第30話 後援者の依頼
ふいい。
同じ姿勢を続けるのがこれほど辛いとは。
凝り固まった体をほぐしながら、ギサール様に尋ねた。
「退屈じゃありませんでした?」
「ううん、全然。魔導書の暗唱してればいくらでも時間は溶けるからね。それに、コーイチは普段後ろにいるでしょ。じっくり眺める機会はなかなかないから」
話の前段はいいが、後段は心の安定に良くない。
俺のことを見ても面白いことなんてないと思うんだけどな。
少なくとも外見に関しては他所の従者よりも圧倒的に見劣りしている。
俺と同様に魔導銀適性欠格者であるマーティンも見た目だけは悪くなかった。
ほぼパーフェクトな存在であるギサール様にとっての唯一の瑕瑾が俺への過大評価だと言われる未来が見えて辛い。
俺が原因でギサール様がプークスクスと陰で笑われるのは耐えられなかった。
まあ、魔法学院に通っているうちはいいけど、社交界デビューすると色々とありそう。
ド偏見だけどああいう世界って陰口酷そうだもんな。
俺と親しくしてくれるのは嬉しいんだけど、もうちょっと距離感ということを考えた方がいい気がする。
でも、今はバカンス中だもんな。
オイゲン様に対してギサール様は息抜きが必要と言った俺がそんな主張をするのも変な話だ。
「失礼します」
裏庭の垣根のところから声がかかる。
二人組の従者のうちの一人ラシスが略式礼をした。
「もう、そんな時間か」
ギサール様がカウチから身を起こすと魔導書を消す。
実体感を伴っているが魔導書は、ホログラフィのようなものだった。
何らかの方法で入手した魔法の術式を無意識下に記憶したものをこうやって呼び出して閲覧することができる。
ギサール様ぐらいになると他人の知らない希少な魔法も記されていた。
俺も一応魔導書はあるが、既知のありふれたものしかないんだよなあ。残念。
そんなことを考えている俺にギサール様が申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「悪いね、コーイチ。姉がどうしても2人でと言うからさ。まあ、ずっと同じ姿勢をしていて疲れたでしょ。ゆっくり休んで」
今日のお昼はソフィア様がギサール様と例の浜焼きの店で食事をすることになっている。
ガジークの略奪船を撃破したお祝いにという名目で、ギサール様と普段はあまりすることのできない買い食いを楽しもうという計画だった。
お姉ちゃんがイケナイことを体験させてあげる、ということなのだろう。
なお、俺と一緒に体験済みなのはノーカン扱いとするつもりのようだ。
ということで、今日のイベントに関しては俺が視界に入ることすら容認できないらしく、俺はアンジェの工房でお留守番をすることになっている。
まだ、カメオの制作作業が残っているし、別に俺に否やはなかった。
これでソフィア様が俺への当たりを和らげてくれるならむしろ歓迎したいほどである。
問題はギサール様が切なげな表情をされていることであった。
まるで付き合っている相手が遠い場所への赴任を命じられて、新幹線の駅か空港で別れを惜しむ風情に見える。
「お気遣いありがとうございます。ちゃんと休んで、午後もしっかりとモデルを務めます」
そう言うとやっと愁眉を開いた。
ほんの1時間かそこら程度ですし、距離的にも500メートルぐらいしか離れないんですよ。
アンジェは俺とギサール様の様子を見ているが特に何も口にはしない。
「それじゃ、また後でね」
とギサール様がラシスの方へと近づいていくのに、垣根のところまでついていく。
「ギサール様をよろしくお願いします」
ラシスに頼むと言われるまでもないという顔をされた。
まあ、向こうからすれば俺は魔導銀を使えないミジンコだからなあ。
快速船に乗り移ったときの件はそれはそれとして能力的には自分の方が上という認識でも仕方ない。
「お任せを」
ギサール様は建物の角を曲がって見えなくなる前に振り返るとブンブンと手を振った。
俺も肩のところまで手を挙げてそれに応える。
アンジェのところに戻ると昼食の支度をしていた。
「この間のようなご馳走は出せないわよ」
「いえ、むしろご迷惑をかけてすいません」
押し麦のリゾットと鰯にチーズをかけて焼いたものを頂く。
話題に困るかと思っていたが、遭難時のことを話題に振ってくれたので助かった。
俺の話相手は権力者が強引に囲おうとする程の綺麗な女の人である。
話の流れを作ってくれなければ不自然な沈黙が場に停滞したに違いない。
まあ、アンジェはお店をやっているので世間話は得意なのだろう。
俺の話の要所要所で適当な質問を挟み、大袈裟な程の相槌を打ってくれ、それなりに盛り上がった。
「大変でしたねえ。でも、生還できて良かったですわ」
「ありがとうございます。お陰でカメオのモデルになるという貴重な経験もさせてもらってますよ」
「ギサール様と仲がよろしくていらっしゃるんですね」
「そうですね。有難いことに良くして頂いております」
ここで会話が途切れる。
しばらく迷う素振りを見せたアンジェが意を決したように切り出した。
「大変不躾なお願いではありますが、コーイチ様に後援者になって頂くことは可能でしょうか?」
「ええとそれは……」
「先日はしつこくつきまとっていたあの男を一喝して頂いて助かりました。でも、ギサール様が首都に戻られた後にまた言い寄ってこないとも限りません。それで、私がコーイチ様の庇護下にあれば、例え離れていても、あの男がそう簡単に無体なことはできないと思うのです」
「俺にそんな力は……」
「ございます。だってコーイチ様はギサール様の寵臣でいらっしゃいますもの」
「であれば、直接ギサール様に後援者になって頂けばいいのでは?」
アンジェはため息をつく。
「私ごときをお相手になさるはずがありません。それにまだお若すぎます」
「年齢に何の関係があります?」
アンジェは驚いた顔をした後、急に頬を染めた。
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