第49話 接敵

 まあ今は索敵に専念しないとな。

 ギサール様は俺の右手を握っているので、俺は進行方向に対して左側担当である。

 それにしても革の手袋をしていて良かった。

 素手だったら、手汗が気になって周囲を見渡すどころじゃなかっただろう。


 カヘナ・ヌオヴァは南に張り出している大陸からこぶのように丸く突き出した半島の先端にあった。

 なので、基本的に北側を警戒すれば済む。

 四周を見張るのではとても手が足りないが、これなら俺とギサール様でなんとかカバーできた。


 ギサール様は高度100メートルほどの高さを北に向かって飛んでいく。

 この高さはオフィスビルの30階以上に相当した。

 以前勤めていた会社はそんな立派な建物じゃなかったが、客先にはそういう高層階にオフィスを構えているところがあったのを思い出す。

 ガラスの内側でも窓際ではちょっと背筋がぞわぞわした。


 今現在は窓ガラスどころか床も何もないので最初は玉ヒュン状態となったが、なんとか恐怖を飲み込む。

 以前の俺ならこの高さから落ちたら4秒ほどで地面に激突して血糊に変わるはずだ。


 でも、今の俺は自由に空を飛ぶことはできないものの、浮遊魔法のお陰で重力加速度を殺して安全に降りることができるはずである。

 心の余裕が全然違った。

「やっぱり、コーイチは凄いね。この高さでも身をすくませたりしないもの。空を飛んだことがあるせいかな」


 ギサール様が地上に目をやりながら声を張り上げる。

 まあ、飛行機やヘリに乗ったことはあるからなあ。

 そうか、この世界だとこれだけの高さの視点から見下ろすという経験そのものは貴重なのか。


「そうかもしれないですね」

「姉もああは言っていたけど、高いところは苦手だからさ。前もしがみつかれて大変だったんだよ」

 それはどさくさに紛れて抱きつくための口実ではないでしょうか。

 まあ、余計なことは言うのをやめておこう。


「そうなんですね。まあ、俺もちょっとは恐いですけど、ギサール様が一緒ですから安心です」

 あれ。

 ソフィア様へのフォローを入れるため、俺も恐いと言いつつ負担をかけることはないことを伝えようとしただけなのに、奥手な子が精一杯好意を伝えようとするセリフっぽくないか。


 俺の手を握るギサール様の手の力が強くなる。

 うわあ、めっちゃ恥ずかしいなこれ。

 俺は何か話題をそらすものはないかと必死に目をこらす。

 あった。

 西側の崖の近くに動きを発見する。

 数台の馬車が立ち往生して、その周りを何かが取り巻いていた。


「ギサール様! 西の崖際に何かいます」

「本当だ。よく見つけたね。じゃ、急ぐよ」

 ぐんと加速して顔に当たる風が強くなる。

 耳元でヒューヒューという音がなった。

 だいたい時速50キロぐらいだろうか。


 1分ほどで到着し、ギサール様は包囲網の南側に着地する。

 包囲網と表現したけど、網というよりは点という感じだった。

 馬車の周囲に固まる護衛らしき20人ぐらいをを8体ぐらいの気色悪いのが取り囲んでいる。


 その足元には10人を超える犠牲者が横たわっていた。

 四肢や首を切断されたかなりグロい状態である。

 思わずギサール様の前に出た。

 これは子供に見せていいもんじゃない。


 俺だってさっきからこみ上げてくるものを必死に我慢しているぐらいだ。

 吐き気と戦いながら、状況を精査する。

 内側よりも外側の方が人数が少ない。

 それなのに馬車を包囲されている理由は、馬が全部倒されているからだった。


 馬車の中から聞き覚えのある声が怒鳴っている。

 あ、この嫌な感じの声はナジーカだな。

「さっさと倒さんか。この役立たずどもめが」

 声をかけられた護衛たちの絶望感が凄い。


 取り囲んでいる連中は、やや身を屈めた状態だった。

 身の丈1メートル60センチを超える人型をしており、ところどころ皮膚が紫色や灰色に変色している。

 右腕の先は手ではなく硬い爪になっているところが変わっているが、いわゆるゾンビっぽいものに酷似していた。

 明らかにお触りしたくない風情を漂わせている。


 対する護衛たちは手に長ナイフを手にしていた。

 これは緊急事態らしい。

 魔法が常用されている世界なので、俺が知る限りでは切断したり、叩き潰したりする武器はあまり使用されていなかった。

 誰もが拳銃を持っている場所で、わざわざ長くて重い刀剣を使う人間が少ないのと一緒である。


 なんで護衛は魔法を使わないのだろうか?

 よく見ると倒れている遺体の中にはゾンビっぽいのも混じっていて、焼けた跡がある。

 魔法が効かないという話ではないらしい。

 目に見えるところに装着している魔導銀が光沢を失っているように見えた。

 これは魔力を使い果たしたということなのか?


 防風ゴーグルを額にあげ、口元を覆っていたハンカチを下げる。

 後ろから小さな声が聞こえた。

「コーイチ。無理をしなくてもいいよ」

「この程度の連中、ギサール様が出るまでもありません」

 いつまでも守られヒロインをやってられないからな。

 俺も少しは活躍してやるぜ。ありがたいことにラシスから新しい魔法を教えてもらったのを試すチャンスだ。


 練習なしのぶっつけ本番だが、滑らかに口から呪文が流れ出す。

 目標は包囲網の南側に固まっているゾンビの集団。

 距離ヨシ、高さヨシ、範囲ヨシ、出力ヨシ。

 俺は詠唱を完了させた。

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