3
「彼を、どうするの?」
「……マリーン。おまえが気にすることじゃない。先に屋敷の者と外に出ていなさい」
戸口に立つお父様のわきに男が二人付き従っていた。
ミューレン家の屋敷に勤める使用人とあとの一人は見慣れない男だ。おそらくはさっき聞いた探偵だろう。使用人は護衛目的で連れて来られたに違いない。
今しがた瓶で殴られた男も意識を取り戻し、首の後ろを押さえたままヨロヨロと立ち上がった。
「さぁ、マリーンお嬢様。お早くこちらへ!」
腕を引かれそうになって、私は即座に身を引いた。
「マリーン……?」
胸の奥がざわざわと騒いだ。彼を置いて行っちゃだめだと本能が訴えていた。今ここを離れたらきっと取り返しのつかないことになる。
エイブラムはお父様の手によって、今度こそ確実に殺される。
「なにをしている、おまえたち。早くマリーンを連れて外へ出ろ!」
お父様が使用人たちへそう急かしたとき、エイブラムの頭に向けられていた銃口が大きく逸れた。その機会を見逃さなかった。
床板を蹴り、私はお父様とエイブラムの間に割って入った。彼の頭を庇うようにギュッと胸に抱きしめた。
「マリーン」と彼が呟いた。その声と体温に心臓の奥がきゅんと痛くなる。
「ま、マリーン? なにをしている……?」
「お願いします、お父様! 彼には危害を加えないでくださいっ」
「しかし、こやつはおまえを……っ」
「彼は私をここへ連れて来て、閉じ込めただけよ。それ以外にひどいことはなにひとつされていないわ!」
「離れるんだ、マリーンっ!」
「いやよっ! 絶対いや! 私は彼を愛しているの!」
叫ぶように口にして、ようやく気がついた。
幼いころ、似たような境遇に親しみを覚え、私と彼は友達になった。
それから十六年の時を経て、また会えた喜びとときめきで涙が溢れた。
弾けるようなエイブラムの笑みに胸が締め付けられた。
彼と過ごした時間もこの温もりも、もう二度と失いたくない。だからだれにも奪わせない。エイブラムのことは私が守る。
ギュッと彼を抱きしめたままで私はそこを離れなかった。お父様が私の腕を引いて立ち上がらせようとしても、いやいやと首を振り、一切応じなかった。説得も全て無視をした。
先に折れたのはお父様だった。
「わかった。マリーンがそこまで言うなら、この銃は仕舞う。サミュエルに危害も加えない」
「本当!?」
「ああ、約束しよう。だからマリーン、いったん彼から離れて屋敷へ帰るんだ」
「彼も……一緒?」
「……そうだな、このままミューレン家へ招こう」
抱きしめていた彼をそっと解放し、その表情を確かめた。エイブラムは頬を赤く染めていた。「窒息するかと思った」と恥ずかしそうに呟いた。
そんな彼を見つめて、愛おしさが増した。青く澄んだ瞳と目が合うと、自然と笑みがこぼれた。小春日和のような暖かさが私たちを満たしていた。
「一緒に来て? エイブラムさん」
私は彼の左手を取り、立ち上がらせようとした。
「ただし……マリーンと同じ苦痛は味わってもらう」
「え?」
振り返ってお父様を見たときには、もう遅かった。お父様が銃のグリップで突然彼の頭を殴りつけた。ガツッと音がし、彼が床に倒れる。
「エイブラムさんっ!」
倒れた彼を揺り起こそうとするが、呆気なくお父様の手に捕まった。両手を後ろ手に掴まれて、びくともしない。
「いやっ、お父様っ、離して!」
「おい、サミュエルを屋敷まで運べ!」
「はい!」
胸を突き上げる不安と恐怖で、目頭がカッと熱くなる。とめどなく溢れ出る涙がはらはらと頬をつたった。
「やめて!」と泣き叫んでも、だれも聞き入れてくれない。
「ちゃんと縛り上げてからだ! 途中で目を覚ましたらどうする!」
「はい、か、畏まりました!」
そのまま連れて行こうとする使用人たちを怒鳴りつけ、お父様は彼らに指示を出す。
「地下の貯蔵庫に空きを作って、閉じ込めておけ! そやつの処遇は帰ってから決める!」
「いやっ、彼にはなにもしないって約束したわ! 乱暴なことはしないで、お願いよ、お父様っ!」
「さぁ、マリーン。帰るんだ」
「いやぁっ……! エイブラムと一緒にいるっ、彼から離れるなんていやよ!」
「わがままを言うんじゃないっ!」
泣きじゃくる私を力づくで引っ張り、お父様が部屋から私を連れ出した。
階段を登った先のドアは壊されていて、なにもないさびれた一室の向こうに、空が広がっていた。
数日ぶりに見る空は茜色に染まっていた。彼がいなくなるかもしれない恐怖で胸が押し潰されそうなのに、その色を綺麗だと思った。
馬車に押し込められるまで、空を仰ぎ見て泣いた。愛しい人の名前を何度も繰り返しながら、感情の行き場を探すように私は泣き続けた。
***
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