第35話 嫌悪の理由
学生時代だったら余裕だったのだが、やはり年を取るとダメだな。
あまり待たせては悪いと思って切り替えたクロールは往路しかもたなかった。
復路は適当に平泳ぎや気分転換に背泳ぎ、時には犬かきも交えることになる。
それでもなんとか自分で宣言した距離を泳ぎ切ることができた。
自分で思っていた以上にヘロヘロになりながらも戻ってきた俺にギサール様がとびついてくる。
支えきれずにバシャンと後ろ向きに倒れた。
海面から顔を出して手で水を拭うと近くにギサール様を見出して驚いてしまう。
「うわぷ」
変な声を出す俺を見てギサール様がケラケラと笑った。
「お疲れ様。やっぱり、コーイチは嘘つきじゃなかったね」
「もうちょっと早く戻ってくるつもりでしたが、時間がかかっちゃいました。すいません」
先に立ち上がったギサール様が俺を引き起こしてくれる。
俺とギサール様に見つめられてソフィア様は狼狽した。
「や、やるじゃない。まさか本当に泳げるとは思わなかったわ。コーイチ。あなたが真実を言っていたということを認めます。これでいいでしょ?」
「口から出まかせを言ったわけではないことを認めて頂ければ……」
俺が言いはじめるとギサール様が声を被せる。
「お姉ちゃん。ちょっとそれだけじゃ言葉が足りないんじゃない?」
ギサール様はぷくーと頬を膨らませてみせた。
おどけた格好をしているがご立腹しているように見える。
「ギサール様。せっかくの凛々しいお顔が台無しになります」
俺が宥めると唇をすぼめてふうっと空気を吐き出した。
「だって、コーイチ、あれだけ責められたのに悔しくないの?」
悔しいかと問われるとあまり悔しくはないんだよなあ。
それをそのまま口にするとちょっとマゾっぽく聞こえちゃうから言わないけどな。
ソフィア様のような美少女とお話をする機会は、あっちの世界では皆無だったわけでして、例え刺々しい言葉でも俺に向かって言葉をかけてくるだけで貴重な経験だったりする。
それに、好きの反対は嫌いじゃなくて無視って言うじゃん。
本当に俺のことがどうでもよければ眼中にないように言葉もかけてこないと思うんだよね。
まあ、大好きなギサール様にくっついて周囲をちょろちょろしている俺は完全に無視するのも難しいのかもしれないけれど。
それで、よせばいいのに、俺につっかかってきて自爆するのはこれで2回目だ。
意外とポンコツ可愛く思えてきたり……はさすがにしないけど、ちょっと気の毒だなとは思う。
独占したいと考えている相手が自分以外の人に関心を持っているのを見せつけられるのは凄く辛い。
そういう経験なら自慢じゃないが、高校、大学、会社で嫌になるほど経験してきた。
しかも今回は俺がギサール様に押し倒されるというハプニングまで目の当たりにさせられている。
キャッキャウフフとしている、ように見える姿なぞ目にしたくもなかっただろう。
ということで、もう十分なんですよね。
どちらかというと怨恨を残さない方が俺にとっては大事なんです。
どうやって場を収めようかと思っていたところ、うまい具合に俺の腹が鳴った。
ぐううう。
俺は頭をかきながら恥ずかしそうな振りをする。
「やっぱり、ちょっと無理をしたみたいです。お腹が減りました」
「そうだね。それじゃあ、何か食べに行こうか」
俺の意を汲んでくれたのか、ギサール様は追及の手を緩め、ふよふよと浮かんでテントの方に向かい始めた。
追いかけようとするが、俺が脱ぎ捨てたサンダルとの間にはアチアチに熱せられた白い砂が横たわっている。
どうやって取りに行こうか考えている俺の目の前で、サンダルがひゅっと飛んできて俺の目の前に落ちた。
振り返るとちょうどソフィア様が白い腕を下ろすところが見える。
「ありがとうございます」
「従者ならギサールから離れちゃだめでしょ」
それだけ言うとソフィア様は呪文を唱えて砂を蹴った。
これはチャンスかもしれない。
俺の横を通り過ぎるときに声をかける。
「なぜ欠格者を憎むのか今度教えてください」
ソフィア様は一瞬だけ顔をしかめるが何も言わずに通り過ぎた。
その後ろを従者2人がついていく。
チラリと俺の方に向けた眼に浮かぶ感情はなんだろう?
憐みなのか?
まあ、サイは投げられた。
今この時点で俺にできることはギサール様を全力でおいかけること。
数百メートルを泳いだ後にすることじゃないが、これが俺の仕事である。
走りにくい砂の上を俺はテントに向かって走り始めた。
食事の支度をしてあるテントに到達すると、4人はすでに薄手のガウンのようなものを肩から羽織っている。
俺の分を手に取って袖を通した。
まだ昼前なので本格的な料理は用意されていないが、簡単な軽食が並んでいる。
ギサール様たちは飲み物を口にする程度だったが、俺は遠慮なく焼き固めたビスケットのようなものを食べることにした。
バターがたっぷりと使ってあり、中にはドライフルーツやナッツが入っている。
なかなかに香ばしくて美味いうえに、食べ応えもあった。
俺が一息ついたのを待ちかねたようにギサール様がやってくる。
「休憩は終わったかい?」
え? もう遊びを再開ですか?
俺は慌ててグラスに入った水を飲み干して立ち上がると、ガウンを脱ぎ捨てて波打ち際へと向かうギサール様を追いかけた。
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