*


 次に男が現れたとき、私は青い表紙の本を開き、物語の中盤ぐらいまで読み進めていた。ほかにすることがなく、暇だった。


 男はガチャガチャと音を立てながら、また紙袋をふたつ抱えて入ってきた。出入口に鍵を掛けるのも忘れない。


 ベッドの上で膝を三角に曲げて読書する私を一瞥し、「面白いか」と聞いた。


「まだわからないわ。ラストが気になりはするけど」

「へぇ」


 私が大人しいからだろう、男の安堵が伝わった。男は紙袋の中から、また食べものを取り出した。


 薄いパンが数枚とチキンやソーセージの肉料理だ。それぞれ丁寧に紙で包まれている。前回と同様にミルク瓶も出てきた。


 もうひとつの袋からはグラスや皿、カトラリーなどの食器類を出してきて、空いた戸棚にいくつか収納していた。


 料理がきちんと皿に盛られ、テーブルへと並んだ。


「いつもは酒を飲んでいるだろうが、これで我慢してくれ」


 そう前置きをしてからグラスにミルクを注ぎ、「夕食だ」と声を掛けられた。食事はひとり分しかなく、男は食べないのだな、と思った。


 本を閉じてテーブルに近づく。初めて会ったときほど、男を恐れていない自分に驚いていた。


 手足を自由にされたことで、この状況にも慣れてきているのだろう。


 すぐ側に立つ男を見上げ、「いただくわ」と返事をする。


 私が椅子に座ると、白いナフキンが手元に寄せられた。


「あとそれから……これが必要だろう、渡しておく」


 男がポケットに手を入れ、金色のチェーンが付いた丸いものをテーブルの上に置いた。


「……あ」


 懐中時計だった。今の今まで、時間も分からずに生活していたので、時計の存在はありがたかった。


 今は夕刻の六時だ。


「俺は毎日、きっかり朝の九時と夕方六時にここへ来る。もし風呂を使うならそれまでの時間に済ませておけ」


 風呂、と聞いて肌着やネグリジェが置いてあったことを思い出し、少し不快な気分になる。


「わかったわ」


 ナフキンを膝の上に広げ、パンを食べはじめた。


 これまでも男が午前九時と午後六時に現れていたとするなら、前回来た時間は朝の九時だ。おそらくその前は前日の午後だと考えられる。


 私がこの部屋に軟禁されてから、丸一日が経過したことになる。


 すぐ出て行くものだと思っていたら、男がベッドの側に立ち、私がさっきまで読んでいた本を興味深そうにながめていた。


「あなたも本を読むの?」


 男が振り返り、「いいや」と返事をする。


「私が本を読むこと、誰から聞いたの? ミューレン家の者?」

「その質問に答えるつもりはない」

「そう。だと思った」


 ソーセージをフォークで刺して、齧る。冷めているけれど、なかなか美味しい。質がいいのだろう。


 そういえば朝に食べたりんごもパンも良質なものだった。


 仮面の男は単なる平民というわけでも無さそうだ。


 そう考えたところで、いや、と首を捻る。


 平民じゃないと決めつけるのはまだ早い。もしかしたら、私に必要な衣類や食事は、別の人間が用意しているのかもしれない。つまりは共犯者が。


 やはりミューレン家の誰か、という線が濃厚になる。そうなると共犯者であり、内通者だ。


「ねぇ。聞いても無駄だってことはわかってるけど。お父様は無事なの? 心労で倒れたりしていない?」

「屋敷の内部に関しては知らないが、当主は無事だ。今日は街の広場にキミの顔が描かれたビラが貼ってあったな」

「私の行方を、探してるってことね?」


 椅子を引いて立ち上がると、ガタ、と音が鳴った。

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