第9話 朝食の席で

「ねえ。コーイチ。朝食を食べたら町に行ってみようよ」

 ギサール様がテーブルで目を輝かせている。

 無事にアイラ島にあるコーネリアス家の邸宅に転移してきて3日目の朝のことだった。


「朝の日課の魔法の鍛錬が終わったらね」

 俺は朝食のご相伴にあずかりながら答える。

 本邸では考えられないが、ここでは俺がギサール様と一緒に食事をしていた。

 アイラ島にある邸宅に詰めている使用人たちは本邸から若君と一緒にやってきた俺を粗略には扱わない。


 俺がこちらの世界にやってきた頃にコーネリアス家が手に入れた家である。

 アイラ島が人で賑わうのは夏だけであり、ここの使用人たちはまだ客人を迎えて接したことがなく、当然本邸に行ったこともない。

 そのため、別荘の使用人たちは俺の本邸での評価も知らないのだった。

 また、もともと現地採用のためか野心もなく温和でのんびりとしている。 

 お陰で俺はすこぶる居心地がいい。


 朝からブイヤベースのような魚介のスープに白いふわふわのパンという豪華な朝食をとっていた。

 内陸にあるフォースタウンでは海の幸にお目にかかることはなかったのでとてもありがたい。

 

 言われた本人はあまり気にしていなそうだが、朝から出かけるのをすげなく却下した理由を説明する。

「朝早くから出かけてもお店が開くのはお昼前からなので、あまり楽しくはないですよ。朝の涼しい時間の方が勉強がはかどります。そうすれば午後は気兼ねなく過ごせるでしょう?」


 夏休みの宿題を8月30日になるまでやらなかった俺がこんな罰当たりな台詞をいいかについては大いに疑問があった。

 俺の子供の頃のことをギサール様に質問されたら、嘘をつくか、権威が崩壊することを覚悟して恥ずかしい真実を告げるしかない。


 ましてや、相手はギサール様だ。

 昨日、一昨日と魔法学院の課題を先に終わらせると言ってわき目もふらずに自室に籠って取り組んでいる。

 全てを見通せる存在が居たら、どの口が言うた、と俺の唇をアヒルのようになるまでつままれるに違いない。


「そうだね。じゃあ、午前中は頑張って魔法の練習をするよ。お昼前には出かけられるようにね。僕、すごく楽しみにしているんだ」

 無邪気に笑うギサール様の顔がまぶしくって仕方なかった。

 俺の人生においてここまで慕われた記憶がない。


 身の程知らずな俺はギサール様の従者になってすぐのときは、どうせならギサール様の姉のソフィア様の方が良かったなどと考えた。

 ギサール様より3歳年上のソフィア様は常にクールさを保っている。

 類まれなる美少女の容貌を見るたびに俺は密かなため息が出てしまうのだった。


 仮に魔導銀適性欠格者でなかったとしても俺の手が届くことはない高嶺の花である。

 俺に対する態度は氷の月というあだ名どおりに冷えっ冷えだが、家族以外の者に笑顔を見せることはないので、誰にでも同じ態度なのだと思うことにしていた。

 俺にマゾッけはないので、毎日あの表情で見られ蔑まれているというのはさすがに辛い。


 その点、ギサール様は常にぽかぽかにこにこ春の太陽のようだった。

 しかも、俺と一緒に出かけるのが楽しみなんていうお言葉まで頂いて、感涙のあまり折角のスープがしょっぱくなってしまうところである。

 ある意味でギサール様が男で良かった。

 もし、女の子だったら勘違いを犯してしまった可能性がある。

 

 まあ、俺が職権を乱用してギサール様に不埒なことをしようとしたところで、魔法で制圧されて終わりだろう。

 こんがりローストされるか、切り刻まれるか、バラバラに砕け散るか。

 俺にはその程度の理性はあるのでそんなバカな真似はしないと思いたい。


 ただ、先ほどのような態度は正直なところ勘違いをしてもやむを得ない部分はあると思う。

 ギサール様は使用人の誰に対しても礼儀正しいし、常に朗らかだった。

 でも、先日のお願いポーズや今朝のセリフのようなものを俺以外の他人にしたり言ったりしていることを見たことがない。

 なんだかよく分からないが慕われているということをひしひしと感じていた。


 俺に少年愛の傾向はない。

 だから、ギサール様から向けられる感情を勘違いすることは心配しなくていい。

 絶対に大丈夫だと言い切れる自信がある。

 だが、もし女の子だったらと思うとそこまでの確信は持てなかった。


 ギサール様にとっての俺は、ちょっとミステリアスで何をしているかよく分からない親戚の叔父さんポジションなのだろう。

 俺にも経験があるが、常に顔を突き合わせる家族でもなく、かといって全くの赤の他人でもない謎の叔父さんは意味もなくカッコよく見えたし憧れていた。

 俺は異世界人だし、ギサール様のお父上たちと比べれば明らかに崩れている。

 普段はちゃらんぽらんで無能だと思われているけど、本当は実力者というキャラに憧れるのと同じ心理かもしれない。まあ、俺に実力はないけど。


 だから、俺は清く正しく、ほどほどに緩い叔父さんを演じるのだ。

 何でもかんでも言うことを聞くのではダメ人間を製造してしまう。

 俺は素晴らしい人格者ではないが、反面教師としてはかなり優秀だ。

 ギサール様は優秀なので、すぐに俺のような人間の底の浅さに気づくだろう。


「ギサール様。私も楽しみにしています。昨日はそのための下見もしてありますので」

「分かった」

 ギサール様は輝きをパワーアップされる。

 本性がバレるまではしっかりいい人を演じようと、俺は固く決意するのだった。

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