聖女の覚醒①
その日は夕方から海が荒れ出した。
いつもよりも高くうねる波に翻弄され、船が縦に大きく揺れる。
「凄く揺れてるけど大丈夫なの?」
「だ……大丈夫ですよぉ。そんなに珍しいことじゃないですから」
レイナの顔が少し引き攣っているのが気になるけど、次の目的地であるルージブル王国の港まではあと1日日で着く。
私はレイナが念のためにくれた酔い止めの
「ただ、今日は満月ですから、もしかすると魔獣出ちゃうかもしれないですけどね」
「えっ! なにそれ。船だから逃げようがないじゃないのっ! そんな時どうしてるの?」
「騎士団の人たちが戦ってくれます! 私はそれを援護するだけですねっ!」
「援護ってなにするの?」
「遠くから、魔獣に見つからないように怪我した人を治したり……」
私、魔法使えないもの。参考にならないな。
魔獣が現れてもニートにできるのは、大人しく部屋で震えて待つしかできそうにないね。
「あ、殿下がいらっしゃいましたよ」
キィ、とドア猫出入り口から黒猫が入ってくる。
「レイナ、悪いけど今日は寝ないで待機してくれ。瘴気がヤバい。出そうな気がする」
ラセルはまず、私ではなくレイナに話しかけた。
「承知いたしました! がんばります!」
レイナがまかせろ! とばかりに、ファイティングポーズを決める。
「頼んだぜ。あ、カナは心配しなくていいからな。部屋で寝ててくれ」
………。
なんだろうこの差。この無力感。
部屋で寝てるくらいしかできないってわかってるけど、レイナと比較して言われると、軽い疎外感が生まれる。
レイナが出て行くと、ラセルはぴょんと私に飛びつく。もう慣れたもので、キャッチして、抱き上げた。
「満月の夜は、いつも魔獣が出るの?」
「満月に限らないけどな。ただ、満月の日は、瘴気も濃くなり、魔獣が発生しやすくなる。だから、もうちょい早くルーシブルに着きたかったんだけど、潮の流れもあるし、仕方ないな」
カーテンをあけると、どでかい満月が明るく波を照らしている。この満月があれば、部屋の明かりも不要なばかりに眩い。
月から出る銀色の光に吸いこまれそうになる。
いつかは三日月でも気絶しそうなくらいにきつかったのに、今はあまり不快ではない。
確かに黒猫はいい精神安定剤ではある。そして、もう夜に体調が悪くなることはなくなった。
「雲もないし、空も澄んでる。今日はいい満月だな。俺らの国は、月と猫を信仰してるんだ。満月の日は、月に日々、何事もなく過ごせることに感謝をし、また明日以降も無事過ごせるように祈る」
「お祈りのやり方は決まってるの?」
「特に決まってない。手を合わせるくらいかな」
黒猫は前足をあわせてお祈りをはじめた。
なんだろこの見た目。可愛いんですけど。
私も習ってお祈りをする。なにを願おうかな。
そんな時、一層船が激しく揺れた。猫が私からすり抜けて、一瞬で人間の姿に戻った。
「殿下ッ!」
ビスがノックもせずにドアを開けた。一気に緊迫した空気になる。
「カナはそこにいろ!」
私にそう言い捨てて、ラセルが部屋から駈け出した。
とうとう出たのね…。
甲板のほうから緊迫した声や悲鳴、剣戟の音が聞こえる。
そしてグォァァァァァというなんとも恐ろしい咆哮まで聞こえる。
ガタガタと身体が震えるのが止まらない。こわい。
月に祈ろうかと、窓を見ると、月が一層眩く輝き、私の方へ眩い銀色の光を注いだ。
思わず目を逸らす。身体が燃えるように熱い。
耐えきれず床に崩れ落ちた時、美しい女性の声が聞こえた。
――――目覚めなさい。私の加護を受けるものよ。月の聖女
目に映る自分の手が銀に輝く。身体の中に流れた熱が一気に放出される。
放出された熱から突風が部屋に吹き抜ける。
「なに……これ……」
鏡を見ると、自分ではない女がそこにいる。
肩まであった髪が銀に輝き、床に着きそうなくらい長く伸びている。全身が銀に輝き、眩い光を放っている。
全身にみなぎる力を感じる。
また船が大きく揺れて、私は壁に叩きつけられた。
行かなくては……。
私は突き動かされるようにドアを開けて甲板へ走り出す。甲板から、何かに吹き飛ばされた騎士団の人が、通路に叩きつけられる姿が見えた。
彼は私を見て目を見張る。
迷わず私は甲板へ続く扉を開けた。そこにはレイナが倒れていた。
「レイナ…ッ!」
抱きよせるとレイナが「ぅ……」と呻いた。良かった!生きてる!
