感情のコントロールが効かない。喉奥から込み上げるものを感じて、唇がへの字に曲がる。嗚咽がもれた。両手で顔を覆い、暫く泣き続けた。


 会ったばかりの、顔も知らない相手に、私はまた悩みを打ち明けている。どうしてこうも弱いところをさらけ出してしまうのか。納得のいく理由が見つからなかった。


「きっとその子は……マリーンがそう伝えていたとしても。めげずに迎えに来ただろうな……」

「……え」

「子供なんてそんなものだろう。目の前にあるオモチャを取り上げられて、素直に従うことなんかできない」


 両手で涙を拭い、グス、と洟をすすった。男の表情が無性に気になった。この男がいったい誰であるのかも。


「そうね」


 この男はもしかすると、私とイブのことまで知っていたのではないか。


 男が先ほど口にした言葉から、なんとなくそう思ってしまった。単なる言葉のあやなら仕方ない。


 けれど私は、屋敷を抜け出して遊んだとは言ったが。イブが私を迎えに来ていたとは言っていない。


 知っていたとしたら、それこそ共犯者から聞いていたからだ。だとしたら、共犯者それは妹じゃない。だ。


 やっぱり……っ、あの人なんだ。


 膝に敷いていたナフキンを取り、涙が止まるまでグッと押さえた。


 *


 一日に二度の様子見と、男との会話、朝食と夕食。


 食事とは別に、男は数日に一度のペースで、私に必要なリネンや洋服を部屋に運び入れた。さらには読み終えた本を新しいものと交換した。


 好みなど一切伝えていないのに、男が持ってくる物はどれも的確だった。


 私は男に共犯者がだれなのかを問い詰めなかった。男に誘拐を依頼した動機は気になったけれど、直接本人から聞きたいと思っていたからだ。


 私と男の日々は、そうして穏やかに続いた。


 お互いの存在に慣れてしまい、私と同様に男の警戒心も薄れたのだろう。


 そうでなければ、一緒にいる時間に男が居眠りをするはずがなかった。人質の目の前で、あまりにも間の抜けたミスだ。


 本に集中しているからといって、それに気付かないほど私は鈍くない。


「寝て……るの?」


 ポツリと呟き、ベッドの背にもたれかかる男を注意深く観察した。


 本をわきに置き、ベッドから降りる。床の軋む音にも、そうっと動いて対処した。


 男の目の前に座り、ジッと正面から見据えた。仮面に空いた目の穴に、まぶたを伏せたまつ毛が垣間見えた。


 少しだけ近づき、耳をそばだてると、かすかに寝息を立てている。


 しめたわ……!


 本来なら男の手元や服のポケットをさぐって、部屋と階段奥の扉の鍵を手に入れるのが先決かもしれない。


 けれど、私はそうしなかった。


 と接点のある男の正体が気になっていた。男の素性が知れれば、ことの全貌を教えてもらえるかもしれない、そう期待した。


 ゆっくりと手を伸ばし、男の黒いフードを指先でつまんだ。


 男は私に乱暴するでもなく、お金目的にお父様と交渉するでもなく、ただ私を連れ去り軟禁した。


 私に危害を加えたり、敵意を向けない。にもかかわらず、男は顔を見せるのを嫌がった。


 黒いフードを外し、艶やかなブラウンの髪が覗いた。ボサボサな様子はなく、身なりに清潔感が窺えた。


 よし……。


 ゴクリと唾を飲み込み、呼吸に気づかれないよう息をつめる。


 男の正面から慎重に手を伸ばし、白い仮面に指先を引っ掛けた。


 そのままエイッと、とひと息にはぎ取った。


「……っ、え?」


 ただ静かに眺めるだけで、声をもらすつもりは更々なかった。


 取ったばかりの白い仮面が、私の指先から滑り落ちた。カラン、と乾いた音が鳴る。


「なんで……?」


 目の前で眠る彼の姿が、ただただ信じられず、硬直したままで動けなかった。


 ピクリとまぶたが痙攣し、彼の長いまつ毛が震えて持ち上がる。


「マリーン……?」


 青い瞳が私をとらえ、僅かに眉が寄せられた。髪と同じ毛色の形のいい眉だ。


 震える唇を止められず、私は手で口元を押さえた。


 彼の瞳が私の反応と、私の手元に落ちた白い仮面をとらえ、察したようだった。


 彼はハッと目を見張り、自らの手で顔を触った。動揺から目が左右に泳いでいる。


 彼は初めて見たあの舞踏会の夜と同じく、美しい顔立ちをしていた。


 スッと通った鼻筋と二重の双眸が、高貴な印象を抱かせる。


「あなただったのね。……エイブラム・ド・サミュエルさん」


 ***


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