*


「レディ・マリーン、一曲踊っていただけませんか?」

「え、えぇ。でも私……、ダンスは不慣れで」

「大丈夫、僕がリードしますよ」


 華やかなドレスに身を包み、彼の手を取った。ダンスを申し込まれたのも久しぶりだ。


 彼は、たしか侯爵家の人間だ。彼に見初められれば家のためになる。お父様もお母様もよくやったと褒めてくれるはず。


 頭一つ分背の高い彼を見上げて、ステップを踏んだ。彼の手を取り、足下にも気を配りながら一曲を慎重に踊りきった。曲の最中、相手の足を踏まなかったことに、安堵の笑みがもれた。


 彼と会釈を交わし、ではまた、と挨拶を口にする。


 今ので大丈夫だったかしら。


 頬が上気し、配膳されるワインに口をつける。家名を傷つけるようなミスはおかさなかった。そのことに、妙な達成感を得ていた。


「なぁ、エリック。おまえさっき、ミューレン家の長女と踊ってなかったか?」


 頬の火照りを冷ますためにバルコニーへでたとき、向こう側のそれから殿方たちの会話が聞こえて耳をすます。先ほどダンスをした侯爵家の彼だ。


「なんだよ、見てたのか」

「彼女どうだった?」

「どうって。見てたんならわかるだろう? 表情はツンとしてるし、いかにも高慢な感じがして萎えたよ。それに比べて妹は……愛嬌があるよな」

「今さら狙っても遅いぞ、このあいだ婚約したばかりだと聞いた」

「本当かよ……」


 彼のため息を聞きながら、自然とおちた肩を片手で抱き、しゃがみこんでいた。あまりにも哀れで惨めで、自らに憐憫の情すらわいてくる。


 高慢? 私が? そんな風に見えるなんて。


 失敗を恐れるあまり、表情が硬すぎたのかもしれない。後悔したところであとの祭りだ。


 ダンスホールから再び生演奏がはじまった。


 集まった貴族たちは男女で手を取り合い踊りだす。みな自然と笑みが浮かぶのか、楽しそうだ。


 緊張で頬をかたくしている者はだれひとりいない。うっかり殿方の足を踏んでしまう女性がいても、それもご愛嬌ととらえ、互いに笑い合っている。


 私だけがこの場になじんでいない。


 ダンスはすぐそばで行われているのに、彼らとのあいだに途轍もない距離があき、どこか遠くに取り残されたみたい。


 有能と無能、幸せと不幸せ、そうした線引きがなされ、私だけがはじき出されてしまった。


 私はこの場にふさわしくない。


 飲みかけのワイングラスを近くの配膳係に渡し、邸宅の執事に帰る旨を伝えた。


「もうお帰りですか?」


 ミューレン家の馬車に乗り込む手前で、背後に声を聞いた。はたして自分に向けられたものかどうかはわからなかったが、私は声の主を確認した。


 若い紳士が、私を見て残念そうに微笑んでいた。どこの家柄の方かもわからない、初めて見る顔だ。


「ローダーデイル伯爵のご長女、レディ・マリーン、ですね?」

「え、ええ。あなたは……」


 相手が自分のことを把握しているのに対して、全く知りもしない私は、無礼で無作法に違いない。


 一度逸らした瞳を再び彼に据える。ひと目見て、美しい容貌だと思った。


 真っ直ぐに伸びた鼻梁びりょうと二重の双眸そうぼうが高貴な印象を抱かせる。


 首周りに着けた白いクラバットが華やだ。黒っぽいコートの襟が目立っているせいか、顔が小さく見えた。


「これは失礼しました。私はオークランド男爵の長子、エイブラム・ド・サミュエルと申します。またどこかでお会いする機会もあるでしょうから、お記憶に留めて頂ければ光栄です」


 彼は胸に片手を当てて綺麗にお辞儀をした。ぼうっと彼を見つめたまま、私は「はい」と返事をしていた。


 彼の言動に物腰の柔らかさを感じた。男爵家といえば爵位はうちより下だが、そんな階級を感じさせないほど、彼は気品に満ちている。


 素敵な人だ。


 彼は知っているのだろうか。私がミューレン家の落ちこぼれだということを。


 途端に恥ずかしくなった。社交界に出ても積極的に交流ができないせいで、私はこんなに素敵な方の存在すら知らなかったのだ。


「では。失礼いたします」

「お気をつけて」


 ドレスの端をつまんで型通りのお辞儀をし、馬車へと乗り込んだ。車窓から見える紳士はゆったりと微笑み、礼儀正しくお辞儀をしていた。


 *


 翌日。家族そろっての朝の食卓で、案の定、私は母の嘆きを聞かされた。


「勝手に帰ってしまうなんて、あんまりだわ、マリーン。あのあと邸宅のご主人に、大切なご挨拶も兼ねていたのよ?」

「ごめんなさい、お母様。途中で気分が悪くなってしまって」


 朝食を食べ終えたお母様がナプキンで口をぬぐい、はぁ、と盛大なため息をこぼす。やがて全員がカトラリーを置き、陶器の音がやんだ。

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