ほっとしたつかの間、また別の騎士団の人が何かに跳ね飛ばされ、甲板に叩きつけられている。悲鳴とうめき声。
足を船の船首の方へ進めると、巨大な壁のように大きく黒い物体が、黒煙のようなオーラをまとい、甲板に鎮座しているのが見えた。
「サンダーチェイン!」
キースの手から雷撃のような楔が伸びるのがわかる。物体を捉えると、横からビスタが高く跳躍し、剣を上段から振り下ろす。
しかしなにかに弾かれて、爆風で吹き飛ばされる。その瞬間、雷撃の楔も崩れ去って消滅した。
「メガボルト!……アースブラスト…ッ!」
ラセルの手から眩い光の雷撃と、エメラルド色の光の弾が放たれる。強烈な魔法の矢が物体を襲い、悲鳴をあげるように咆哮する。
私……見える。魔法の動きが。
そして、幼い子供のような、助けを求める声。
――――こわい。もう解放して。いたいよ !怖い!
あの声は、あの壁のような物体から聞こえる。よく見ると、中心部に青い核のようなものが見える。
あそこから聞こえる。あの中にいるのは小さな子供……?
「弱ってきた…! キース、もう一度援護しろ!」
「了解!」
キースはまた雷撃の楔を手にまとう。
「アースブリザードソード」
ラセルは剣に魔法をまとわせた。
「サンダーチェイン……!」
再び鎖が魔獣を縛り、ラセルが高く踏み込んで剣を振り下ろす。しかし、恐慌状態に陥った魔獣が藻掻いてすぐに解けてしまう。爆風にラセルは吹き飛ばされ、剣が手から離れる。
ラセルは猫のようにくるりと着地をして、撥ね飛ばされた剣を目で追う。
魔法をまとった剣は月の光を反射しながらくるくると旋回し、空から落ちてくる。私は何かに突き動かされるように手を伸ばした。
剣が私のほうへ吸い寄せられる。
「……ッ」
剣が手に収まり、一瞬衝撃と重さで足を取られる。その瞬間、眩い光が剣から放たれた。
「え!? なにあれ!?」
「……!?」
キースとラセルが、そのほかの親衛隊員の視線が一斉に私の元に集まる。
剣は眩く光りながら私の手の中で変化していた。
銀の光の
重さも私の手に扱えるくらいの重さになっている。
『やったね!アイテムゲット!』
『それであの子を解放してあげるの!』
『真ん中の核に力をぶつけて』
いつかの夢にみた、蛍のような小さな子達が
魔獣は抵抗するように一層黒煙をまき散らす。
核は小さくなり消えそうになっている。
魔獣は目で私を捉えた。
恐怖で身がすくむけど、精霊達が『がんばれ!』『こわくないよ!』とはやし立てる。
『ちょっと君達、ボーーッとしてないで聖女を援護して!』
精霊達が唖然としているラセルやキースへ呼び掛ける。
「なるほど。そういうことか」
ラセルがキースとビスに視線を送る。
「聖女を援護する。魔獣を拘束しろ」
「了解!」
キースとビスターの手にそれぞれ魔力が集まる。
「サンダーチェイン…!」
「アイスジェイル!」
キースの手から鎖が、ビスターの手から氷のオーラが解き放たれる。
「アースチェインジェイル」
ラセルの手から強い魔法が放たれ、キースとビスの魔法をさらに上から覆うように魔物を二重で覆う。
断末魔のような咆哮をあげながら、魔物はもがき苦しんでいる。
『さぁ、やっちゃって!』
『がんばれー』
私は
「
眩い銀の光が核に集まり、閃光が炸裂する。
黒い壁が破裂し、やがて黒煙が霧散する。
後に残されたのは、キュゥゥゥ~キュゥゥ~と鳴く、可愛らしいイルカの子供だった。
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