6
さっきから軽く瞼を閉じて、寝たふりを続けている。わざとらしくならないよう、少しだけ寝息も立てた。
「お嬢様は?」
部屋の扉が静かに閉まり、今しがた席を外していたメアリーが戻る。
「寝たわ、ぐっすりよ」
「そう。あのお薬が効いたみたいね、良かった」
ふたりの囁き声に耳を澄ましながら、ひそかに安堵していた。やはりあの薬を飲まなくて良かった、と。
狸寝入りを続けながら、先ほどあったダイニングルームでの時間を思い出していた。
お父様がレスター侯爵の屋敷から持ち帰った薬を、侍女の手から渡された。白いサラサラとした粉が薄い紙に包まれていた。
お父様曰く、ショックを受けたあとの後遺症を和らげる効果があり、今の催眠状態から解放されるのだそうだ。
誘拐の後遺症による催眠を解くだなんて……いったいどんな成分で調合されているのかはわからないけれど、眠気の出る薬だと都合が悪い。
私は食事を進めながらどうにか飲まなくていい方法を考えていた。
「さぁ、お嬢様。こちらのお水でお薬を」
グラスに入った無色透明の水が揺れる。手にした粉薬を見つめながら手が止まった。すぐ後ろに立つ侍女ふたりの視線が私の手元に集中している。
どうしよう……。これを飲んでしまったら、予定どおり行動できないかもしれない。
今夜のうちに、アレックスの部屋へシャベルを取りに行き、私の花壇を掘ろうと考えていた。
今夜眠ってしまったら、明日はお父様の目もある分、自由が利かなくなる。そうしたらエイブラムは……。
白い粉薬を前に希望が閉ざされるのを感じ、息が苦しくなった。
「あれ?」と斜向かいに座るアレックスがワインを手に、眉をひそめた。
「侍女たちの肩の間に……黒い羽虫が」
ひゃっ、と息を飲む悲鳴が肩越しに聞こえ、私は即座にアレックスへ視線を飛ばした。弟は素知らぬ顔でワインに口を付けている。
チャンスだわ!
侍女たちが私の手元から視線を切らし、慌てふためいている間に、白い粉薬をスープの残りにサッと落とした。
手で口元を隠しながら飲んだふりをして、素早く水を流し込む。
侍女たちは空になった紙の包みを見て、ちゃんと薬を飲んだのだと信じて疑わなかった。
布団に包まりながら、アレックスの機転に感謝していた。あとで部屋に行ったら礼を言おう。
「で、どうだった?」
私が寝たふりをするまで側についていたスーザンが、部屋を出ていたメアリーに尋ねた。状況からお父様の書斎に呼び出されていたのだとわかった。
「やっぱり私たちが買い物に出ている間に、お嬢様が貯蔵庫に現れたみたい。旦那様が見張り番に確認したんだって。……明日はお叱りを受けるわね」
「……そう。仕方ないわね」
ハァ、とふたりの憂鬱そうなため息が聞こえる。
「お嬢様のご病気、早く良くなるといいけど」
「ええ、本当に」
すぐそこに人が立つ気配と視線を感じ、神経が張り詰める。侍女たちが側に寄り、私がちゃんと眠っているかどうかを確認している。
ことさら寝たふりを続けて、ふたりが退室するのを今か今かと待った。
程なくして侍女たちの気配がなくなり、パタンと扉が閉ざされる。寝息を止め、そーっと瞼を持ち上げた。瞳を泳がせて視界を確認し、上体を起こした。
侍女たちは居なくなり、部屋は私だけになっていた。ベッドに入るまで着ていた丈の長いローブを上から羽織り、ランタンを手に取った。
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