4
栗色に輝くママの髪が肩に掛かり、緩やかに波打っている。
お父様はママのこの艶やかな長い髪が好きだと言っていた。そのせいかもしれない。同じように私にも髪を伸ばして欲しいと思っている。
「綺麗な栗色の髪はママ譲りだから大切にしなさい」、子供のころにそう言われたのだ。
*
「マーサ。この前買った読みかけの本を取ってくれる?」
「かしこまりました」
お父様の書斎から自室へ戻り、お稽古ごとが始まる時間まで暫し寛いでいた。
「ところでお嬢様。何かいいことでもありましたか?」
「え?」
「その鼻歌。お嬢様がご機嫌なときは決まってそのメロディですから」
知らず知らずのうちに鼻歌を口ずさんでいたらしい。
「あ……」とつぶやき、自然と頬が熱くなる。
侍女のマーサ・アリソンは私の心の有りようを読むのがうまい。
普段から私生活のお世話をしてもらっているぶん、
私より少し年上の彼女は、私からしたら姉も同然で、今までに何度も相談ごとや悩みを打ち明けてきた。
マーサは「当たりですか?」と尋ねて、書棚から抜いた一冊の本を渡してくれる。赤の表紙が鮮やかな恋愛小説だ。
鼻歌を指摘されて驚いたけれど、当たっている。私は心が弾むとき、たいていこの歌を口ずさんでいる。
幼いころ仲良くしていた少年が、いつも口ずさんでいたメロディを。
「マーサにはお見通しなのね。……ええ。実はそうなの。ゆうべ舞踏会の帰りにちょっと……素敵な人と出会って」
赤い表紙を指先で撫でながら、ソファーに腰を下ろした。
「まぁ、それはもしかするとお嬢様、恋されているということですか? お相手は? どちらのお家柄の方ですか?」
「オークランド男爵のご長男で……エイブラムさんって方よ。とても穏やかな感じがして……素敵な
なんとなく気恥ずかしくて、マーサの顔が見れない。
この気持ちの変化は彼女が言ったように、恋、なのだろうか。
「それはそれは」
マーサは嬉しそうに声を弾ませた。
「お嬢様が幸せな気持ちでいてくれると、私も嬉しいです。その方とうまくいくと良いですね」
「え、ええ。ありがとう」
マーサの穏やかな横顔を見つめて、ふと思い出していた。
以前、彼女から聞いた話では、マーサは何年も前に弟さんを事故で亡くしているらしい。
当時は塞ぎ込んでしまって大変だったようだけど、私との生活を始めてようやく安定したと言っていた。
戸棚からティーポットを出し、マーサがいそいそとお茶の準備を進めている。が、その手をピタリと止めて、私へと向き直った。
「そうだわ、お嬢様。今日は天気も良いことですし、久しぶりに外でお茶をしませんか?」
「外で?」
「はい。お嬢様がお育てになっている花壇にデイジーが咲いていましたし、ね、そうしましょう?」
私の花壇、ということは裏庭の花壇だ。幼いころ、お父様にお願いしてつくってもらった場所。
あそこはよく陽も当たるし、花を愛でながらお茶をするというのも、確かに悪くない。
「そうね」
私はマーサの提案を快く受け入れた。
*
そばにあるテーブルセットではマーサが白いポットを手に、お茶の準備を進めている。
「この花壇は土が良質なのか、どの種を植えても綺麗な花を咲かせますね、お嬢様」
「ええ」
「ちなみにデイジーの花言葉は、『純潔』や『希望』。黄色の花に関しては『ありのまま』だそうです」
マーサから黄色と聞き、私は指先でその花弁に触れた。
「いつかありのままのお嬢様を、心から愛してくださる殿方ときっと出会えます」
「マーサ……」
しゃがんだままで彼女を見上げると、眩しい笑みが降ってくる。
「さぁ、お茶の準備ができましたよ、マリーンお嬢様」。マーサの柔らかい声が言った。
小さく可愛い花を咲かせる花壇から離れ、ティーカップを目の前にして座る。
……ありのままの私。
先ほどマーサから言われた言葉をひそかに反芻していた。
令嬢としては完璧にはほど遠い今の私を、一体だれが愛してくれるのだろう。思考がネガティヴに傾きそうな気がして、小さく首を振る。
今の私を丸ごと愛してくれる殿方がいるとしたら、早く出会いたい。その相手に昨夜の彼を思い浮かべて、「だったら良いな」とそっと呟いた。
「あ、いけない……!」
マーサが淹れてくれた紅茶のカップに口をつけたとき。ふと、忘れ物をしていることに気が付いた。
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