ユメのつづきから

拗ねちゃま

気づいた繋がり

「ぎゃああああちこくぅぅうううーー!!!」


 朝から慌ただしい女子高生、それが私。

 決して、朝が弱いわけじゃない。

 夜遅くまで起きてなくてはならない、事情があるだけだ。


 右手でシャツのボタンを留め、左手でずり下がるスカートをグイッと上げる。

 口にはトースト、ラブコメに出てきそうな1日の始まり、それが私だ。


 いつもは家のすぐ側にバス停があるため、時間通りに家を出ていれば楽な通学路。

 海を見ながら優雅に登校する予定だったのに、私は今全力で走っている。


 潮風を浴びながら、夏の太陽がアスファルトに反射する一本道。

 海は、皮肉にも穏やかに揺れている。


「スマホスマホ!」


 学校に着く頃には、30分以上の遅刻が確定している。

 これは拭いきれない現実だが、少しでも弁明をするに越したことはない。

 こういう時に役立つのが、友達なんだと私は思う。


「先生なだめといて!!!」


 その一文を、クラスのグループに送信する。

 返信は分を待たずに、クラスメイトから続々と返ってくる。

 どれもこれも、私を思っての返信ばかりだ。


 最初に言っておく。

 これは、私の努力の賜物だ。

 陽キャという枠組みを、勝ち取ったに過ぎない。


 心の中は、こんなにも淡白なのだ。




 🏖

 私は階段を駆け上がる。

 それはもう、全力で。


 クラスは3階、学校の大きさは田舎なのにも関わらず、全生徒数に見合っていない。

 そんな不満を抱きながらも、教室の扉に手を掛けた。


「おはようみんな!!!!」


 息を切らしながら、私は全力で演技する。

 演目は人気者、そうやって私はここまで地位を築き上げてきた。


 クラス中の視線が私に集まる。

 先生共々、全員が笑って私を茶化す。

 その中に1人、扉に1番近い席の少女はタブレットに釘付けだ。

 空気感に1番馴染んでいない彼女だが、私の1番の親友である。


「カナコおはよ!」


 いつも通り私は、少女を覗き込むように挨拶する。

 背が小さく、大人しい性格のカナコは、私を見ることなくいつも冷たく一言放つ。


「全然早くない」


 皮肉の効いた一言は、クラスの空気を冷たくさせる。

 それでも、カナコは私にとっては無くてはならない存在だ。

 唯一無二の、親友だ。


 私は席に座るまでに、何度かクラスメイトと数秒スキンシップを図る。

 先生は愛想をつかしたように、笑って私に小言を飛ばす。

 これが、私の学校での地位だ。


 授業はしっかりと聞き、しっかりと板書する。

 成績も優位を保つために、ある程度は出来るようになっておく。

 そうすれば、今日のような遅刻なども許される。


 とても、しんどい。


 本当の自分を殺して、偽って、いい子を演じなければならないのは、辛いなんてもんじゃない。

 本当の自分が時々分からなくなるが、そんなことはいつからか、どうでもよくなっていた。


 1時間目が終わり、私は真っ先に隣の教室に向かう。

 理由は、この歳の子は誰もが羨む彼氏という存在だ。

 自分磨きの賜物は、こういうところにも表れる。


「コウ!昨日はごめん寝ちゃって!」


「全然気にしてないって!俺も眠かったし、むしろ助かったわ!」


 イケメン、優秀、高身長、私には勿体ないほどのスペック、それが私の彼氏コウ。

 私が欲しかったのはこういう彼氏、ではない。

 こういう彼氏を作れる私、それが私の理想だ。


 人は努力する者に惹かれるものだと思う。

 毎日同じようなタスクを繰り返すより、何か1つに一生懸命な方がよっぽど魅力的だ。

 すくなくとも、私はそう思う。


 10分間の休み時間に私はアピールの連続だ。

 さりげなく、でも意図的にコウの意識を私に向けさせる。

