3
「あなたはそれを見ても平気なの? 娘を心配する父親を見て心が痛まないの?」
「食事中に席を立つのは無作法だ。ちゃんと座ってさっさと食べろ」
ぐ、と口を噤み、仕方なく椅子に座り直した。
悔しい……。悔しいけど、その通りなので言い返せない。
いつまで居るつもりかわからないが、男はパラパラと本をながめながらベッドに腰掛けている。
ふいに男をやり込めてやりたい気持ちが芽生えた。
「私の服と肌着だけど……。よくサイズがわかったわね。見た目からの想像でそろえたの?」
男は暫し無言で俯いた。参ったな、と言いたげにフードごしに頭を掻いている。本を傍らに置いた。
「俺を変態だと言いたいのかもしれないが……その質問にも答えるつもりはない」
「あら、そっ」
変態さん、と心で呼んでみる。
今度からそう呼ぶのも悪くない。男に対して呼び名がないのは、なんとなく不便だった。
「キミは」と男が言いかけて、言葉を切る。
時計の秒針がカチカチ鳴るだけの静寂が続くので、試しに応答する。
「なによ?」
男が私のほうへ顔を向けた。白い仮面のせいで相変わらず表情はわからない。
「マリーンは。あの屋敷にいて窮屈じゃないのか?」
「……え」
「母親とは血のつながりがないし、妹や弟には引け目を感じているだろ?」
「どう、して」
家族構成まで知られていたことに、今さらながら驚く。
私をよく知る人物に誘拐を依頼されたと考えるなら、知っていて当然かもしれないけれど。完全に不意打ちだった。
カトラリーを持つ手を止めて、私は男を見つめた。
「ましてや父親は溺愛という建前でキミから自由を奪っている。キミ個人を尊重しているわけじゃないのに……マリーンはそれでいいのか?」
「それは違うわ!」
男の言い草にカチンときて、再度、席を立ちそうになった。唇をギュッと結んだままで踏みとどまり、男に言い返した。
「お父様はちゃんと私を尊重してくれてる。確かにちょっとした束縛はあるけど、それはママのことがあったからよ。十六年前、ママがあの屋敷を出て行ったから……だから私にも出て行かれたらって。お父様は恐れているだけなの」
「キミ以外に家族がいるのに?」
「……それは」
「どのみちキミは、この先誰かと婚約してあの家を出る身だろう。父親はそれすら許してくれないのか?」
「……違う。そんなんじゃない。ただ私が、だれにも選ばれないだけ」
「選ばれない?」
男がわずかに首を傾げた。その仕草が、意味がわからないと言っているふうに取れた。
「私に好意を寄せてくれる男性なんて、今まで一度も現れなかった。伯爵令嬢でも、妹と違って愛嬌もないし低脳だから……だれにも相手にされないのよ」
言ってからハッとなった。顔の中心が熱くなり、「なんであなたにこんなこと」と自分勝手に文句をつける。
自分の弱みを見せてしまったことに、少なからず動揺していた。震える唇をギュッと引き締めた。
これ以上は何も言うまいと決めて、食事の残りを食べきった。ミルクのグラスももう空だ。
「マリーン……。キミは多分、色々と思い違いをしている」
「え?」
ナフキンで口を拭いていると、男がテーブルへと近づき、私が使った食器を割れないように、そっと紙袋に仕舞っていた。持ち帰って洗うのかもしれない。
「お喋りが過ぎたな。明日の朝、また九時に来る」
「……ええ」
「早く寝ろよ」
そう言って立ち去る背中に、「わかってるわよ、変態さん」と返した。
男は振り返ったが、なにも言わずに鍵を開けて出て行った。外側から施錠される音がした。
「なんで私、あんなこと」
私を無理やり屋敷から連れ出した張本人に、悩みを打ち明けるなんてどうかしている。馬鹿だ。馬鹿にもほどがある。
椅子から立ち上がり、ふと浴室に目を向けた。
試しに右腕や自分の長い髪を鼻に寄せてにおいを嗅いでみる。
特別、汗くささは感じなかったけれど、やはり体は洗いたい。
あと数分待って男が戻って来なかったら、入浴しよう。
そう思い、何気なく出入口の扉を見つめた。先ほど立ち去った男の後ろ姿を思い出し、頭の中に、ある考えが浮かんだ。
どうして思いつかなかったのかしら……。
テーブルの側にある戸棚をあけて、中を確認する。
陶器でできた皿が二枚とグラスがふたつ置いてあった。皿を手に取り、厚みなんかを確かめてみる。これは使えるかもしれない。
明日の朝、男がやって来たら試してみよう。
決意を固め、出入口の扉を再度一瞥してから浴室に向かった。
***
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