8.誤解と焦燥


 一階グランドフロアの客間にあるソファーの手すりに肘をつきながら、すぐそばに位置した窓の外をぼんやりと眺めていた。


 赤や黄色、オレンジの花色が風にあおられ揺れている。その上を黒いものがちらちらと舞った。前庭の花壇を住処とする黒アゲハだ。


 長いガウンを着た医者の男がお父様と対面する形で座り、咳払いをした。


「ですから」と言葉を継ぎ、私は現状へ引き戻される。


「おそらくお嬢様は、生存本能に基づく自己防衛、と言いますか……犯人と長い間一緒にいたことで生じた一時的な感情に、いまだ支配されているのでしょう。時間をかけてでも元の生活を取り戻せば大丈夫です」


 もっともらしく語られる医者の見解を、どこか他人事のような気持ちで聞いていた。


「……そうか。して、その時間とはいったいどのぐらい必要だ?」


 せっつくお父様から視線を下げ、医者は困惑顔になった。「それはなんとも……」ともごもご答えるのが精一杯の様子だ。


「個人差もありますから」


 取り繕う医者の言葉にお父様は不機嫌な顔つきで眉を寄せた。どこか胡散くさく聞こえたのだろう。


 私は呆れて息をつく。犯人への恋心を、自己防衛から生じる思い込みだと言われても仕方ないのだが、そもそも彼とは出会いから違っている。


 エイブラムは野蛮な誘拐犯じゃない。幼馴染であり、憧れを抱いた男性だ。


 けれどお父様がいる手前、彼が死んだはずの幼馴染だったと告げられずにいた。


 およそ十七日ぶりに屋敷の門をくぐったのは、一昨日のことだ。


 使用人の手を取り、馬車から降りた私を家族が出迎えてくれた。お父様も一緒だった。


「本当に良かった、姉様」


 妹のクリスティーナが目に涙をためながら私へと抱きついた。


「きっと神様に祈りが通じたんだわ」とお母様も嬉しそうに泣いて、妹ごと私を抱きしめてくれた。


「無事で何よりです」


 弟のアレックスも稀に見せる笑顔で私との再会を喜んでいた。


 私は、私ひとりがいなくなったところでこの屋敷は変わらない、お父様以外だれも心配なんてしない、とどこかで思い込んでいた。私は出来そこないで、そもそも母親が違うから仕方ないという諦めもあった。


 ーー『そんなに完璧じゃないといけないのか?』


 ふいにエイブラムに言われた言葉を思い出した。


 ーー『キミは自分を卑下して、先入観で周りの奴らを見ている』


 当たってる。どうせ私なんて、とできない自分を可哀想に思うことで、私は私をなぐさめていた。


「ありがとう」


 家族の想いに胸を熱くしながら、私も少しだけ泣いた。妹に関しては彼の共犯者かもしれないと疑ったことを、改めて申し訳なく思った。


「今夜はもう部屋で休むといいわ。お腹が空いているだろうから、使用人になにか作らせるわね」

「あ、でも。ちょっと待ってっ」


 私は焦った。私が今しがた降りた馬車より遅れて到着する馬車を待ちたかった。使用人と共に強制的に連れられるエイブラムを。


 お父様は彼を地下貯蔵庫に連れて行くよう命じていたから、それをこの場で阻止したいと思っていた。


 そんなことはつゆ知らず、お母様が手をパンパンと叩いて「マリーンの侍女たちをここへ!」といくらか声を張り上げた。


 程なくして、マーサではない二人の侍女が現れた。それぞれがメアリーとスーザンと名を名乗り、彼女たちの名前を一応は頭に入れる。


「……あの、お母様。マーサは?」

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