2
七歳になるまでは、屋敷内を自由に遊びまわっているのが当たり前の環境だった。
だからママが屋敷からいなくなった翌日。私は裏庭で見慣れない人影を発見し、外へ出た。
「だれ?」
私より何歳か年上の少年が、気まずそうに立ち尽くしていた。少年は少し背が高く、ブラウンの髪が無造作に伸ばされていて、平民よりも粗末な身なりをしていた。
少年は私に見つかったことで、おろおろと目を泳がせた。
「ごめん」と呟き、「そこから入ったんだ」と言って、いくらか荒れた生垣を指さした。
定期的に庭師のおじさんが生垣を整えてくれているはずだが、どうやら数日前からだれかに切られていたらしく、人が通れるだけの穴が空いていた。
まるで秘密の通路みたいだ。
私は慎重に生垣を観察し、いったいだれの仕業だろうと考えた。
そのときは分からなかったが、ママが出て行ったことを後から知らされ、生垣を傷つけたのはママだったのだろうと見当をつけた。
当時、ママが家を出て行く姿を誰も見ていない。正門から出たのなら、大人の門番に目撃されていたはずだが、その様子もなく、裏庭に面した生垣に穴が空いていた。
そのことから、お父様も人知れずに抜け出したのだろうと判断した。
偶然、屋敷に忍び込むことになった少年は、抜け穴のようになった緑の塀を見て、探究心がうずいたと言っていた。
「キミはこの家の子だよね。さっき、そこでこれを拾って……」
少年は庭の地面を指さしていた。そこに落ちていたというブローチを受け取り、あ、と目を見開いた。紫水晶の綺麗な、ママのアクセサリーだった。
「ありがとう」
ママがうっかり落として行ったのか。それとも要らなくなって捨ててしまったのか。真相は定かではなかったが、代わりに私が持っていることにした。
少年は名前をイブと名乗った。イブ・アラン。
私とは違って、身寄りのない子供たちが集団で暮らす施設に住んでいるのだと話してくれた。
六歳の私に対して、イブは九歳でお兄ちゃんのような存在だった。
荒れた生垣が元通りに修繕されるまで、私はイブに連れられて屋敷の外を探索して遊んだ。
身の回りのお世話をしてくれる侍女に、最近ひとりで遊ぶのが楽しいのだと嘘をつき、数日間、子供同士で遊べる自由を満喫した。
「その歌、いいね。なんて曲?」
湖のほとりに座って空を眺めていたとき、イブが無意識に口ずさんだ歌に聴き惚れた。
「曲名は分からないけど。僕を産んでくれたお母さんが、よく歌ってくれた歌なんだ」
イブの母親について尋ねると、彼が物心つくまえに病気で亡くなったらしく、彼はその子守唄を母親の形見にしていた。
イブと私には、母親がいないという共通点があった。だからなおさら、親近感が湧いたのだと思う。
お互いの傷を舐め合うように、私たちは寄り添って過ごした。
切られた生垣が元通りとなったとき、当然イブと会えなくなった。
私が外の子供と遊んでいることを、当時の侍女もうすうす感づいていたらしく、それはお父様の耳にも入っていた。
「勝手に外へ抜け出しちゃいけないよ、マリーン」
優しい瞳で諭すお父様に、一応謝りはするものの、私はイブと遊ぶことを諦めなかった。
「でもね、パパ。わたしにも大切なお友達ができたのよ。ほんの少しの時間でいい、遊びに行ってもいいでしょ?」
「だめだ。おまえもローラのようにいなくなるかもしれない」
「いなくならないわ」
「まだマリーンは子供なんだ。誘拐される恐れもある。遊ぶなら屋敷内にしなさい」
それなら外にいるイブを敷地に入れてもいいのかと尋ねると、「それはだめだ」の一点張りだった。
お父様は私を守りたい気持ちから、外部の者、つまり貴族ではない者との交流を避けているようだった。
ましてや、イブは親を亡くした孤児で施設育ち。お父様にとって、最も娘に近づけたくない危険分子と判断されていた。
**
ベッドに横たわったまま薄く目があいた。いつの間にか眠っていたようだ。
のっそりと体を起こすと、それまで掛けられていた毛布が背中から滑り落ち、端がベッドの
あの男が掛けてくれたもの……?
なかなかに良質な毛布だ。
四隅で煌々と輝く
あの男は、いない?
燭台の明かりで満たされた室内には、どうやら私しかいないようだ。
今は何時かしら? 朝? それとも夜? 窓がないからわからないわ……。
さっきまで寝ていたせいか、ふぁ、とあくびがもれる。大口を隠すため、いつもそうするように右手で口元を覆ったとき、それに気が付いた。
「縄が……ほどかれてる?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます