5
彼女の手には先ほど見つけた柄の長い剪定鋏が握られていた。その刃先からは黒い液体が滴り、顔や体にはべったりと返り血らしきものが付いていた。
「生垣を切ったのは……あなた?」
「はい」
なんのためにそうしたのかは、聞かなかった。お父様の今の状況を思えば、聞けないと思った。
「申し訳ありませんでした」とマーサが肩を落として呟いた。
「お嬢様を助けるためとは言え、旦那様にこのような仕打ちを……」
「マーサ……」
「けれど。この男は昔……っ、私の、たったひとりの弟を」
「わかってるっ、わかってるから」
「……え?」
鋏の柄をギュッと握りしめたマーサの手から、フッと力が抜ける。彼女が私を見つめた。
「エイブラムに……っ。聞いたから」
両目からこぼれ落ちる涙を拭えず、私はグス、と
「お父様っ、お父様っ?」
泣きながら耳元に声を掛けるけれど、お父様はうつ伏せに倒れたままで、全く反応が見られない。傷口を圧迫したことで多少なりとも出血はマシになっているようだが、もはや手遅れかもしれない。
「お父様ぁ……っ」
再度、嗚咽がもれた。
やがて通用口のほうからノブを回す音が聞こえた。ギィ、と扉が開き、アレックスが顔を覗かせる。
「姉さんっ、遅くなりました」
「アレックスっ! お父様がっ!」
「っえ!?」
ランタンを掲げたまま、アレックスが私のほうへ駆けてくる。弟に続き、侍従のヴァージルもゆっくりとした動作で扉から顔を出した。その肩へ寄りかかるようにして、彼が歩く姿も見られた。
「エイブラム……」
良かった……。無事だったのね。
お父様から手を放せずに座り込んでいると、状況を察したアレックスが目を見開き、すぐそばに腰を下ろした。
「姉さんこれは……っ、どうしてお父様が……?! いったいなにがあったんですか??」
「おと、お父様が……、私を、殺そうとしてっ。それを止めるために……っ、ま、マーサが……っ」
「えぇ!?」
アレックスが顔をしかめ、私のすぐそばに立つマーサを見上げた。マーサが今も手にしている凶器を見て、「そんなっ」と嘆いた。
「っう、……マ、リーン」
「お父様っ!?」
うつ伏せになったままで、ふいにお父様が意識を取り戻した。細く開いた視界に入るよう、私はできるだけ体をかがめた。
「い、ままで……。すまな、かった」
傷口を押さえた手に、じわりとまた、血が滲み出てくる。
「いい、いいからっ! お願いだから今はこれ以上喋らないでっ」
「……わ、たしは。……どうかしていたな。こんなに、優しい……娘、に。手を、掛けるなんて」
「っう、お父様っ。もう、いいから。もう話さないで……!」
喋るたびに出血量が増える。もはや助かる見込みはないと頭の中ではわかっていながら、私はそれに抗いたかった。
ハァ、と苦しげにお父様が息をもらした。
「私が……死んだ、ら。た、のむ。ロ……ローラ、の。そばへ……」
「っええ、わかったわ」
フッとまぶたから力が抜けて、お父様の視界が塞がれた。口元には幸せそうな笑みが浮かび、満足そうな表情だった。
そこでお父様の吐息が、完全に途切れた。
両手で傷口を押さえていた私も、そばで見守っていたアレックスも、なにも喋れず、辺りは元の静けさを取り戻していた。お父様の魂が天に召されたのだと理解した。
私はお父様の背からそっと手を離した。熱い涙がまぶたを焼き、ぎゅっと目を閉じた。時おり、アレックスの嗚咽が聞こえる。
「……マリーン」
ヴァージルのそばを離れ、彼が私へと歩み寄る。数日ぶりに見るエイブラムは、かなりやつれていた。
「エイブラムっ!」
彼がおいでと言うように、両手を広げた。足に力を入れて彼へと走り寄る。
エイブラムの体を支えるようにして抱きしめ、私はその胸のなかで声を上げた。
どうしようもない悲しみに
***
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