイドルの裏の顔として隠されていたものであったとしたら、主人公は無事では済まないはずだ。アイドルには絶対に秘密にしておかなければならない「嘘」があるという設定は王道である。

 しかし、ヒトデはそうではなかった。我々はあらかじめ、その後の展開がホラーサスペンスにはならないということを、歌詞によって宣言されていたのである。


🎵(前略)貝はこじ開けてでも食べる/裏と表の顔、なんて言うけど/どっちの顔も私だもんね(後略)


 ヒトデには隠すべき裏などない。そういう生き方をしているからこそ、主人公はヒトデと「妙に意気投合し」、「ゆるぎなく自分に自信を持っているその姿」を「単純にカッコ」いいと思ったのである。

 

 その後もヒトデは終始かわいくかっこよく、そして優しい。

 爽やかで気持ちのよい読後感である。


 しかし、わたしは考える。


 グロテスクさはいつ消滅したのか? と。


「ひっ……」あれは胃だ。

の前文にこうある。

 と、いきなりヒトデは何かを取り出し、貝の中身を取り込んだ。


さまざまな海の生き物が、それぞれに役割をもって擬人化され、活き活きと活動するなかで、この貝(アサリ)だけが、本来の貝そのまま、ひじょうに静かに、その時を迎える。いや、観念してただ待っていたわけではなかった。ヒトデはアサリを「こじ開けている」。つまりアサリはアサリとして可能な限り抵抗していたのである。だがそんな決死の抵抗も虚しく「上機嫌で鼻歌を歌」うヒトデに食われしまう。捕食者の圧倒的優位さの前では、食われる側の抵抗など、生きがいいという程度に評価されるにすぎない。このヒトデの食事風景は、まさに食事=捕食という、普段は隠されている本質を端的に示しており、「ひっ……」あれは胃だ。というセリフは、弱肉強食の理不尽なまでの非対称性がもたらすグロテスクさを如実に表している。

 だが、その後のヒトデの立ち居振る舞いや、主人公との交流を経て、もう一度その食事風景を思い起こしたとき、それはどことなく「エレガント」に思えてはこないだろうか? 

 わたしもアイドルは好きで、アイドルたちが「牛タン」や「馬刺し」や「黒毛和牛」などを目の色を変えて食べるシーンを、目を細めてみていたりするのだが、そこに「他の生き物を殺して生きていく」という生命の業を重ねたりはしない。子羊を見て「かわいい」といった口が、ジギスカンを「おいしい」と食べたりするグルメ番組で、「かわいそう」はご法度だ。そして食べられる命に対して「かわいそう」はあまりに無責任すぎるとも思う。

 物言わぬ貝を食べ、素晴らしい歌声を響かせるヒトデは、捕食者に課せられる義務を全うしようとしているのだと思う。


 と、いうようなことを考えさせてくれたことが、「痺れた一文」の理由である。

以上。

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