2
*
「レディ・マリーン、一曲踊っていただけませんか?」
「え、えぇ。でも私……、ダンスは不慣れで」
「大丈夫、僕がリードしますよ」
華やかなドレスに身を包み、彼の手を取った。ダンスを申し込まれたのも久しぶりだ。
彼は、たしか侯爵家の人間だ。彼に見初められれば家のためになる。お父様もお母様もよくやったと褒めてくれるはず。
頭一つ分背の高い彼を見上げて、ステップを踏んだ。彼の手を取り、足下にも気を配りながら一曲を慎重に踊りきった。曲の最中、相手の足を踏まなかったことに、安堵の笑みがもれた。
彼と会釈を交わし、ではまた、と挨拶を口にする。
今ので大丈夫だったかしら。
頬が上気し、配膳されるワインに口をつける。家名を傷つけるようなミスはおかさなかった。そのことに、妙な達成感を得ていた。
「なぁ、エリック。おまえさっき、ミューレン家の長女と踊ってなかったか?」
頬の火照りを冷ますためにバルコニーへでたとき、向こう側のそれから殿方たちの会話が聞こえて耳をすます。先ほどダンスをした侯爵家の彼だ。
「なんだよ、見てたのか」
「彼女どうだった?」
「どうって。見てたんならわかるだろう? 表情はツンとしてるし、いかにも高慢な感じがして萎えたよ。それに比べて妹は……愛嬌があるよな」
「今さら狙っても遅いぞ、このあいだ婚約したばかりだと聞いた」
「本当かよ……」
彼のため息を聞きながら、自然とおちた肩を片手で抱き、しゃがみこんでいた。あまりにも哀れで惨めで、自らに憐憫の情すらわいてくる。
高慢? 私が? そんな風に見えるなんて。
失敗を恐れるあまり、表情が硬すぎたのかもしれない。後悔したところであとの祭りだ。
ダンスホールから再び生演奏がはじまった。
集まった貴族たちは男女で手を取り合い踊りだす。みな自然と笑みが浮かぶのか、楽しそうだ。
緊張で頬をかたくしている者はだれひとりいない。うっかり殿方の足を踏んでしまう女性がいても、それもご愛嬌ととらえ、互いに笑い合っている。
私だけがこの場になじんでいない。
ダンスはすぐそばで行われているのに、彼らとのあいだに途轍もない距離があき、どこか遠くに取り残されたみたい。
有能と無能、幸せと不幸せ、そうした線引きがなされ、私だけがはじき出されてしまった。
私はこの場にふさわしくない。
飲みかけのワイングラスを近くの配膳係に渡し、邸宅の執事に帰る旨を伝えた。
「もうお帰りですか?」
ミューレン家の馬車に乗り込む手前で、背後に声を聞いた。はたして自分に向けられたものかどうかはわからなかったが、私は声の主を確認した。
若い紳士が、私を見て残念そうに微笑んでいた。どこの家柄の方かもわからない、初めて見る顔だ。
「ローダーデイル伯爵のご長女、レディ・マリーン、ですね?」
「え、ええ。あなたは……」
相手が自分のことを把握しているのに対して、全く知りもしない私は、無礼で無作法に違いない。
一度逸らした瞳を再び彼に据える。ひと目見て、美しい容貌だと思った。
真っ直ぐに伸びた
首周りに着けた白いクラバットが華やだ。黒っぽいコートの襟が目立っているせいか、顔が小さく見えた。
「これは失礼しました。私はオークランド男爵の長子、エイブラム・ド・サミュエルと申します。またどこかでお会いする機会もあるでしょうから、お記憶に留めて頂ければ光栄です」
彼は胸に片手を当てて綺麗にお辞儀をした。ぼうっと彼を見つめたまま、私は「はい」と返事をしていた。
彼の言動に物腰の柔らかさを感じた。男爵家といえば爵位はうちより下だが、そんな階級を感じさせないほど、彼は気品に満ちている。
素敵な人だ。
彼は知っているのだろうか。私がミューレン家の落ちこぼれだということを。
途端に恥ずかしくなった。社交界に出ても積極的に交流ができないせいで、私はこんなに素敵な方の存在すら知らなかったのだ。
「では。失礼いたします」
「お気をつけて」
ドレスの端をつまんで型通りのお辞儀をし、馬車へと乗り込んだ。車窓から見える紳士はゆったりと微笑み、礼儀正しくお辞儀をしていた。
*
翌日。家族そろっての朝の食卓で、案の定、私は母の嘆きを聞かされた。
「勝手に帰ってしまうなんて、あんまりだわ、マリーン。あのあと邸宅のご主人に、大切なご挨拶も兼ねていたのよ?」
「ごめんなさい、お母様。途中で気分が悪くなってしまって」
朝食を食べ終えたお母様がナプキンで口をぬぐい、はぁ、と盛大なため息をこぼす。やがて全員がカトラリーを置き、陶器の音がやんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます