第53話 英雄豪傑

「えっ?」


「手を抜いたかと聞いている」


 思い切り前に刺した剣の柄頭つかがしらに両手をのせて仁王立ちするラムセス。

 決定機を逃したものの、俺が有利なのは変わらないはずだ。

 しかし、その百戦錬磨の剣士の風格に気圧される。


「それは……」


 俺が勝った後、観客のラムセスに対する仕打ちを気にして――などとは言えなかった。


「そうか――」


 ラムセスが地に刺さった剣の鞘を握る。


「ウオオオオォオッ!」

 

 地面に刺されたまま大剣が振り抜かれる。

 それはその場を捲り上げ、さっきまで舞台を形成していた岩の欠片が飛んでくる。

 横に跳びそれを避ける。

 しかしそこに避けることがわかっていたかのようにラムセスが迫っていた。 


 駆けてきた勢いそのまま、下段からの攻撃。

 それを短剣で防ぐ。

 弾かれた俺の体めがけ、さらなる追撃が迫る。


 怒涛の連撃。

 連撃といえど決して一つ一つが軽いわけではない。

 短剣でなんとか耐えているが、鋭く重い攻撃が次々と俺に振りかかる。


「オオオオオオォ!」


 そして思い切り振り上げられたその両手から渾身とも言える一撃が下される。

 俺はその一振りを足を踏ん張り、短剣を頭上に両手で支えて迎える。


 空間がそこを中心に収縮した。

 それに合わせて短剣がまるで柔らかいかのように振動しているような感覚が手に響く。

 遅れてとても甲高く、綺麗でありながらも重い音が俺の耳を騒ぎ立てた。


 ようやく耳鳴りが鳴りやむと、無の様なとても穏やかな空気が身を包む。

 そして頭上に重くのしかかった圧はなくなり、俺から遠ざかる。


「降参だ」


 俺から距離をあけ、大剣を地面にゆっくりと置いて両手を挙げるラムセスの姿がそこにはあった。

 一瞬何が起こっているのか理解できなかった。

 その光景、その言葉が脳で処理されるのにだいぶ時間がかかったのだろう。


「え? 降参って……まだ戦えるでしょ?」


「いいや、私の負けだ」


 ラムセスは首を振り、負けを宣言する。


 当然その光景を見ている観客からは罵声が飛び交う。

 この終わり方では当然観客も納得できないだろう。

 それにここまでこれだけ良い試合をしていたのに、これで不当な暴言に晒されることに俺が一番納得できない。


「何故だという顔をしているな」


 観客からの汚い声の嵐にも顔色を一切変えないラムセス。

 俺の思考を読み取った様に淡々と口にする。

 その表情からはあの怒りの炎は消え去っているように見える。


「もう一度聞く。あの瞬間、貴様は私にとどめを刺すことができたはずだ――違うか?」


 ラムセスの言葉に俺は肯定も否定もできず、固唾をのみ込んだ。


「まあよい。だが、覚えておくがよい」


 なんと答えていいかわからない俺にラムセスは静かに、それでいて力強く忠告する。


「決して最後の最後まで戦いから気を逸らすな。貴様は強い、強いからこそ情けをかけるな。それは恥辱の他の何ものでもない」


 それは俺の心を刺すかのように痛く響いた。

 俺は戦いの中、この強者に対していかに観客から守るかを考えていた。

 それも試合の前からずっとだ。

 そんな俺を完全に見抜かれたような気がした。


『お前のせいで俺は大損だ!』


『ギゼノン最強が聞いて呆れるわこの恥さらしが!』


『謝れ! お前に期待した民すべてに詫びろ!』


 なおも観客からの汚い言葉は止まない。

 お前らはこの男に守られているのだろう! と思うが、それは言うべきではないだろう。

 この気高き男の姿がそれを諭していた。


「わかったな?」


「……はい」


 俺はそう言って頷く。

 それを聞いて「そうか」と言う彼に、なぜか父の姿が重なった。


 そしてその誉れ高き剣士は俺に背を向けた。

 兜を脱ぎ、美しい汗で光る黒い短髪が姿を見せる。


 ラムセスは自らを咎とがめる観客を見上げる。

 そしてゆっくりと両膝をつき、さらに両手をつく。

 最後に額を地熱で熱くなった舞台につける。

 その姿は土下座のそれだ。


 そこに容赦なく前の試合のように――いや、それよりも何倍も多い罵詈雑言とゴミが投げ込まれる。


 何故この強く、尊い男がこのような者たちに頭を下げないといけないのだ。

 俺はついに我慢できなくなりラムセスの前に立ち、迫るゴミを振り払う。

 

「やめろ」


 頭を下げたままラムセスが俺に言ってくる。


「でも――」


「やめるんだ」


 俺の次ぎの言葉を塞ぐようにラムセスは被せる。


「これは私に対する罰。民の期待を裏切り、多くの損害をもたらした罰だ」


「損害?」


 多くの損害ってなんだ? 

 ギゼノンの誇りが失われた損害だとでもいうのだろうか。

 それとも、やはりレイの話さない闘技場の闇の部分なのだろうか。


「そうか、知らんか。ならその方が良い。強き英雄よ、もう去るがよい」


「だけど――」


 「情けはかけるな、そう言ったであろう」


 俺はその言葉にもう何も問うことができなかった。

 観客に対しても睨み付けるだけしかできない。

 しかしそれも何も響いていないのだろう、その罵声も、投げ込みも勢いが収まることはない。


 俺は静かに振り返り、気高き剣士の土下座を目に入れないようにして横切って退場した。

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