第三章   愚者の愚者たる所以1

 松原志枝の起こした出来事は、一部の生徒――主に学食派――が知るところとなり、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て真一へと届き、透たち四人の耳に入った。

 そして昼休み。今日もまた、昨日と同じく真一と美浜、愛夏の三人は透と明里から離れて行動する旨(むね)を伝えた。

「あの人は大丈夫だってよ。人一人轢(ひ)いたっぽいけど、そっちも重傷ってだけで生きてるしな」

「そっか。良かった……」

 真一の言葉に胸を撫で下ろす明里。美浜もどこか安堵(あんど)した表情でまっすぐに立っている。

 愛夏と透はそれほど表情には出していないが、ほっとしているのは見て分かるほどだった。

「先生は軽傷で一週間もすれば復帰できるってさ。事故の方も調べられて、原因不明の機械の不調ってことでなんかあんま重い罰が下されるわけじゃないみたいだしよ」

 おどけた仕草でだいじょーぶだいじょーぶと念押しして四人から滲(にじ)み出る重めの雰囲気を払拭(ふっしょく)した。この様子なら彼自身が受けたダメージも完全に回復したようだ。

「っつーわけで俺らはそろそろ行かせてもらうぜ。今日もお前は明里ちゃんと二人っきりのランチタイムを楽しみな」

 バイバーイ。ぷらぷらと後ろ手に手を振って教室のドアへと向かう真一。その後から美浜が気に喰わないところでもあったのか蹴りを入れて吹っ飛ばして行った。

「えっと、実は今日だけじゃなくてしばらくはこうなっちゃいそうだから」

 ごめん。

 そう言って愛夏はたったったっと走って二人の後を追い掛けた。

「何話してるんだろうな」

「何なのかな。そんなに時間の掛かる用なのかな」

 透と明里、二人は同時に疑問の声を漏(も)らした。

 二人は顔を見合わせ、どちらともなく吹き出した。

「く、はは。あいつらが何をしてるかはそのうち分かると思うよ、草永海さん」

 透が席から立ち上がり、明里に移動しようという意思を雰囲気だけで伝える。

 二人が向かったのは昨日行った屋上、ではなく学食だった。

 学生たちの食に関する研究所。略して学食に来たのはある意味自然な流れだった。

 養護教諭である彼女がいない今、この学食がどうなったのかを見に来たのだ。

「やってるな」

「うん、やってるね」

 変わらず、むしろいつもより盛況と言わざるを得ない様子だった。

 人の流れは普段見かける倍。席に座ってる生徒たちの顔は期待に胸を膨らませる乙女たちのようだ。

「どうしたんだろうな」

 透はどこか釈然(しゃくぜん)としない面持ちで辺りを見回す。

 明里もそんな透に釣(つ)られてかきょろきょろと、つい先日見たときとは違うこの様相に落ち着きがない。

 出入り口にたったまま、二人してそんな態度であるものだから当然彼らにちょっかいを掛けてくる者も現れる。

 爽(さわ)やかスポーツマンがそうであった。

「おう、お前らもアレか? 鬼の居ぬ間の洗濯ってやつをしに来たのか? 松原先生って意外と近寄り難いからな。実はここの客足遠ざけんのに一役買ってるって話もあるぐらいだしよ」

