「姉様っ、診察はもう終わったの?」


 部屋へ戻る途中、妹のクリスティーナに声を掛けられた。沈んだ気持ちのまま「ええ」と返事をすると、妹は私の様子から察し、「そんな急には無理よね」と悲しそうに目を伏せた。


「ねぇ、クリス。お母様は?」

「礼拝堂よ。今日も姉様を想って祈りを捧げているわ」

「……そう」


 どこか複雑な心境だった。私の犯人かれに対する気持ちは純粋な恋心なのだ。祈りなどなんの意味もない。


「お父様がおっしゃるように今は心の休養が必要なんだわ。私も姉様が元気になることを祈ってるから」

「ありがとう」


 妹もお母様も、私に憐憫れんびんの情を向け、どこか腫れ物に触るような対応をしていた。


 誘拐犯に囚われながら生き抜くには、彼に好意的な感情を持つしかなかったーーマリーンはそんな自己催眠をかけてしまうほどの恐怖を味わった、そう誤解されていた。


 エイブラムへの気持ちは催眠なんかじゃない。彼女たちの誤解を解きたい気持ちはあったが、まずは彼を出してもらうのが先だ。


 お父様は彼をいつまで閉じ込めるつもりかしら。私と同じ目にって言っていたから十数日? それで本当に出してくれる?


 そう考えたところで、ううん、と首を振った。そんな悠長なことは言っていられない。


 彼は男爵家の人間だ。オークランド男爵に息子が監禁されていることを知られたら、大変な事態になる。私の恋心や縁談どころではなくなる。


 なんとしてでも、彼を出してもらわないと。けど、どうやって?


 考えは堂々巡りだった。ふたりの侍女に見張られている今、どうやってこれをやり遂げればいいのだろう。


 考えに考え抜いた結果、就寝時のベッドのなかで妙案がひらめいた。そのきっかけとなったのが、夕食の席で聞いたお父様の話だ。


 家族そろっての食卓で、お父様が明日の予定を私たちに告げた。


「明日は母さんと一緒に南ウェールズまで行ってくる。レスター侯爵の屋敷に従事する医者がかなりの腕利きだそうでな。マリーンの現状を話して薬を調合してもらうつもりだ」


 私をはじめ、妹や弟もピタリと手を止めてお父様とお母様を見つめた。


 レスター侯爵の屋敷ということは、お母様の生家であるラッセル家だ。ここイングランドの西部から鉄道を使ってもかなりの時間が掛かる。


「じゃあ……戻りは夜になるということですか?」


 私が抱いた疑問をそっくりそのまま、弟のアレックスが質問した。


「そうだな。久々の訪問となるうえ挨拶も兼ねるとそのぐらいにはなる」


 わかりました、とそれぞれが返事をし、食事を再開した。


 今の私に薬など必要なかったが、お父様が長時間屋敷をあけるというのは好都合だった。


 翌朝、すでにお父様たちが発ったのを確認し、私は昨夜にひらめいた妙案を侍女たちに披露した。


「ば、薔薇風呂、ですか?」

「ええ」


 朝食のあと部屋へと戻り、侍女たちが用意した新しい帽子を試しながら鏡越しに言った。


「薔薇の花を百本ほど用意してくれる? 今夜はどうしてもそのお風呂に入りたいの」

「……はぁ。しかしお嬢様、さすがに百本ともなるとこの辺りの行商では……」

「平気よ。馬車と鉄道で往復三時間はかかるけれど、有名な薔薇園があるじゃない。今からふたりで行って、手に入れてきて欲しいの」


 お父様が屋敷をあけた今日、私は侍女たちに無理難題の買い物を頼んで、日中の監視をまぬがれようと考えていた。


「ですがお嬢様……」と左に立ったスーザンが難色を示した。

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