5
「ごめんなさい、マーサ。私の部屋からさっきの本を取ってきてもらってもいいかしら? 赤の表紙の……」
「もちろんです。すぐに戻って参りますから、お嬢様はゆっくりとお寛ぎくださいね」
「ありがとう」
お茶をしながら読書しようと思っていたのに、うっかりしていた。マーサが立ち去るのを椅子に座ったままで見送ってから、物憂いため息がこぼれた。
次に舞踏会があるとしたら……今度はちゃんと最後までいよう。
あの方に会える保証はないけれど。自分から交流の場に飛び込んでいかなければ、きっと彼とも出会えない。
自信のなさから、今までずっと落ちこぼれのレッテルを受け入れてきたけど……私は変わらなくちゃいけない。
男爵家では、もしかしたら良縁ではないのかもしれない。でもお父様ならきっと許してくれる。
「だからもう一度……彼に会えますように」
「誰に会いたいって?」
ぽつりと漏れたひとりごとだった。それに返事が返ってきて、いくぶん慌てた。
持ち上げたカップを皿に置き、首を振って周囲を確認した。
すると少し離れた通用口の扉を背にして、ひとりの男が立っていた。
顔は俯けているので分からないが、行商人のような格好をしている。
「あなた、だれ……?」
座っていた椅子から恐々と立ち上がり、私は男と対峙する。男は恥ずかしそうに下を向いたままで私との距離をつめた。「単なる肉屋ですよ」と返事がある。
声が怪しく、くぐもって聞こえた。
心音が不規則になり、脳に警鐘が鳴り響く。
一刻も早く、この場所から立ち去らなければいけない、そう分かっているのに、背後のテーブルに体を預けるのが精一杯で、足がすくんで動かない。
手を伸ばせば触れられる距離まで近づいたとき、突然男が顔を上げた。
ひゅっ、と喉から細い息が抜けた。あまりの驚愕に悲鳴すら出なかった。
「ご機嫌いかがですか? 麗しきマリーンお嬢様」
肉屋の男は、顔に白い仮面を着けていた。無表情の、のっぺらぼうを思わせるつるりとした仮面を。
ふくみ笑いをした言い草に、仮面の下ではニタリと笑っているような気がした。
ハッハ、と短い吐息がこぼれた。この男は危険だと瞬時に察知して鳥肌が立つ。
テーブルに置いたカップを投げつけてやろうと後ろ手で探り、カチャンと鋭い陶器の音が鳴る。
「っあつ!」
うまく掴めなくて手に紅茶がこぼれた。引っ込めた指先で耳たぶをつまむが、少々のやけどに構っている暇はない。
慌てて振り返り、ティーポットを両手に掴んだとき、首の後ろに重い打撃を受けた。
あっという間に視界が霞んで見えなくなる。
なすすべもなく、私はそのまま意識を手放していた。
***
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