 一体どんなことをすればそんなことができるのか。同い年と思われる、けれど良く陽に焼けた肌を持つ彼はニカッと笑ったまま喋り続けた。

「ほら、早く入りな。ここの良さを広める大チャンスだしさ。そっちもちょこっと協力してくれよ」

 すっきりとした物言いで捲(ま)くし立て、あれよあれよという間に透と明里は中に連れ込まれてしまっていた。

「おっちゃん、秘蔵のカレーパン二つお願いね」

 しかも勝手にメニューまで決める始末。呆(あき)れて物も言えないとはこのことだ。

 物怖じしない性格なのか、彼は元気一杯に話し掛けてくる。

「いや~、ここに来て最初に当たり外れのあるもん食ってもどうかと思ったからさ。あんたらには悪いけどオススメを選ばせてもらったよ」

 あっはっは、いや悪い悪い。

 こんな風に頭に手をやりながら言われたら誰だって怒りはしないだろう。現に二人はそうならなかった。

「んじゃ、俺はこの辺で失礼させてもらうかな。邪魔者は退散しなければならないからね。ね?」

 そこでパッチリと決まったウィンクまでしてくれた。これで同年代とは思えないかっこよさである。

 快活で世話好き、話術も上手ければ運動も上手に違いない彼はきっと部のリーダー、またはそれに準ずるポジションを獲得していることだろう。

 ただ一つ残念なことは、透と明里の仲を勘違いした早計さにある。

 おかげで何とも言えない微妙な雰囲気の中、二人は秘蔵と言われるカレーパンが届くのを待ち侘(び)びなければならなかった。


「これがカレーパン? いつも見る丸いのとは違うな」

「うん、表面がパリッとしてるのが春巻きみたいだよね」

 出来上がった秘蔵のカレーパンは見た目からして見知ったカレーパンとは違った。

 円形の多いカレーパンにあって、今ここにあるカレーパンは多角形。柔らかいパンに対してサクサクした食感が期待できるパンだ。

 作り立てらしくまだ熱いことが窺(うかが)える。作ってる人が出来立てであることに拘(こだわ)ったのかもしれない。

 二人は恐る恐る初めてのカレーパンに口を付けた。とりあえずまずは外側を少しだけ、という食べ方だ。

「あ、やっぱりサクッとしてる」

「凄いな。パンだけでもかなり美味い」

 二人は驚きながら二口目に入り、中のカレーへと到達した。

「え?」

「うわぁ」

 透は思わず口を離し、明里は喜びに口元に手を当てた。

 中のカレーはトロトロで本当に『カレーパン』という代物だった。

 二人がこれを完食するのに然(さ)したる時間が掛からなかったことは言うまでもない。

「確かに、秘蔵と言うだけのことはあるな」

「うん、毎日食べても飽きないかも」

 まさか学食にこれほどの一品が眠っているとは思いもよらなかった二人。称賛の言葉が尽きない。

「どうだい、気に入っただろう?」

 そこに来たのはあの爽快(そうかい)少年。

「友達にも紹介してくれると嬉しいな。なにせ今日のことで学食が閉鎖になってしまうかもしれないからね。ああ、あと謝っとかないとな。あれ、実は呼び込みだったんだよ」

「え、どういうことですか?」

「そのままの意味だよ。責任者が不祥事を起こしたところを、いつまでも開けておくわけにはいかないのさ。それにここは色々と問題が多かったからね」

「じゃあ、今日ここに来てるのは皆……」

 透が周りを見渡すと、ほとんどの生徒がどこか憂いているような表情をしていることに気が付いた。

「そう。ここがなくならないように、これだけ必要としてるんだこれだけ愛してるんだってことを客として来ることで示してるのさ」

 やけにクサい(、 、 、)ことを素で言ってしまえる彼の横顔はどこまでも真摯(しんし)だ。そのことに少なからず自分と比較してしまう。

 してもしょうがないってのにな。

 心の内で首を振って邪魔な感情を振り解(ほど)くと、透は視界の先、正確には真摯な彼の後ろに見えた人影に注意が向いた。

「あれ?」

 どこかで見覚えのある人物だった。でも誰かは思い出せない。そこにいる人物とは話したような気もするし実はただ道で擦れ違っただけかもしれない。言えるのは絶対に一度は会ったことがあるということだけだ。

「ん、おお彼に気付くなんて良い目を持ってるじゃないか」

「知ってるんですか?」

 いつの間に彼女も見ていたのか、明里が透の見ていた先に目をやりながら訊いた。

「彼は一年生ながらもここでは有名人でね。『鋼(はがね)の胃袋』を持つ男なんだよ」

「鋼? 普通は鉄じゃ……」

「ん、ああ。それはね、っと来た来た。今彼の向かいに座った大きなの、彼が『鉄の胃袋』の持ち主だよ」

 そこに現れたのは大柄、と言うのが生易しい、ちょっと言い方に困る体型をした人だった。こちら側から見える襟章(えりしょう)の色から彼が三年生だと分かる。そして両手にどう考えても抱え切れているのがおかしい量の食べ物が――料理と言うのも憚(はばか)られるほど大量かつごちゃ混ぜで――あった。

