夕食の盛り付けが済んだのか、彼が皿から顔を上げる。まともに目が合った。


「あなたに誘拐を依頼したの、彼女なんでしょう? マーサ・アリソン」


 エイブラムはなにも言わず、ミルク瓶を傾けてコップに注いでいたが、目は肯定していた。そうだ、と言っている。


「当たりでしょう? マーサは私の洋服のサイズや趣味嗜好について完璧に把握しているもの。それに……あなたはイブとの思い出を知っているような口ぶりだった。あの屋敷でイブのことを話したのはマーサだけ。彼女しかありえないわ」

「半分当たりで半分はずれ、と言ったところかな。俺に誘拐を頼んだのは彼女で間違いない」


 やっぱり、と思う反面、なにか切なさのようなものが込み上げた。キュッと心臓をつままれたように痛くなる。


「じゃあ……なにがはずれなの?」


 平然と痛みを無視して、わざと強がってみせた。


「キミのその幼なじみについての話は、全く聞いていない」

「………うそ」

「嘘じゃない」


 じゃあ。私の思い違い?


 疑心暗鬼のあまり、深読みをしすぎたということだろうか。


「さぁ準備ができた。マリーン、おいで?」

「え、えぇ」


 顔を隠していたときはもう少し言葉づかいが雑だったはずだ。彼への印象がコロコロと変わり、調子が狂った。


 椅子を引かれて席に着く。手元にナフキンを寄せられ、膝の上に広げる。


「マーサ・アリソンが依頼人だと気付いたのはさすがだった。さて……なにから話すべきか」


 背中に彼の存在を感じて、気持ちがやけにふわふわして落ち着かない。ことに男性に対しての免疫がないのだ。意識しっぱなしの自分が情けなかった。


「その前に……教えて? 素性を知られたから話そうと思ったの? 今までのあなたなら、それは言えないって言って、ダンマリで押し通していたはずよ」

「いや。彼女との計画がそろそろ頓挫しそうなんだ。今日ここへ来るのが遅れたのも、彼女が待ち合わせ場所に現れなかったからだし……。これからどう動くべきか、考えなくちゃいけない」

「私は……。まだ帰れないということ?」


 振り返って彼を見上げる。エイブラムは私を見下ろしたまま口を固く結んでいた。


 まつ毛を伏せ、憂鬱そうに何かを考え込んでいるような表情だった。


 それまで椅子の背もたれにあった彼の手が離れ、エイブラムの背中が見えた。彼は私から距離を取り、いつものようにベッドの縁に腰を下ろした。


 大きな黒いフードをかぶったままの横顔で、また彼の表情がわからなくなった。


「……キミは。侍女のマーサ・アリソンについてどこまで知っている?」

「っえ、」


 急な質問に声がうわずった。乾いた唇を舌で湿らせてから、マーサのことを考えた。


「マーサは。私の気持ちを察するのが上手な人だった。いつもそこにいてくれるだけで安心したわ。優しくて穏やかで、彼女になら悩みを打ち明けることもできた。姉のような存在よ。

 でも、マーサにもつらいことがあって、何年も前に弟さんを事故で亡くしているって聞いた。当時は塞ぎ込んで大変だったけど、私との生活を始めてようやく安定したって……」

「なるほど」


 エイブラムはなにかしらを思案している。彼のシルエットから視線が床に張り付いているのはわかったが、感情は全く見えない。


「彼女からは、マリーンは妹のように可愛い存在だと聞いている。主従関係でありながらも、キミたちは姉妹のような関係性だったんだな」


 姉妹……。

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