4
感情のコントロールが効かない。喉奥から込み上げるものを感じて、唇がへの字に曲がる。嗚咽がもれた。両手で顔を覆い、暫く泣き続けた。
会ったばかりの、顔も知らない相手に、私はまた悩みを打ち明けている。どうしてこうも弱いところをさらけ出してしまうのか。納得のいく理由が見つからなかった。
「きっとその子は……マリーンがそう伝えていたとしても。めげずに迎えに来ただろうな……」
「……え」
「子供なんてそんなものだろう。目の前にあるオモチャを取り上げられて、素直に従うことなんかできない」
両手で涙を拭い、グス、と洟をすすった。男の表情が無性に気になった。この男がいったい誰であるのかも。
「そうね」
この男はもしかすると、私とイブのことまで知っていたのではないか。
男が先ほど口にした言葉から、なんとなくそう思ってしまった。単なる言葉のあやなら仕方ない。
けれど私は、屋敷を抜け出して遊んだとは言ったが。イブが私を迎えに来ていたとは言っていない。
知っていたとしたら、それこそ共犯者から聞いていたからだ。だとしたら、
やっぱり……っ、あの人なんだ。
膝に敷いていたナフキンを取り、涙が止まるまでグッと押さえた。
*
一日に二度の様子見と、男との会話、朝食と夕食。
食事とは別に、男は数日に一度のペースで、私に必要な
好みなど一切伝えていないのに、男が持ってくる物はどれも的確だった。
私は男に共犯者がだれなのかを問い詰めなかった。男に誘拐を依頼した動機は気になったけれど、直接本人から聞きたいと思っていたからだ。
私と男の日々は、そうして穏やかに続いた。
お互いの存在に慣れてしまい、私と同様に男の警戒心も薄れたのだろう。
そうでなければ、一緒にいる時間に男が居眠りをするはずがなかった。人質の目の前で、あまりにも間の抜けたミスだ。
本に集中しているからといって、それに気付かないほど私は鈍くない。
「寝て……るの?」
ポツリと呟き、ベッドの背にもたれかかる男を注意深く観察した。
本をわきに置き、ベッドから降りる。床の軋む音にも、そうっと動いて対処した。
男の目の前に座り、ジッと正面から見据えた。仮面に空いた目の穴に、まぶたを伏せたまつ毛が垣間見えた。
少しだけ近づき、耳をそばだてると、かすかに寝息を立てている。
しめたわ……!
本来なら男の手元や服のポケットをさぐって、部屋と階段奥の扉の鍵を手に入れるのが先決かもしれない。
けれど、私はそうしなかった。
あの人と接点のある男の正体が気になっていた。男の素性が知れれば、ことの全貌を教えてもらえるかもしれない、そう期待した。
ゆっくりと手を伸ばし、男の黒いフードを指先でつまんだ。
男は私に乱暴するでもなく、お金目的にお父様と交渉するでもなく、ただ私を連れ去り軟禁した。
私に危害を加えたり、敵意を向けない。にもかかわらず、男は顔を見せるのを嫌がった。
黒いフードを外し、艶やかなブラウンの髪が覗いた。ボサボサな様子はなく、身なりに清潔感が窺えた。
よし……。
ゴクリと唾を飲み込み、呼吸に気づかれないよう息をつめる。
男の正面から慎重に手を伸ばし、白い仮面に指先を引っ掛けた。
そのままエイッと、とひと息にはぎ取った。
「……っ、え?」
ただ静かに眺めるだけで、声をもらすつもりは更々なかった。
取ったばかりの白い仮面が、私の指先から滑り落ちた。カラン、と乾いた音が鳴る。
「なんで……?」
目の前で眠る彼の姿が、ただただ信じられず、硬直したままで動けなかった。
ピクリとまぶたが痙攣し、彼の長いまつ毛が震えて持ち上がる。
「マリーン……?」
青い瞳が私をとらえ、僅かに眉が寄せられた。髪と同じ毛色の形のいい眉だ。
震える唇を止められず、私は手で口元を押さえた。
彼の瞳が私の反応と、私の手元に落ちた白い仮面をとらえ、察したようだった。
彼はハッと目を見張り、自らの手で顔を触った。動揺から目が左右に泳いでいる。
彼は初めて見たあの舞踏会の夜と同じく、美しい顔立ちをしていた。
スッと通った鼻筋と二重の双眸が、高貴な印象を抱かせる。
「あなただったのね。……エイブラム・ド・サミュエルさん」
***
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます