「……もしかして。それでさっき言ったの? マーサとの計画がだめになりそうだって」

「そうだ。元々彼女はキミの父親……ローダーデイル伯爵の持病を利用しようと考えていた。奥方が行方不明となった過去を持つ伯爵なら……、愛娘キミが同様にいなくなることで心臓を弱らせ、床に伏せる可能性があると踏んで……。けれど、そうはならなかった」

「……そう。それじゃあ。お父様は元気なのね?」

「ああ。マーサ・アリソンが伯爵の殺害を考えていたのかどうかはわからないが……。

 もしも当主がそのような危篤に陥れば、共によう頼んでいたんだけどな」

「裏庭の花壇を……?」


 なぜ、と疑問を口にしようとするが、先にエイブラムの声が遮った。


「マリーン、キミの花壇だったよね?」

「ええ、そうよ。今はデイジーの花が満開で咲いているはずよ?」


 その花壇を掘るとなれば、あの愛らしい花たちは途端に居場所を失い、枯れてしまう。


 エイブラムが優しく目を細めて私のすぐ側に回ると、そこに膝を着き、腰を落とした。


「ずっと黙っていて悪かった」

「……え?」

「そもそも十六年前。ローダーデイル伯爵がたった九歳の少年に手をかけたのは、マリーン……キミと親しくしていたからじゃないんだ」

「どういうこと?」


 手にしたカトラリーを置いたとき、ビクッと肩が震えた。


 ……え。なに……??


 どこか離れた場所で大きな物音がしたのだ。瞬時にエイブラムが眉根を寄せる。


 立てた人差し指を唇に当てたまま、彼は険しい顔つきで立ち上がり、たったひとつの出入口を睨んだ。


 椅子を引いて立ちあがろうとする私を静かに押しとどめ、「そこにいて」とささやき声で告げられた。


 彼の手が机上にあるミルク瓶を掴んだ。


 扉の向こうに続く石畳みの通路に、カツンカツンと何者かの足音が響く。エイブラムが扉の裏側になる場所へそろりと近づき、そこで息をひそめた。


 私が彼を出し抜いたときと同じように、彼が息を詰めて扉の向こう側を窺っている。


 突然ダン、と短く銃声が鳴った。


「っきゃあ!」


 静寂の中での発砲に悲鳴がもれた。両耳を押さえたまま椅子からなだれるように落ちて、床に膝を着く。体を縮こめ、扉の方へ視線を向けた。


 ギィ、と乾いた音がした。内側に開く扉を見て、鍵が壊されたのだと知った。


 外にだれかが立っている。瞬間、ハッと息を飲む男と目が合った。


「マリーンお嬢さ、」


 ゴツッと鈍い音がした。救出に現れた、おそらくは屋敷の使用人だと思われる男を、エイブラムが瓶で殴りつけたのだ。男が床に倒れた。


「マリーンっ、こっちへ!」


 真っ直ぐに伸ばされたエイブラムの腕。黒い革手袋をした手を取ろうと、腕を持ち上げるものの、腰が抜けてうまく立ち上がれない。


 震える指先を彼に向けたとき、彼のこめかみに黒く細長い筒が当てられた。


 先に倒れた男の手には、銃は握られていなかったのだと、そのとき初めて気がついた。


「そこまでだ、サミュエル。その場にひざまずけ」


 視線をわずかに下げて、彼の足から力が抜ける。エイブラムの顔がわなわなとおののいた。白く美しい顔から血の気が引き、真っ青になる。


 彼は私へと伸ばしていた手を降参の形で持ち上げ、その場に膝を着いた。手にした瓶が床に置かれる。


「……お、とう様」


 彼に銃口を押し当てている当人を見つめ、声が震えた。


「ああ、マリーン。探し出すのが遅くなってすまない。もう大丈夫だよ」

「どうして、ここが……?」


 エイブラムから屋敷との交渉は一切しないと聞いていたので、どうやってこの居場所にたどり着いたのかが気になっていた。


「探偵を雇ったんだ。おまえがいなくなったあの日、屋敷に出入りした行商人を調べたら、ひとり不審な男がいたと報告を受けてな。

 マリーンが裏庭で消えたことと、ちょうどそのとき侍女が付いていなかったことを探偵に言ったら、引っかかると言われて……侍女に暇を出してその動向を調べさせた」


 探偵を……雇っていた?


 その結果、私がいなくなる直前まで一緒だったマーサは、早い段階で疑われることになったのだ。


「あの侍女がたびたび会って紙袋を渡していたのが、このサミュエルだった。袋を受け取ったサミュエルを探偵に尾けさせて、ここにたどり着いたんだ」

「……そう、だったのね」

「ああ。こんなところに閉じ込められて、さぞかし恐い思いをしただろう。私が来たからにはもう大丈夫だ。さぁ、こっちへおいで?」


 こちらに差し出されたお父様の左手を見つめ、私はゆっくりと立ち上がった。数歩前進し、拳銃に肝を冷やす彼を横目にとらえた。


 銃口をググ、と押し付けられ、エイブラムが頭を下げた。

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