「また〝対決〟でもするのかな?」

「また、って前にも?」

「うん、そうだよ。前にもやったんだ。で、その時に負けてね。彼の称号を譲ろうとしたんだけど……」

 そこで少し言葉を濁(にご)した。今日初めて会ったが歯切れの悪い物言いは今までなかった。それがここでこうなるということは。

「あまりにも桁違いでね。今日だってもう五回はおかわりに行ってるはずだよ。いつもより速いペースだね」

 しかも、彼絶対に当たりが出るやばいのを食べても一人だけ、そうあそこにいる鉄の胃袋でさえ倒れたのを食べても倒れなかったばかりか、更に何度も食べてるんだ。

「化け物だ……」

 透は呟いた。

「全くだね。一度に二人前ほどしか持ってこないから一月ぐらい誰も気が付かなかったんだけど、最低でも十人前以上食べてるって聞いた時はさすがに驚いたよ。面白そうなんで見てみたら、どう考えたって胃袋の体積より腹に入れてるんだから。いるんだなって思ったよ。マンガとかに出てくるのが本当にいるんだなって。それから俺は彼の信奉者になってね。もちろん、あの対決の時も彼の勝利を確信していた。なぜなら――――――」

 途中から雲行きの怪しくなったスポーツマンを横目に、透は明里の肩を叩いた。

「わきゃっ」

 予期していなかったせいで彼女は体が浮き上がるほどビックリしていた。

「長くなりそうだから、もう行こう」

「あ、はい」

 こくん、と頭を縦に振ってから彼女は答えた。

 透は立って食器を片付けに歩く。明里もそれに続く。

「――そう、まさにこれは天啓! 神が世界に与えた食への新たな――そしてこれこそが真なる――」

 まさかこんな危ない方向に思考が延長(ブロード)しているような人だったとは。まあ、学食(ここ)にいる時点でまともじゃない可能性は多々あったのだが。

 世の無情を感じながら透は幸せとか青春とかってのはどういうものなんだろうな、と思い始めていた。

 おかげで鋼の胃袋を持つ少年のことなどすっかり頭から抜け落ちていることに透はいつまでも気が付かなかった。



 ★☆★☆★



 とある学校内の一室。適当な数のイスと机しかないここで、なにやら三人ほどがごそごそと動いていた。

「んでよ~、どうするわけ?」

 イスの背凭(せもた)れを前にして座る一人の声。それに反応する声がまた一つ。

「それを今考えてるんでしょ。策なんて絶対ありませんって顔してるんじゃないの!」

 ガルルルルゥゥゥ

 獣の唸り声が現実にさえ聞こえてきそうなほどに険悪な美浜。彼女の内心は非常に複雑であった。

「え、いやその、別にそんな深く考えなくても」

「甘いわね」

「そう、あめぇぜ。甘々だ。きっと氷も溶けちまうくらいに」

「あんた砂糖で氷溶かすの?」

「おう、そうだぜ。んでもって適度に溶けたところをグビッと飲むのさ」

 けけけけっ

 コウモリのような顔で笑う。それは本当にえげつない笑い方だった。

「ぐばぁがっ?」

 顔面に三本目の足を生やし、真一は床へのダイブをさせられる。

「あんたは何がしたいのよ」

「の、乗ってきたのはそっちだぞ」

 背中を強かに打ち付けたために息も絶え絶えな返答をする。

「ま、いいわ。どうせあんたには期待してないから」

 んべーっと、ともすればそんな風に受け取れるぞんざいな言い方で美浜は背を向ける。

「にしても、これ以上何も出てこないのは事実よね」

 美浜の視線の先、そこには黒板に書き殴(なぐ)られた文字がいくつも自身の存在をアピールしていた。

 一番上には一言〝真夏のイベント大奮発〟と書かれ、その下には主役級イベントと点打ちで書いてあった。

 主役級イベントに入っているのは四つ。花火、祭り、肝試し、そして愛夏の誕生日、である。

 その横に、盛り上げ用イベントと書かれ、同じように幾つものイベントがめんどくさそうな字や丁寧な字に角度の鋭いのと、三種類の字で色々と書かれていた。

 他にはイラストやら色彩のコントラストやら遊び心満載の仕様で作られていた。

 透と明里の二人きりにする代わりに真一と美浜が言い出したのがこの夏休みイベント三昧だ。

 イベントの所々に何かと期待できる場面を盛り込み、その計画立案に立ち会うことでイベント時のアドバンテージを得させる。

 二人にとってはある意味苦渋の選択だった。過去のことを忘れてる本人や明里は知らないことだ。美浜と真一が知っているのも、片方は偶然で、もう片方は雰囲気から何となく悟ったことだからなおさらだ。

