絶対に後ろを振り返るな!

「むぅぅっ」


 思いっきり手で噛みついた。口の中に血の香りがして、ぷはっと手が離れた。


「叫んでも無駄ですよ。もう彼らは遠い」


「あんた一体なんなの!?」


 知らない男だった。誘拐犯のわりに顔を隠していない。


「言っておくけどね、こんなことしても無駄なんだからね!」


 その証拠に、私の周りに蒼い蝶々が現れた。この蒼いオーラはラセルの魔法ね。ラセルはもう気付いてくれている。


 それに私はいつでも精霊を呼びだすことができる。


 チッと男は舌打ちし、蝶々に向かって剣を振るう。私はさっと杖を取り出して、男に向かって振りかぶった。


「こら、馬の上で暴れるな。落馬するぞ!」


「あんたが馬を止めればいいんでしょうが! キャアアアア」


 私はバランスを崩して、そのまま馬から振り落とされる。馬は嘶き、私は地面に放り出されて、でもふわりとした風が私を守ってくれた。


「……間に合った」


 ラセルがものすごい勢いで馬で駆けてきて、魔法で起こした風で私を包んでくれた。


「悪い、遅くなって」


「ラセル……!」


 思わず彼に抱きついてしまった。ラセルはよしよしと私の背を撫でる。


 そこにあの男が馬で戻ってきた。オレンジがかった長髪に、端正な顔が月に照らされている。そして男はくいっと謎のポーションを飲んだ。


 ラセルは馬から降りて、私を背中にかばう。彼の身体に緊張が走るのがわかった。


「フランツ・ホールデン……なんでお前がここに?」


 なに? ラセルの知り合い!? そのフランツなにがしは、馬から降りると悲壮な表情で語りかけてくる。


「ラセル殿下、引いてください。もうナルメキアは貴方達が我が国の聖女を攫ったことを掴んでいます」


 なにこの人、ナルメキア人? そのフランツの言い分にカチンときてしまった。


「攫ったもなにも、あんた達が私を聖女じゃないって地下牢に閉じ込めようとしたんじゃないの!」


「聖女じゃないという判断が誤りだと気付いたのです。貴女はナルメキアの聖女です。キャッツランドはそのナルメキアの聖女を誘拐したのです!」


「キャッツランドの人達は助けてくれたんだってば! 意味不明なこと言わないでよ!」

 

 あんた達のせいで、私は人攫いに遭ったりして大変だったんだから。保護もしてくれなかったのに、自分たちの聖女と主張するのは筋が通らない。


「誘拐って言い張るならおかしいな。正式にナルメキアからキャッツランドに抗議は来ていないんだけど。今、お前のしてることのほうが誘拐だろ?」


 ラセルもこの男の言い分がおかしいことに気づいてる。きなくさい。


「……私はナルメキアから公式な命令を受けているわけではないのです」


「お前、近衛騎士に席を置いてるけど、誰に仕えてんだっけ? そいつの独断だろ?」


「わ……私が仕えている方は無関係です! ただ、別の偉い方がそう言ってたのです! ちなみにその方はラセル殿下を斬っても構わないと言ってます」


「誰に言われてんの? それ。俺、一応キャッツランドの王族だけど。俺に危害加えることの意味わかってる?」


「えぇ……っと、その方いわく、貴方はお国元では相当嫌われてるとか。だから斬ったところで問題にならないと」


「……そんな傷つくこと真顔で言うな。俺のことを熱狂的に好きなやつだっているんだからな!」


 ラセルは剣に手をかける。


「カナ、絶対に後ろを振り返るな。一目散に戻れ。キースに伝えろ。ナルメキアの近衛騎士、フランツ・ホールデンが犯人だって」


「でも……っ」


「いいから行け!」


 緊迫したラセルの声に、私は走り出す。でもちょっと待って。絶対に後ろを振り返るな……って。私は精霊に呼び掛けた。


「キースに伝えて。ナルメキアの近衛騎士、フランツ・ホールデンが私を攫ったって。ラセルが危ないって!」


 精霊たちはふわーと私の前に姿を現した。


『キースに伝えるんだね!』


『でもカナも早く逃げないと』


 私は立ち止まった。そしてラセルが見える位置の木陰に隠れる。


「私は戻るわけにはいかない。ラセルを守らないと」


 ラセルは余裕で勝てるなら一人で戻れとは言わないはず。負けるかもしれないから私を返したんだ……。


 私には完全治癒の力がある。ラセルをゾンビのように蘇らせて持久戦で勝たせることができる。


 即死くらいの勢いでも、いつかキースにしたみたいに、タイミングよく即治癒ができれば助かる。杖を構え、いつでも治癒できる準備をした。


 精霊は何人か、キースの元へ飛び立っていった。そのうちの何人かが私を守るように残ってくれる。


 ラセルとフランツは、激しく剣を撃ちあって応戦していた。ラセルはシリル殿下と対戦した時のように、風の魔術を駆使して戦っている。しかし相手のフランツも同じ技を使ってるように見えた。


