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エイブラムの瞳は真剣そのもので、とても出鱈目を言っているようには見えなかった。
「あの舞踏会の夜は、偶然だったんだ。本当に偶然、キミに会えた」
「なによそれ……それじゃあエイブラムさんは。
「……そうだよ」
「嘘よ、そんなの……。だって私、取り柄もなんにもない、ただ伯爵家に生まれたっていうだけで……高慢に見られるし、頭も良くないもの」
「そんなに完璧じゃないといけないのか?」
「……え」
「キミはキミの魅力に気付いていない。欲しいと思ってる奴がたくさんいるのに、マリーンは気付かないんだ。自分を卑下して、先入観で周りの奴らを見ている」
エイブラムの深く青い瞳に、どこか非難されている気がした。シャンとしろ、とその目が物語っていた。
彼はスクっと立ち上がり、私とすれ違うとテーブルまで歩いた。そこに置いていた懐中時計を持ち上げ、時間を確認している。
「俺のことは別に断ってくれていい。キミを側に置いておきたいだけで、あの屋敷から攫ったわけじゃないから」
すでに片付けておいた食器入りの紙袋を持ち上げると、彼は出入口へと進んだ。帰るのだと察して、慌てて声を上げる。
「ま、待ってよ! まだ聞きたいことが」
「また六時に来る。そのときに話そう」
扉は呆気なく閉ざされた。いつものように金属の擦れる音が鳴り、彼の靴音が遠ざかる。
即座に足から力が抜けた。
「なんなのよ……」
再びベッドに腰を落とした。自らの重みでボスンと音がして、白いシーツにシワが入る。
一度にたくさんのことが起こり過ぎて、軽く頭が混乱していた。
仮面の男が、まさかのエイブラムだった。
それも偶然出会って、いいなと思った相手で、実は彼も私のことが好きだったなんて……そんなの話がうますぎる。
第一、私は彼自身についてなにも知らないのだ。ただ見た目の美しさに一目惚れしただけ。
なのにあの人は私を好きだったって……そんなの信じられるはずがない。
質問にだって満足には答えてくれなかったし、話題をすり替えられた気さえする。
婚約者候補に申し込んだのなら、お父様やお母様からその話をされないのも変だ。
きっと上手く言ってはぐらかしたんだわ、都合が悪いと思って。そうに決まってる。
「乙女心をもてあそぶなんて、ひどい人。あとで来たらとっちめてやるんだから」
そうひとりごちるものの、頬には熱がこもっていた。
*
懐中時計を首からぶら下げたまま、夕方の六時を待った。
エイブラムが持ってきてくれた本の続きを読んで待てば良かったのだが、頭の中が彼のことでいっぱいで、内容が入りそうになかった。だから読書はやめにした。
ベッドの上に座り込んだまま、出入口の扉を数分おきに見つめ、ため息をついた。
時計の長針がちょうど真上をさしたのに、彼は現れない。時間に正確な人でいつも遅れたりはしなかったのに。
どうしたんだろう……?
モヤモヤした。顔を見られたことで来なくなったりすること、ある?
でも六時に来るって言ってたし……。
みぞおちの辺りで響く時計の秒針が鳴れば鳴るほど、不安になった。
手で持ち上げて文字盤を見ると、すでに十分が過ぎていた。
もしかして本当に来ない?
焦ってベッドから降りようとしたとき、扉の向こうでガチャガチャ、と金属音がした。
「すまない、遅くなった」
紙袋をひとつ抱えたエイブラムが入ってきて、胸のすく思いがした。彼の存在を目でとらえ、自分でもわかりやすいほど安堵していた。
あの仮面がないだけで、エイブラムは黒いフードをかぶっている。
「腹が減っただろう、すぐに支度をする」
テーブルに紙袋を置き、エイブラムが中から薄いパンやソーセージを取り出した。戸棚をあけ、木製の皿とコップ、カトラリーを並べている。
「まだいいわ。
「……なら、準備をしながら話す。途中でキミのお腹が鳴るかもしれないからな」
「っな」
その物言いにカチンときた。
「デリカシーのない人ね! レディに向かってその言い方はどうなのかしら!」
彼に近づいて非難した。腕を組んだままで睨みあげると、どういうわけか彼が口元を綻ばせた。優しい笑みを見て、ポッと胸が熱くなる。
「な、なによ?」
「マリーンが……そうやって感情を見せてくれると安心する」
え……。
いまいち意味を理解できず、言葉が出なかった。
「あの屋敷では、暗い顔で俯いていることが多いと聞いていたからな」
「……それは。私の侍女の……マーサから聞いたの?」
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