 例えば、コウの机の上に座って遠くの男子と話すが、そうすれば彼は思うだろう。


 俺と話すより、他の男と話す方が楽しそうだ。


 それはそうなのだ。

 意図的に、そうしている。

 そして、私はその行為を10秒程でやめ、彼の意識が完全に萎えない程度のところで、一言添えてやるのだ。


「でも、私の彼氏が1番!」


 男なんて単純だ。

 こんな一言で顔色は元に戻る。

 あとは、昨夜のように電話を繋げて、ひたすらに話し続けるだけだ。

 これで、完全にこの男は私のモノである。


 演技、トイレでため息、また演技、この繰り返しで1日が終わる。

 歌や詩が人生を舞台と例えるが、まさにその通りである。

 イヤホンをつけ、私は下校の準備をする。

 音楽は、聞いていない。


 愛想良く、すれ違うほとんどの人に笑顔で手を振る。

 イヤホンさえつけていれば、話しかけられることは無い。


 私は、人気者だ。


 下校の最中に、いったい何人の相手をすることになるか、想像に容易い。

 そんな事をしていれば、帰ってからの業務に差し支えてしまう。

 彼氏との電話、繋がりの維持、演者に休む時間なんてないのだ。


「おつかれ」


 イヤホンをつけていても、学校前のバス停で話しかけてくる存在が1人いる。


 カナコだ。


 最速で学校を出れば、最速でバスに乗れる。

 そして、その時間には誰もまだバス停にはやって来ない。


 私はイヤホンを取り、肩から一気に力を抜き脱力する。

 足先まで完全に力が抜けた時に、私は素の感情を口から零すのだ。


「つかれたーーーーーーーーーーーーーーーーーー」


 唯一無二の親友、カナコがそう思えるのは、こういう素を出せられる唯一の存在だからだ。

 幼なじみということもあり、双子のように育ってきた。

 お互い、何でも話し合え、いつでも助け合う、そんな大事な存在。


 カナコはタブレットを抱え、バス停に座ったまま私を見る。


 気だるげに、私は少しだけ口角を上げて隣に座る。


 バスは5分後にやってくる。

 この5分が、24時間の中で唯一休める時間だ。

 バスの中では、人の目が少なくともあるため、100%脱力することが出来ない。


「毎日大変だね」


「ほんと、嫌になる」


「やめれば?」


「やめれない」


「頑張れ」


「頑張ってる」


 いつからだろう、カナコとの会話も淡白だ。

 カナコが物静かな性格だからか、それとも。


 私は、何でカナコといるんだっけ。


 小さい頃、私とカナコの性格は逆だった。

 明るく元気なカナコの手に引かれる、臆病で根暗な私はいつも思っていたことがある。


 嫉妬だ。


 だからこそ、私はこういう性格に変えた。

 少しずつ、違和感のないように変えていった。

 親友というより、敵として策略を真似た。

 次第に、関係性はあっさりとした繋がりになった。


 正直、カナコが私にとって必要とは思えない。


 私は、不必要な要素は全て切り捨てる。

 友人、彼氏、好感、人気者になるために、カナコは正直言って不必要だ。

 それに、最近鬱陶しいとさえ思えてきた。

 気にかけられているのが、何故か腹が立つ。

 敵から塩を贈られている、そんな気がして、上から目線な気がして、カナコを心から好きになれない。


 バスは目の前に停まった。


 5分の休息も、ほとんど疲れを取れずに終わる。

 むしろ、最近はストレスになっている気がする。


 バスの中で、私は隣に座るカナコに告げた。

 数日考えたが、やはりこの決断に間違いは無い。

 顔も見ずに、外を見ながら私は口を開いた。


「もう、気を使わなくていいよ」


 窓越しに、薄ら反射するカナコが見える。

