7.心を通わせる


 朝に聞いたエイブラムの告白を、信じたいと思い始めていた。


 彼が幼いころに心を通わせたイブなら、私を陥れたりはしない。会うのは十六年ぶりで、お互いに性格や考え方が変わったかもしれないけれど、イブなら信じられる。信じたいと思った。


 すぐにでも触れ合える距離に彼の体温を感じて、今こうしてベッドの縁に並んで座っているのが急に恥ずかしくなった。


 ーー『それじゃあエイブラムさんは。以前まえから私のことが好きだったってこと?』

『……そうだよ』


 この耳で一度聞いた言葉を思い出し、顔の中心から熱が生まれる。私は頬を熱くし、俯いた。


 彼の左手はまた革手袋をしていて、金魚のあざが見えなくなっていた。


「マリーンは……今でもまだ、あの屋敷に帰りたいか?」

「……え」


 顔を上げると、エイブラムの視線と重なった。私の赤面に気付いたはずだが、つい今しがたマーサのことを思って泣いたあとなので、彼は切なそうに眉を寄せるだけだった。


「それは……」


 つい歯切れの悪い返事をしてしまう。


 仮面の男がエイブラムだと知った今朝の時点でなら、迷いつつも「帰りたい」と言ったに違いない。


 けれど、そのエイブラムがイブだったと知り、私のなかで状況が大きく変わってしまった。


 屋敷にいる家族や侍女のマーサが気がかりではあるけれど、帰ればこうしてイブに会うのが困難になるかもしれない。


 もう会えなくなるのは嫌だと思っていた。


「エイブラムさん、私ね」


 そう言った途端、下の方から間の抜けた低音が響いた。空っぽの胃がぐうぅ、と音を鳴らし、続いてきゅるきゅる、と私の食道に訴えた。


 嘘でしょ、このタイミングで……!?


 案の定、顔の火照りは耳たぶにまで到達する。


「っははは!」


 彼が突然吹き出した。私を見て相好を崩し、肩を二、三度ポンポンと叩かれた。胸の奥がキュッと痛くなる。


「だから言ったのに」


 エイブラムに手を引かれて、大人しくテーブルに着いた。出された食事を口に運ぶしかなくなった。


 じゃっかんむくれたままでカトラリーを手にすると、彼は向かいに立ったままで嬉しそうに微笑を浮かべた。


 ひとつ咳払いをしてから、「いただきます」と言い、ソーセージを口にする。その味に満足しながらも、どうしてろくに動いてもいないのにお腹がすくのかしら、と考えた。


「前から聞きたかったんだけど、この食事はどこから調達しているの?」


 ひとくち分を飲み込み、手で口元を押さえた。


「もちろん、サミュエル家の屋敷からだよ」

「……そうなのね。じゃあ私の洋服や本は? マーサが用意したのよね?」

「ああそうだ。服も寝巻きも肌着も、彼女が全て見繕ってくれている。俺は渡された物をそのまま運ぶだけだから、キミの衣類に関しては一切見ていない」

「……そう」


 以前、私が変態さんと呼んだことをいまだに気にしているようで、口元がいくらかにやついた。


「やっぱり。マーサとは毎回、隠れて会っていたのね。たびたび屋敷を抜け出して、マーサは大丈夫なのかしら?」

「それなんだが……」


 私のため息に同調するように、エイブラムが眉をひそめた。


「どうも何日か前からいとまを出されているらしい。直接のあるじであるキミが戻らないからだと彼女は言っていたが……。なにかしらの罰則なのではないかと俺は思ってる」


 彼の杞憂に合点がいった。私もそれを感じていたからだ。の側を離れたことに対する罰を受けているかもしれない、と。

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