「しっかり決めないといけないのに、こんな絵とかばっかり描いて昨日は終わっちゃったのよね」

 だがそれでも二人はこのことに手を抜くつもりはない。だからこそこうしてちゃんと考えているわけなのだが、どうにも状況は芳(かんば)しくなかった。

「でも、見栄えは良いよね」

 懊悩(おうのう)する美浜を愛夏は励(はげ)ました。

「そうね。なんとなくやる気の出る仕上がりね」

 うん、とどこか満足そうに美浜と愛夏は頷いた。

「んじゃ、さっそく作業に取り掛かるか」

 気分が一新されたところで美浜が黒板へと向き直り、

「まずは主役級のイベントがいつ行われるのか調べないとね」

 すかさず黒板にさよならを申し出た。

「ああそれはもう調べてあるから大丈夫。安心して煮詰めるのには入れや」

 復活した真一が背中を押さえながら言う。

「なに偉そうに言ってんのよ」

「はいはい、一々目くじら立てんな。こちとらお前の馬鹿力で蹴飛ばされて節々がいてぇんだからよ」

 蹴りを入れられた顔をわざとらしく押さえると美浜の顔に青筋が少しだけ浮き上がった。

「悪かったわね。怪力女でっ」

「ああそうだぜ。まったく、もっと人を労わるということを覚えた方が良いぜ。でないと、一生彼氏さえできねえからよ」

 声を出して笑う真一。美浜はぴくぴくと顔面の筋肉を動かす。できるだけ我慢しようとしてるのがよく分かる一面だ。

 愛夏は美浜の出す空気から彼女がなけなしの女心を精一杯持ち出していることを知った。

「そ、そう。で、でもあんたがそんなこと言える立場なの? あたしが知る限りあんたに彼女がいるところなんて一度も見た事がないんだけど」

 出来得る限りの虚勢(きょせい)を張って、彼女は真一を見据える。

「だからよぉ、何度も言ってんじゃねえか。俺には婚約者がいるの。分かるか? フィアンセだフィアンセ」

 ったくいい加減覚えろよ。

 と大げさに肩を竦(すく)めて見せる真一。

 愛夏は美浜に上手く立ち回らせるための秘策を伝えようとするが、その前に真一が止めを刺してしまった。

「大変なんだぜ。この前もラブレターもらったけど断らなきゃなんなかったしよ。いやモテる男は辛いぜ」

「あ……」

 その言葉を引き金に、美浜が残像を残して移動する。そして愛夏が踏み込んだ、と思った瞬間には拳が真一の顔を捉(とら)え、両足を床から離し、綺麗な弧を描きながら宙を舞わせていた。

「ほべろんっ!」

 奇怪で意味不明な断末魔を上げて机やイスに無理矢理着地させられた真一。しばらく唖然として様子を見守っていた愛夏は、五秒ほど経っても起き上がらないことで一抹の不安を覚えた。

「大丈夫。ええ大丈夫。ちょっと強めにやっちゃっただけだから。これぐらいで死にはしないわよ。骨も折れてないし、ほら、どこも異常ないでしょ」

 喋ってる途中で真一へと近付き、その体を後ろから持ち上げる。確かにどこにも異常は見られなかった。完全に白目を剥(む)いている以外は。

「脈もちゃんとあるわよ。なんなら気を入れて起こそうか?」

「えっと、止めた方が良いと思う」

 今日は彼にとってとても災難な日だ。こんな状態で起こされても更なる厄災に見舞われることになるだろう。それに受けたダメージが回復しないのに起こすのは気が引けた。

「そう? ならいいわ。止めとく。どうせすぐにまたムカツクこと言うんだろうし」

 真一の体を適当な態勢にしてから離れる。少し長めの髪がさらりと流れた。

 その時に鐘(かね)が鳴る。

「あ……」

「ああもう、鳴っちゃったじゃない」

 予鈴が鳴り止み、美浜は真一を見る。

「このままでいいか」

「え、でもそれじゃ――」

「いいのよ。こんなのほっといてさっさと教室に戻りましょう。先生には腹痛と頭痛が一緒くたになってきたとでも言えばどうにかなるでしょ」

 言って美浜はドアを開き、ほら行くよと声を掛けて出て行ってしまった。

「…………」

 愛夏は開いたドアと真一を見比べ、結局はそのまま外へと出る。

 真一は、ピクリともその体を動かすことなく放置され続けた。

 ほとんどの生徒も教師も来ない特別教室でのことだった。


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