栗色に輝くママの髪が肩に掛かり、緩やかに波打っている。


 お父様はママのこの艶やかな長い髪が好きだと言っていた。そのせいかもしれない。同じように私にも髪を伸ばして欲しいと思っている。


「綺麗な栗色の髪はママ譲りだから大切にしなさい」、子供のころにそう言われたのだ。


 *


「マーサ。この前買った読みかけの本を取ってくれる?」

「かしこまりました」


 お父様の書斎から自室へ戻り、お稽古ごとが始まる時間まで暫し寛いでいた。


「ところでお嬢様。何かいいことでもありましたか?」

「え?」

「その鼻歌。お嬢様がご機嫌なときは決まってそのメロディですから」


 知らず知らずのうちに鼻歌を口ずさんでいたらしい。


「あ……」とつぶやき、自然と頬が熱くなる。


 侍女のマーサ・アリソンは私の心の有りようを読むのがうまい。


 普段から私生活のお世話をしてもらっているぶん、姉弟きょうだい、家族よりも長い時間を過ごすので、私の変化がすぐにわかるらしい。


 私より少し年上の彼女は、私からしたら姉も同然で、今までに何度も相談ごとや悩みを打ち明けてきた。


 マーサは「当たりですか?」と尋ねて、書棚から抜いた一冊の本を渡してくれる。赤の表紙が鮮やかな恋愛小説だ。


 鼻歌を指摘されて驚いたけれど、当たっている。私は心が弾むとき、たいていこの歌を口ずさんでいる。


 幼いころ仲良くしていた少年が、いつも口ずさんでいたメロディを。


「マーサにはお見通しなのね。……ええ。実はそうなの。ゆうべ舞踏会の帰りにちょっと……素敵な人と出会って」


 赤い表紙を指先で撫でながら、ソファーに腰を下ろした。


「まぁ、それはもしかするとお嬢様、恋されているということですか? お相手は? どちらのお家柄の方ですか?」

「オークランド男爵のご長男で……エイブラムさんって方よ。とても穏やかな感じがして……素敵な男性ひとだった」


 なんとなく気恥ずかしくて、マーサの顔が見れない。


 この気持ちの変化は彼女が言ったように、恋、なのだろうか。


「それはそれは」


 マーサは嬉しそうに声を弾ませた。


「お嬢様が幸せな気持ちでいてくれると、私も嬉しいです。その方とうまくいくと良いですね」

「え、ええ。ありがとう」


 マーサの穏やかな横顔を見つめて、ふと思い出していた。


 以前、彼女から聞いた話では、マーサは何年も前に弟さんを事故で亡くしているらしい。


 当時は塞ぎ込んでしまって大変だったようだけど、私との生活を始めてようやく安定したと言っていた。


 戸棚からティーポットを出し、マーサがいそいそとお茶の準備を進めている。が、その手をピタリと止めて、私へと向き直った。


「そうだわ、お嬢様。今日は天気も良いことですし、久しぶりに外でお茶をしませんか?」

「外で?」

「はい。お嬢様がお育てになっている花壇にデイジーが咲いていましたし、ね、そうしましょう?」


 私の花壇、ということは裏庭の花壇だ。幼いころ、お父様にお願いしてつくってもらった場所。


 あそこはよく陽も当たるし、花を愛でながらお茶をするというのも、確かに悪くない。


「そうね」


 私はマーサの提案を快く受け入れた。


 *


 燦々さんさんと降り注ぐ日光を浴びて、開花した白、赤、黄色のデイジーをしゃがんで愛でていた。自然と口元に笑みが浮かんだ。


 そばにあるテーブルセットではマーサが白いポットを手に、お茶の準備を進めている。


「この花壇は土が良質なのか、どの種を植えても綺麗な花を咲かせますね、お嬢様」

「ええ」

「ちなみにデイジーの花言葉は、『純潔』や『希望』。黄色の花に関しては『ありのまま』だそうです」


 マーサから黄色と聞き、私は指先でその花弁に触れた。


「いつかありのままのお嬢様を、心から愛してくださる殿方ときっと出会えます」

「マーサ……」


 しゃがんだままで彼女を見上げると、眩しい笑みが降ってくる。


 「さぁ、お茶の準備ができましたよ、マリーンお嬢様」。マーサの柔らかい声が言った。


 小さく可愛い花を咲かせる花壇から離れ、ティーカップを目の前にして座る。


 ……ありのままの私。


 先ほどマーサから言われた言葉をひそかに反芻していた。


 令嬢としては完璧にはほど遠い今の私を、一体だれが愛してくれるのだろう。思考がネガティヴに傾きそうな気がして、小さく首を振る。


 今の私を丸ごと愛してくれる殿方がいるとしたら、早く出会いたい。その相手に昨夜の彼を思い浮かべて、「だったら良いな」とそっと呟いた。


「あ、いけない……!」


 マーサが淹れてくれた紅茶のカップに口をつけたとき。ふと、忘れ物をしていることに気が付いた。

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