「こうなったら、巻き込まれついでに僕も手伝いますよ」

「……え」


 どうして、の言葉が続かない。


「普段から慎重で臆病な姉さんがここまでするなんて……。危なっかしくて見ていられないよ」

「……アレックス」

「とは言え、クリス姉さんに見つかったらなにを言われるかわかりませんよ。お父様に告げ口されるかもしれない」

「構わないわ。彼を助けるためだもの」


 アレックスが呆れた調子でまた嘆息し、「重症だな」と言って首の後ろをかいた。


 結局、アレックスの意向で侍従の彼だけが部屋に帰されることとなった。


 カーテンが締め切られた書斎は薄暗く、主人のいない静寂を守っているようだった。


 扉がちゃんと閉ざされているのを確認し、私は真っ先に書斎デスクへ近づいた。アレックスはソファーセットの下や本棚を念入りに探している。


 両サイドに引き出しの付いた書斎デスクは重厚感があり、無断で触れるのに僅かな抵抗を感じた。


 ごめんなさい、お父様。


 心でそっと詫びて引き出しの取っ手に指を掛ける。引き出しは全部で八つあった。しゃがんで膝をつき、ドレスの裾が床を擦った。


 右上から開けて中を確認する。書類や羽根ペン、インクなどの筆記具を見て次の引き出しを開ける。引き出しの中身には手を触れず、見るだけにとどめた。


 もしも銃が出てきたら、その雰囲気と形で分かるからだ。


 七つ開けて見つからず、左端の一番下に手を掛けた。ガッ、と硬いものが邪魔をし、指先に金属の抵抗を感じた。鍵が掛かっている。


「アレックス、ここかもしれない」


 意識的に声をひそめて立ち上がる。しかしながら弟には聞こえていない様子だ。


 アレックスはいつの間にか動きを止め、キャビネットの上に飾られた肖像画を一心不乱に見つめていた。


「この女性って、もしかして……?」

「私のママよ」


 弟の瞳がぎこちなくこちらを見つめた。


「どんな人だったんですか?」


 不安そうに眉を寄せ、なにか心配事があるような顔つきだ。


「はっきりと覚えているわけじゃないけど。控えめで優しい人だったわ」


 まだ私が幼い子供でいた遠い過去を振り返る。あれは前庭の花々をちらちらと舞う、白や黄色の蝶々を追っていたころの記憶だ。


 楽しそうにはしゃぐ私を、ママが優しく見守ってくれている。


「そんなに走ると転ぶわよ」と柔らかい声で言ってくれた忠告も虚しく、私は転んで膝を擦りむいた。


「あらあら、大変」


 ママは手にしていたハンカチを血の滲んだ個所に当てて、「痛いの痛いの飛んでいけ」とおまじないをしてくれた。


 どうしてかはわからないけれど、あのときの光景が無性に懐かしい記憶として呼び起こされた。


 なぜママは私を置いて出て行ったの……? 私がママにすら愛されていなかったから?


 アレックスと並んでママの微笑を見ていると、目の端に涙の滲む気配がした。


「今の姉さんによく似ていますね」

「……え」


 虚をつかれてアレックスを見つめる。「そうかしら?」と返事をしていた。


「ええ。ゾッとするほど」


 元から漂っていた部屋の静寂が戻り、ふと我に返った。


 さっきまでなにをしようとしていたかを思い出す。すぐさま行動に移すことにした。


 私は足元に視線を下げ、踏み台になる物を探した。しかし都合良くそんな台など見つからず、仕方なく書斎デスクとセットになった椅子を動かすことにした。


「姉さん?」と弟がキョトンとした顔で首を傾げている。

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