 どっちが優勢かもわからないくらい、剣の動きが速すぎて追えない。


「貴方がいくら嫌われていたとしても、私は貴方が貸してくれたノートの恩義は忘れてません。斬りたくないんです! 殿下、もう一度言いますけど引いてください」


「俺はそんなに嫌われてるのか。お前こそノートの恩義で引いてくれよ」


「殿下、貴方は剣の腕では私より下です。それは学生時代の成績でわかってるじゃないですか。お願いだから引いてくださいよ」


 やっぱり負けそうな相手だったのか。私の手にも緊張が走る。


「学生時代の成績で自信持ってるならなんでさっきポーション飲んだんだよ? あれで能力向上させてるんだろ? 風の魔術使ってるにしても怪しいよな、その動き」


 フランツがラセルに上段から剣を撃ちこむ。ラセルが跳ね返して応戦し、さらに踏み込んだところを横に払った。その瞬間、ラセルの剣が真っ二つに折れて、バランスを崩したラセルが後ろに倒れた。


「随分と安物の剣を使ってるんですね。でももう剣もないですし、これ以上邪魔しないですよね? 引いていただきます」


 ラセルが立ちあがり、軽く溜息を吐いた。


「本当はやりたくなかったんだけど、仕方ないな。お前と相討ちだ」


「……素手で私とやり合うんですか?」


 フランツが困惑して、次の瞬間息を飲んだ。


 熱風がラセルの身体の中心から吹き荒れる。フランツに向けてかざした手に圧倒的な魔力が集まる。


 傍で見ている私にも、抑えきれないラセルの殺気と強い魔力を感じて、背筋が凍った。


『や……やばいよ! 魔術師の誓約を破るつもりだよ!』


 魔術師の誓約――攻撃魔法を人に撃ってはいけない。あの誓約か……。


「う……撃ったらどうなるの?」


『王子様は闇に呑まれちゃう』


「闇に呑まれるってどういうこと?」


『闇の世界に取り込まれちゃうんだ。ずっと闇の世界で彷徨うしかないの。生き地獄みたいなものだよ』


 私は息を飲んだ。それじゃ、私の聖魔法でも助けられるかわからない。どうしよう……どうすればいい?


「魔術師は人生に一度だけ、人に直接攻撃を撃つことができる。お前がその剣を向けるより、俺がこの手で魔術を撃つ方が圧倒的に早い。これはハッタリじゃないから。お前こそ引け。ナルメキアの密命のために命を落とすのか?」


 ラセルの声は落ち着いていて、でも彼の言葉に嘘がないことを感じる。本当に撃つつもりなんだ。


 フランツは恐れをなしたように一歩下がった。


「貴方、一人の女性のために命捨てるんですか? 人に攻撃魔法を撃つなんて、魔術師としての名誉もなくなりますよ。天才と呼ばれた魔術師じゃないですか!」


「俺は魔術師の前に一人の男なんだよ。男として、惚れた女を見捨てて命乞いなんてできない。彼女は俺が守ると決めたんだ」


 私の胸に抑えきれない熱い想いが迸る。目からは勝手に涙が溢れた。


 きっと、ラセルは初めからこうなることを予想していたんだ。だから、何があっても後ろを振り返るなって言ったんだよね……。


 でも私はラセルを助けたい。こんな別れ方は絶対に嫌。


 私の手に持つ杖も私の想いに答えるように熱くなる。そして眩く月光のように発光した。


「えっ!?」


 二人が振り返り、私の存在と杖に気付く。そしてそのまま杖が私の手を離れた。


 いつか、私が杖を手にしたときのように、旋回を重ね、形を変えて剣になる。そしてラセルが伸ばした手に収まっていった。


 杖が剣に戻ったのだ。


「ラセル……! その剣、私がたっぷり聖魔法使いまくった杖が変化したやつだからね! 超チート剣だよ! それで勝てなかったら二度と一流の剣士とか言わないで!」

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