4.脱出するために


 男との会話から、あらかた共犯者の目星はついていた。ただ理由がわからない。男に問いただしたところで教えてはもらえないだろう。


 だから自分自身で確かめる。


 なんとかあの男を出し抜いてここから脱出する、そして共犯者だと思われる直接聞きに行くのだ。


 **


「マリーン……っ、マリーンっ」


 青々とした生垣の向こうから、ささやき声が聞こえた。私以外のだれかに見つからないよう、声を潜めながらも、気づいてほしい気持ちが語気に現れていた。


「っえ、イブ!? どうして?」


 うっかり声を上げた自分にハッとし、周辺を見回す。今は使用人たちとかくれんぼをしている最中で、幸い側には誰もいなかった。


 つい先日、きちんと修繕された生垣に、また小さな穴があいていた。


 前ほど大きくはないけれど、子供ひとりなら充分通り抜けられる穴で、そこからイブが顔を覗かせている。


 どうやったの、と尋ねると、イブが同じ施設で暮らす仲間とやったのだと言っていた。外側から刃物を使って毎日少しずつ切っていたらしい。


 細かい小枝に洋服が引っかからないよう、気をつけて穴を通り抜けた。


 何日ぶりだろう。十日は会っていなかったはずだけど、イブが変わらず元気そうで嬉しかった。


「マリーンがあそこを通りかかってくれてよかった。ていうか、あの場所にはよく来るのか? 花も何もないけど」


 街中をイブと歩きながら、私はううん、と首を振る。


「普段はお庭の花壇ばかりで、イブがママのブローチを拾ってくれた日に入ったのが初めてよ? それからはあそこが外へ出られる唯一の場所だと思って……実はわたしも通路をつくろうと考えていたの」

「え、そうなんだ?」

「うん。だからありがとう」


 あいにく持ち合わせてはいなかったが、生垣の側に私はハサミを隠していた。


「あの場所は裏庭って呼ぶらしいんだけど。あそこにも花壇があれば花を見に行くふりをして、通路をつくれるのにって思ってたのよね。だからちょうど良かった」


 イブと出会ったころは、裏庭にはまだ花壇の存在がなく、かくれんぼをするという口実がなければ、わざわざ立ち入らないような場所だった。


 屋敷の玄関エントランスから正門までの広い前庭には、色とりどりの花が植えられていたけれど、お客様が通らない裏庭は、花壇それが必要とされていなかった。


 生垣に再び小さな通路ができて、私は一日のうちの数十分だけ、敷地内から抜け出し、イブと遊んだ。


 広場を通り、湖のほとりで座りながらお喋りや草花遊びを楽しんだ。


 **


 まぶたを持ち上げると、板張りの天井と石造りの壁が視界を埋め尽くしていた。


 夢を見ていた。子供のころに遊んだイブとの楽しかった思い出だ。


 唐突の別れがあまりにも衝撃的で、あんな日々があったことすら忘れていた。


 ベッドから起き上がり、懐中時計の時間を確認した。短い針が真下から少し傾いただけの位置をさしていて、あの男が来るまでに、まだ充分な時間があった。


 寝巻きのネグリジェからデイドレスに着替える。


 昨夜、壁に投げつけて割っておいた皿のカケラを袖口に忍ばせた。


 男は九時きっかりに来ると言っていた。部屋の扉はいつも内開きだ。


 私が考えた計画はこうだ。


 ベッドの上に全ての衣類を乗せて毛布を被せておく。私がまだベッドで寝ているように見せかけておいて、当の私は扉を開けたときに死角になる裏側に潜んでおく。


 男がすぐさま鍵を掛けるようなら陶器のカケラを使って脅し、その隙に部屋を出る。でももし、そのままテーブルかベッドに向かうようなら、凶器は使わずに部屋を飛び出す。


 正直なところ、足には自信があった。


 この建物から外に出られたら、誰でもいい、通行人に頼んで家まで送ってもらおう。


 あの男はそこまで悪人には見えないけれど、事情もなにも話してくれないし、家にも帰れないなんて、あまりにも理不尽だ。


 もちろん、名目上は誘拐なので仕方がないのはわかっている。


 懐中時計を確認し、男が来る九時を今か今かと待った。長針が数分前になったとき、時計をベッドの上に放置して扉の裏側になる場所に立った。


 カンカン、と靴音が聞こえた。


 平坦な床を歩いている足音じゃない。階段を降りてくるそれだ。


 来る、と思い、即座に息を詰めた。自然と脈が早まるのを感じた。まるで体全体が心臓になったみたいだ。


 扉一枚隔てた場所に男が立っている。こちらの気配を悟られぬよう、音に集中して神経を張り詰める。体を硬直させて鍵があくのを待った。


 金属音が擦れる音がし、扉が内側に開いた。


「おい、まだ寝てるのか?」

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