「今回の舞踏会はあなたの婚約者を見つけるためのものだったのに。本当にがっかりだわ」

「……ごめんなさい」


 それ以外の言葉が見つからなかった。


 伯爵家長女としての素養が身につかない私には、婚約者なんてそうそう見つかるわけがない、そう思っていただけに、お母様の期待にそえない自分を申し訳なく思った。


 けれど、ただひとり。帰りがけに会った男爵家の彼に、ときめきに近い感情を抱いていた。重ねた両手をそっと胸に当てて、昨夜のことを思い出す。


 エイブラム・ド・サミュエルさん……。


 暗闇のなかで光る青い目と、彼の美しい顔立ちが今も脳裏に焼き付いている。


 ーー『またどこかでお会いする機会もあるでしょうから』


 そう口にしたあの言葉も、単なる社交辞令だろう。


 そうは分かっているけれど、また会えたら……。


「小言はそれぐらいにしておきなさい。どのみち、マリーンの体調がすぐれなかったのなら、長居するのも相手方に失礼だろう」

「けれどあなた、そうは言いますけど……」

「マリーン。あとで私の書斎においで、いいね?」

「……あ。はい。お父様」


 お父様はお母様の文句を取り合わずに、さっさと席を立った。


 紅茶のカップに口をつけて飲み干し、私も椅子を引いた。


「お父様って、姉様にだけは甘いわよね」

「言ってやるなよ。……まぁ。本当のことだけど」


 お父様の態度に不満をもらす妹を、口ではたしなめつつも同意する弟。ふたりの視線に居た堪れず、ふり返ることもできずに退室した。


 お父様が私にだけ甘い……それは確かにあるだろう。


 お父様は私にだけ甘い顔をする。優しい言葉をかけて気にするな、となぐさめてくれる。


 妹のクリスティーナや弟のアレックスには時として厳しい表情を見せるのに、私にはそうしない。


 その理由を述べるとしたら、私だけがだ。


 かつてお父様が心から愛した実母は、十六年前、突然この屋敷を出て行った。私とお父様は“ママ”に捨てられたのだ。


 *


「昨夜の舞踏会はつまらなかったかい?」

「いえ、そういうわけでは……。ただお父様とお母様に喜んでもらえる殿方をなかなか見つけられなくて……。私」


 帰りがけに会った彼、エイブラムのことは敢えて口にしなかった。たったひとことふたこと、言葉を交わしただけに過ぎないので、両親に過剰な期待をされては困ると思った。


「焦ったって、いい結婚はできないさ」

「だけど私、もう二十二なのよ。クリスにはいい男性ひとがいるのに、姉の私がまだだなんて。お母様だって恥ずかしいと思ってるに決まってる」

「おまえはそんなことを気にせずに、いつまでも家にいてくれればいいんだよ。父さんのそばにいてくれることが何よりの親孝行なんだから」

「……そうね、お父様」


 お父様の言葉は素直に嬉しい。できた娘なら家のために良家へ嫁ぐのが当たり前なのに、それを強要しない。


 大切にされているからこそ、ありがたくもあり、申し訳なくもある。


「……この絵」

「気づいたかい? まだおまえが小さいころのものだけど、ローラと三人で描いてもらったものだよ」


 アンティーク調のキャビネットの上に、数枚の絵画が飾ってあった。


 お父様と私の実母であるママの肖像画、開放感のある風景画。


 どれも立派な額縁に入れられた絵画だ。


 そのうちの一枚の光景を今も覚えていた。私が六歳になって間もないころ、家族三人が揃った絵を画家の方に描いてもらった。


 絵から視線を飛ばし、壁を埋め尽くす本棚を眺めた。そのほかには書斎デスクがあり、ゆったりと寛げるビロード張りの椅子とソファーセットが置いてある。


 お父様の書斎は子供のころから変わらない、どこか懐かしい香りが立ち込めている。


「あのころは良かったなぁ。ローラがまだ家にいて、マリーンも楽しそうに笑ってた。どこでどう間違えたのか……私にはわからんよ」

「あの。ママの行方はわからないんでしょう?」

「あぁ。一体どこへ行ったのか。もう見つからんよ、もう……。十六年も経ってしまった」


 お父様は悲しげに眉を下げ、ママの絵を見つめた。そうして何かに気付いた素振りで目を見張り、私の襟元に視線を据えた。


「そのブローチ。昔、ローラがつけていたやつだな。マリーンが大切に使っていてくれたのか……ありがとう」

「ううん」


 ママの思い出の品として、紫水晶の目立つブローチを毎日身につけている。日に翳すと美しく光る宝石、アメジストだ。


 お父様の視線に倣い、絵画のママを見つめた。


 ママの絵画にもそのブローチが詳細に描かれている。


 遠い記憶になるけれど、ママはいつもこのブローチを身につけて笑っていた。

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