1.『アパート流星群』椿あやかさん
痺れた一文。
月の傍らには一筋の流れ星が放物線を描きながらチカチカと過ぎていき、子供の頃の石切り遊びを思い出させた。(『アパート流星群』椿あやかさん)
この一文は冒頭付近にさりげなく置かれている。展開の上では、必然性のない一文だと、まず思った。
この直後の「ずうっと見て居いたいな」は、書き出しの「月が奇麗だなぁ」を受けており、その対象は「月」で「一筋の流れ星」ではない。
「月がきれいだなぁ」と「ずうっと見ていたいな」の間の描写は、主人公の蓄積した疲労感とほてりを示し、そんな「砂漠のごとき乾いた心に、その(月の)冷艶なる美しさが素直に染みわた」った。と伝えるためにある。だから「石切り遊びを思いださせ」る「一筋の流れ星」は、まったく付け足しの情景描写でしかないと思ったのである。
しかし、結末近くになり「月」の狂気的行動が明らかになると、この一文の意味が変わってきた。
「月の傍ら」の「放物線を描きながら」流れる星は、その時、どこかの窓をめがけて落ちていたのではなかったかと。
このお話は、「怪談」ではお馴染みの「繰り返し」による展開を採用しているのだが、冒頭にこの「流星」をさりげなく置いておくことで、「アパート流星群」そのものが「繰り返し」のループに閉じることを示唆しているのではないのかと。
「流星群」ではなく「一筋の流れ星」と書かれているのは、主人公の視点でとらえたからだろう。ほぼ同じ位置から次々と放たれる光を見たとき、それはあたかも、さまざまにバウンドする石切り遊びのように見えはしないだろうか?
しかも、「石切り遊び」とはまさに反復(繰り返し)による結末への跳躍ではないか!
といった妄想は、専門家の永井さんの名言によって否定される。
「(前略)毎日の現象でもなさそうですし(後略)」
つまり、冒頭で主人公が見た「一筋」の「石切り遊びを思い出させる」「流れ星」は、「アパート流星群」ではない。
Q:では、それは何だったのか?
A:無論「月」に決まっている。
美人の「月」は「月」そのものではなく、というのは、夜空から月が消滅した、という天体観測がなされていないからだが、その月の「想念」が「美人」に実体化したものか、生霊のようなもの、ともかく「月の化身」が、自らを「綺麗」だと言ってくれた主人公にアプローチするため、夜空を石切り遊びのようにピョンピョンと天下ってきている場面が、この一文なのだ。それは非常に痺れる情景である。
と、このようにいろいろな想像を掻き立てくれたことが、「痺れた一文」に選んだ理由である。
余談だが、この「石切り遊び」。わたしの地方では「水切り遊び」と呼んでいた。みなさまはどちらだったろう。
以上。
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