 沈んでいく夕陽と重なり、1枚の絵のようにカナコは下を向いている。


 光の粒が、海に散らばっている。


 砂浜を駆ける2人の少年、私は静かに目を逸らした。


 出迎えの無い帰宅。

 母は幼い頃に死別している。

 父親が1人で働いているが、帰りは毎回深夜を超える。

 顔を合わせる時は、朝の数分しかない。

 絶望的な家庭環境である。


 急いでやる事を済ませ、私はスマホを手に取り覚悟を決める。

 コウに連絡すれば、寝るまで終われない。


 深く、息を吐く。


 私は、簡単な文章をコウに送る。


 時々遅い日があるものの、分を待たずに、コウからの電話が掛かってくる。

 時刻は20時、私は電話をしながらご飯を食べるようにしている。


 自分でも作れるが、毎日のようにお風呂から出ると、ご飯が用意されている。

 父親、ではないのだ。


 いつ来ているのかは分からないが、中学生になってから高校生の今に至るまで、近所のカナコが毎晩ご飯を持ってきてくれる。

 だが、今日はまだ来ていない。

 バスで言ったことが、早々に効いたみたいだ。


 何も無いテーブルを眺め、電話をしながら簡単なものを作る。


 当たり前だった物が無くなった訳だが、特にその時は何も思わなかった。







 絶望というものは、いきなりやって来る。





 努力が報われなくなることが、突然やって来る。





 閉幕は、予定通りとは限らない。





 🏖

 あれから、1ヶ月が経った。

 浮気だ。

 そう、私の彼氏が浮気していることが発覚した。

 教えてくれたのは、カナコだった。

 私への返信が遅くなった時、そういう事だったのだ。


 そして、追い討ちは止まらない。


 コウが浮気していると知った時、私はコウに直接確かめた。

 その瞬間、あっさり振られ、翌日、私に対する有りもしない事実を吹聴されていた。

 努力で築いたと思っていた人脈は、ただのハリボテ以下だった。

 一生をかけて築いた努力は、たった1日で崩れ去った。


 私は、暗い部屋で毎日を終える生活になった。

 時々、スマホが部屋を照らす。

 虚無、それだけだ。


 深夜12時、私は家の前のバス停に足を運ぶ。

 特に意味は無い。

 小さい頃から、気持ちが沈んだ時は必ずそこに向かった。

 点滅する街灯が、古びたバス停を見下ろす。

 私は、端に座り小さくなっていた。


 1ヶ月外に出ていなかったが、バス停から見える海、私を静かに撫でる潮風が心地よい。

 だが、絶望に蝕まれた今の私には、何の効力もなかった。


「……雨」


 古いバス停なため、私の頭に雨が時折落ちる。

 屋根はあるが、ほとんど意味を成していない。

 濡れながら、それでも私はただ虚空を見つめていた。


「あ、今日はいた」


 突然、横で声がしたと思ったら、カナコだった。

 傘をさし、そのまま私の隣に座る。


 静かな時が、しばらく流れた。


 お互い、顔を見合わすことなく、落ちていく雨粒をただ見つめていた。


 夜の海という絵画に、カッターで傷を付けていくように、雨粒は視界を切りつける。

 なぜだか分からないが、私の目はそれを捉えられないほど、突如として感情が溢れ出した。


「……何で……こうなったんだろう」


 震える私の声は、ギリギリカナコに届くくらいだ。

 カナコは目線を変えずに、そっと私の背中に手を添える。


 その時、私は全ての、抑えてきた全ての感情が噴出した。


「私はカナコになりたかった! 優しくて強くて明るくて皆から好かれる人になりたかった! だから努力した! 頑張った! 必死で! 死に物狂いで! 毎日毎日毎日毎日! 正直カナコが憎かった! 羨ましかった! 敵なのに! うざいのに! 嫌いなのに! 何でカナコは私にまだ優しくするの! もうホントに嫌!!!」


