第8話 転移と不安と
転送の魔法陣に踏み出す。
見送りはオイゲン様とギサール様の兄スティーブン様、グラフトンだけだった。
オイゲン様はギサール様をじっと見つめている。
スティーヴン様は長身を折り曲げてギサール様をぐっと抱きしめた。
「父上と兄上は本当にいらっしゃらないのですか?」
「ちょっと仕事が立て込んでいてな。ソフィアもそろそろ到着する頃だろう」
「もし可能ならお姉さまが来るときまでには一緒に来てくださいね」
スティーヴン様はふっと笑う。
「大人になると仕事で休む間もなくなる。今のうちにやりたいことをやっておけ。俺も子供のときにやらずに後悔したことが色々とあるからな」
スティーヴン様がギサール様のほっぺをつまんだ。
ギサール様はくすぐったそうな顔をする。
「コーイチ!」
スティーヴン様が上半身を起こすと俺に向かって鋭い声を発した。
絵になる光景を眺めてほっこりしていた俺は突然に話しかけられて飛び上がりそうになる。
家族水入らずの語らいの最中に私ごときに何用ですか?
すーっとスティーヴン様は歩かず空中を浮遊して俺のところへやってくる。
「コーイチ。ギサールのことよろしく頼むぞ」
「はい。非才の身ですが私に出来る限りのことをする所存です」
「それでは足りぬな。身命を賭してギサールを守るのだ」
う。圧が強い。
そうじゃなくても顔がいいのにマジ顔で命じられると下手に大きな声を出されるよりもきついものがある。
「肝に銘じておきます」
オイゲン様の方を目の端で見ると俺の方へと鋭い視線を送っていた。
側に控えるグラフトンも冷え冷えビームを俺に向かって放っている。
そんなに心配なら俺じゃなくてもっと信頼できる人間をつければいいと思うの。
ただ、俺は余計なことを言わずに頬を引きつらせながら厳粛な顔を保とうとしていた。
「コーイチ。さあ、魔法陣の上へ」
ギサール様が俺を呼ぶ。
うっすらと青い光を放つ魔法陣の上を俺はおそるおそる進んでいった。
昔見たホラー映画のことがどうしても頭に浮かんでしまい、周囲の空間をきょろきょろと見回す。
瞬間転移装置の実験で転送元の容器に蠅が紛れ込んでいたために、転送先で蠅人間が生まれてしまうというストーリー。
まあ、それを言うなら、俺はギサール様と一緒なので事故が起きたら混ざるのは美少年だ。
付き人の資質としてはともかく、容姿としてはこんなに平凡なおっさんが大切な息子に混じることは父兄として容認できるはずもないので大丈夫なんだと思いたい。
ただ、千キロメートルに相当する距離をほぼ一瞬で移動できると言われると期待よりも不安の方が大きくなってしまう。
火を出したり、水を浄化したりとはわけが違うのだ。
それらは現代日本の科学技術でも実現できている。
しかし、瞬間移動は完全にその水準をオーバーしていた。
まあ、凄い魔法だけにアホみたいに大量の魔力を消費するらしい。
俺たちの移動には金塊のようなサイズの魔導銀のインゴットを使うことになっていた。
日本円にしていくらになるのか想像もつかない。
左手に魔導銀のインゴットを手にしたオイゲン様が呪文を唱え始める。
ふう。
俺は大きく深呼吸をした。
転送の魔法を行使するのは最高レベルの魔術師でもあるオイゲン様だ。だから大丈夫。問題ない。
自分に向かって言い聞かせた。
でもなあ、オイゲン様の目の前には分厚い魔導書が浮いている。
間違えたりしないよな。
そりゃ確かにこれだけの大魔法を要件定義するのは大変だというのは理解できた。
一応俺もプログラマの端くれだ。
転移させようとする対象など細やかに指定しなければならないことが山のようにある。
産業用ロボットに卵のパックから卵を一個取り出し、殻を割ってフライパンに入れるという動作をさせることを例にあげてみよう。
人間ならよほど不器用じゃなければそれほど難しい作業じゃない。
ただ、これをプログラムしようとするとマジで吐ける。
まず、卵のパックからどの卵を使うのか選ばなければならない。
人間なら適当に選ぶだろう。
この適当というのが曲者だ。機械に適当はない。
横5列、縦2列の左上から卵を使っていくというように決める。左上にあまり意味はない。決めないと先に進まないから決める。
もちろん、卵を使ったら勝手に生えてこない。目標となるパックの凹みに番号を割り振り卵が入っているかいないかフラグを立てる。入っていれば1、入っていなければゼロ。卵が入っている凹み10か所全部をチェックする。1番から順にフラグを確認し最初に1になっている場所が卵を取る場所だ。
ロボットアームのある場所からその番号の凹みに対応する水平方向の縦横の距離を呼び出し、その長さ分アームを伸ばして、次にアームを支えている基部の高さを卵を掴める位置まで降ろして……。まだ卵つかめてないんですけど。
この後も卵を掴む爪のサーボ機構の強さの調整もある。弱ければつかめないし、強すぎれば割れる。
長距離転送も同様の数々の指定があるはずだ。
たぶん魔法陣は転移の機構自体をあらかじめ設定してあり、設定作業を簡略化してくれる。
そんなことを考えている俺の目の前で魔法陣から発する光が赤い色に変わった。
マジで数値の設定誤りとか勘弁な。
アイラ島の屋敷の地下室じゃなくて、壁の中とかマジでロストするから。
気が付くと床の感覚が消えていた。
下に視線を向けると脚、腰、胸と消えていく。
横をちらりと見ると俺より身長の低いギサール様の目まで消えていた。
最後に術者のオイゲン様の顔が目に入る。
その面前に漂う苦しそうな悲し気な気配に俺は不安をかきたてられたが、その意味するところを確認する間もなく何も見えなくなっていた。
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