3
眠るまえまで両手足を拘束していた縄がすっかり無くなっていた。何故かはわからないが、あの男がほどいてくれたということだろう。
とにかく理由なんて考えている暇はない。ここから脱出するルートがあるかどうかを、急いで調べなくちゃいけない。
ベッドから離れ、真っ先に出口だと思われる木製扉へ走った。金属製のハンドルを掴み、グッと手前に引いたり押したりするが、びくともしない。
鍵が掛かっているのだ。内側にある鍵穴を見つめた。
仕方なく、狭い室内を自由に歩き回ることにした。
出口とは別の扉をふたつ見つけ、手前に引いた。ひとつはトイレでもうひとつは浴室だった。
暗く狭いなりに人ひとりが生活できる造りになっている。
トイレと浴室にそれぞれ小窓を見つけた。開きっぱなしの窓から外を確認するが、どうやら地下らしく、光はとんと届かない。窓は石の壁と対面していた。
「だれかーっ、助けてーっ!」
力の限り声を振り絞ってみるけれど、何も変化はない。反対に外の音も聞こえない。
息が切れた。「だれか……」と力なく呟き、座っていたベッドへと一旦戻る。
多分、脱出するルートは男が出て行ったあの扉だけだ。外側から鍵を掛けられている今、いくら手足を自由にされてもここからは逃げ出せない。
あの男が戻って来たら、直接鍵を奪うしかなさそうだ。
ハァ、と重苦しいため息がこぼれた。
奪うってどうやって?
自分よりも頭ひとつ分は背の高い男性だ。力では全く敵わないだろう。
そもそも誘拐されたときに、手刀かなにかで気絶させられているのだ。下手なことをすれば、次こそは襲われるかもしれない。
あの男がお父様と交渉して、無事に解放されるのを大人しく待つしかないのだろうか。どこまでも無力な自分を思い、また嘆息がもれた。そのときだ。
ガチャガチャ、と金属がこすれるような音が鳴り、たったひとつの出入口が開かれる。
「起きたか」
仮面を付けた男の姿を見て、自然と肩が強張った。何かされたらどうしよう、と警戒心がはたらく。
男は両手に抱えた荷物をテーブルの上に置いた。大きな紙袋が二つだ。
何を運んできたのだろう?
机上の紙袋を怪しく思いながら男の動作を無言で見守った。男が手に持った金属製のものを見て、あれだと思う。
古びた鍵を使い、男は入ってきた扉を施錠していた。
ふいに目が合いそうな気がして、慌てて視線を手元に落とす。
男はテーブルの前へと戻り、ガサガサと音を立てて袋の中身を少しだけ取り出した。
りんごだ。赤いりんご。そしてその皮を剥くための小さなナイフ。
「腹が減っただろう」
ギシ、と床が軋んだ。男が椅子に座り、ナイフを片手にりんごを剥きはじめた。
「しまった……皿を忘れたな」
男が立ち上がり、りんごとナイフを手にしたまま私へと近づいた。
ひ、と悲鳴がもれそうな気がして、唇を閉じた。息をのみ込み、鼻で呼吸をする。心臓の鼓動が自然と早まっている。
男は無言で固まる私を見下ろすように立ち、すぐそばの床に腰を下ろした。シャリ、シャリ、と音が鳴る。
「ほら」
切り落としたりんごのカケラをナイフの先端に刺したまま、私の手元に差し出している。
一瞬、りんごだけじゃなくナイフごと奪ったらどうなるかを考えた。想像でもうまくいかず、最悪自分が怪我をするケースしか思い浮かばなかった。
「……え、ええ」
慎重に果実だけをナイフから抜いた。薄黄色の実がみずみずしく、美味しそうだ。
空腹からお腹が鳴りそうになり、もう片方の手でさりげなく腹部を押さえる。
「食べないのか?」
下から私を除き込む男の視線にハッとなった。指で摘んだひとかけらのりんごを口に運ぶべきかどうかを迷っていた。
まさか毒を盛られているかもしれない、などとは言えず、ただただ恐怖から指先を固めることしかできない。
ハァ、と仮面の下で男が息をついた。
床から立ち上がり、さっきまでいた椅子に座る。ナイフで切り取ったりんごのカケラを私に見えるように指で摘んだ。
反対の手で仮面をわずかにずらし、自らの口にりんごを含んだ。シャリシャリと咀嚼音が聞こえる。
「毒など入っていない。心配せずに食べろ」
男は持ってきた袋をあさり、薄手の白いハンカチを出した。引き続きりんごを切り、そのハンカチを皿代わりにいくつかのカケラをのせていく。
私は手にした果実をようやく口元へと運んだ。シャリ、とひとくち齧り、残りを口の中に放り込んだ。
甘酸っぱくて美味しい。果汁が喉の渇きを癒してくれる。
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