 最後の一言の時に、私は偶然カナコの顔を見てしまった。

 カナコは、表情こそ変えていなかったが、その感情は私に触れる手の感触が告げていた。


 その手の感触により、ふと我に返った時、自分の最低さに気がついた。


 勝手に敵と見なし、優しくされることを利用し妬み、いつからか、ただ助けられることだけを目的としていた。

 毎晩作ってくれるご飯にも、バス停でいつも待ってくれていることにも、自分を偽っている私への配慮の数々にも、私は1度でさえ感謝したことがあっただろうか。


 見えなかったものが見えたその時、私の心に1本の切り込みが深く印された。

 雨粒のように、その後何度も何度も、私の心を切り裂いた。

 私は、カナコを直視出来なくなり、思考が止まった。


 もう、何もかもが終わった。


 終わった。


 終わった。


 終わった……。


 暗闇、何も無い空間。


 自分の愚かさに気づき、何も出来ないでいた数秒後、カナコは私の手を取り、小さく呟いた。


「全然、分かってあげられてなかった。友達なら、困っている時に助けてあげなきゃいけないのに、私の努力が足りなかった。ごめん、私がもっとちゃんと友達として、気づいてあげれてればよかった、ごめん」


 目線や表情は変わっていないが、確かに声は震えていた。


 私は、こんなにも出来た人間を、大切な友達を、敵としていた。

 そして未だに、気を使わせている。


 私は、最低だ。


「……ごめん……ごめん……ごめん」


 私は、これ以外に言葉が出てこなかった。


「……ごめん……ごめん……ごめん」


 ただひたすらに、繰り返す。


「……ごめん……ごめん……ごめん」


 手を取り首を振るカナコ。

 それでも、私は顔を直視出来ず、ただ繰り返す。


「……ごめん……ごめん……ごめん!」


 カナコは、私を強く抱き締めた。

 その小さい体で、めいいっぱい強く抱き締めた。




「よく頑張った」




 その言葉が、私の芯に触れ、溜めていた感情がさらに噴出する。


 ただひたすらに、そして声を出して。





 気づけば、2人して笑って話していた。


 私はやっと、自分にとって最も大切な繋がりに気がついた。


 彼氏や上辺だけのグループではなく、当たり前になった繋がりこそが、最も人を変え強くも弱くもさせる。

 ただ、その繋がりが、人を最も救う。

 それが分かっただけでも、私の努力は報われたに違いない。


 どん底にこそ落ちたが、それまでのステップを踏んだからこそ、今のこの大切があるのだと、私は強く信じている。


「そう言えば、カナコは何で私がバス停に居るって分かったの?」


「何か嫌なことや辛いことがあった時、ここによく来てるでしょ?幼なじみなめないでよ」


 小さい頃、駄菓子を食べながら、2人でいつまでもバス停で時を過ごした。


 今のこの時間と時が重なる。


 この関係性が、いつまでも続く事が、私の夢だった。

 忘れていたが、大切な私の夢だ。

 恨み妬みこそしたが、あの時こうして、楽しく話したことに変わりはない。


 その事実が、今の私になれたなによりの証だ。


「そうだ、私の漫画見てよ。私の夢、漫画家になる夢、まさか忘れてないよね?」


「あ、えっと、そうだっけ……?」


「よし、一生そこで雨に打たれてろ」


「冗談じゃん! 寒いって! 傘入れてよ!」


「……ふふ」


「何笑ってるの?」


「そう言えば、昔もこんなことあったなって、思い出して」


「もしかして、まだ覚えてるの?私の夢」


「イケメン王子と結婚するプリンセスだっけ???」


「ちょっと! あれは子供の頃の話じゃん! 笑うなバカーーーーーー!!!!」


「その方が、よっぽどユメらしいよ!!!」


 明るく元気で、少し変わった夢を持っていた純粋な少女ユメ、それが私だ。


 何もかもが初めからになってしまったが、だからこそ二度と失うことの無いモノにも気づけた。


 その大切なものをより大切にする、それがとりあえずの、私の夢だ。







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