第7話 提案の結果
屋敷が見えたところで大事なことを思い出す。
「また、お手紙をお預かりしています」
「どなたから?」
差出人の名前をお伝えすると、ギサール様はニコリと笑った。
「それじゃ、急いで返事を書かなくちゃ。すぐに魔法学院がお休みに入るからね。夏の間中待たせたら申し訳ないもの。明日までに書き上げるから渡すのをよろしくね」
「畏まりました」
それだけ早くお返事するということは、やっぱりお断りか。
ギサール様の立場だとうっかり色よい返事も書けないし、そういう場合はお父上に話を通しておかないと大変になる。
問題の大きさは買い食いするどころの話じゃない。
成人前の本人同士の結婚の約束は自動的に無効となるから、あくまで恋愛の真似事でしかないのだけど、色々と不自由だよなあ。
そういうわけで、いくらお手紙をもらったところで基本的にやんわりとしたお断りになるのだけど、それを自分で書くとか誠実すぎる。
前に目撃したことがあるが、お断りの手紙なのに色々とギサール様に褒められたのか従者にそのことを話して嬉しそうにしていた。
俺はギサール様の後頭部を眺めながら、将来の不安がちょっぴり増える。
いずれ大人になったときに婚約希望者の列で大渋滞が起きなければいいけど。
ギサール様に買い食いの件を請け合ったので、屋敷に戻った後に早速家令のグラフトンにご当主様へのお目通りを願い出る。
ご当主様は公務で日中は家を空けることが多く、そう簡単には会うことはできない。
まずは家庭内のことを取り仕切るグラフトンに話を通さなくてはならなかった。
社長にいきなり面会できないのと似たようなものである。
そのグラフトンは40代半ばくらいの痩せぎすで冷たい目をしていた。
やり手と評判で前に出ると他の使用人たちは自然と背筋が伸びてしまう。
周囲から距離を置かれているという意味では俺といい勝負だが、それなりに敬意を抱かれてもいる。
俺はギサール様の生活のルールについて緩める方向で少し見直しをしてはどうかという提案を話した。
グラフトンは目を細める。
「何かと思えば、そのような下らないことか。ご当主様にお伺いをたてるまでもない。却下だ」
ここまでは予想通りなので言葉を続けた。
「なるほど。ご家令は将来ギサール様が非命に倒れられてもいいと仰るのですね」
グラフトンは眉を上げる。
「そんなわけがあろうか。馬鹿も休み休み言え」
怒気をはらんだ声を出した。
他の使用人なら恐れおののいて逃げ出すところだろう。
しかし、超絶パワハラ野郎の下で働いてきた俺にとってはぬるいものだった。
話を打ち切られないようにわざと挑発したわけで、気分を害することを予測しているのだからなおさらである。
「とある王妃の話です。物価高騰により食料不足となったときに、パンがなければお菓子を食べればいいと言い放ち、民衆の憎悪の的となって遂には処刑されました。その王妃は決して愚かではなく、単に社会の下層のことを知らなかったのです。ギサール様は聡明であられますが、庶民のリアルな生活はあまりご存じではありません。書物で読むことと実際に体験することには差があると考えますがいかがお考えになりますか?」
グラフトンはいつもの怜悧な態度に戻った。
「言いたいことはそれだけか」
「とある若い貴族が別の家に養子にどうかという話を受けた際に、身分を隠してその養子先の領地を見て回りその上で承諾したということがございます。この貴族はその後領内のことを知悉していることを生かし見事な政治を行って名君と称えられました。また、戦場で名を馳せた将軍は一兵卒と同じ食事を取り、下々の事情に通じていたので、兵士はよく懐き、手足の如く軍を率いたと……」
「分かった。もういい」
グラフトンは手を振る。
「ご当主様は忙しい。時間が取れるかは約束できないがお伺いは立ててみよう」
「ありがとうございます」
とりあえず第一関門は突破した。
なんとか俺の作戦がうまくいったようである。
一介の従者である俺の言葉に耳を傾けるように色々と言葉を散りばめておいたからな。
最初に説得材料に使ったマリー・アントワネットの逸話は、本当のところは事実かどうか怪しいという話もある。お菓子は誤訳でブリオッシュ、つまり白く精製されたパンではなく廉価な代用パンのことを言ったのであって、そこまで世情に疎いわけじゃないという説も聞いたことがあった。
しかし、この逸話を紹介したことの肝はそこじゃない。この俺が王妃という高貴な立場の逸話を見聞きした地位にいたと思わせるところに意味があった。
貴族とか将軍のエピソードも、俺のことを一介のサラリーマンではなく、それなりの社会的地位にいた人間と思わせるためのものである。
人は発言の中身よりも誰が発現したかということに重きを置くことが多い。
ただの従者の発言なら鼻で笑われて終わりだが、別世界の上流階級に属する者の発言となれば話は別だ。
まあ、今までも、数千年の歴史を持つ国で国政を動かす会議体のメンバーを選出する投票権を有し、死ぬほど忙しく働いてきた、と嘘ではないが大人物に見せかける自己紹介をしている。
そして、俺が嘘をついていていないことは魔法で確認済みだった。
ギサール様の父上はとても忙しい。それは
そう、教育水準が高くないこの世界では知識を持つ貴族階級が死ぬほど働かなければ国家が維持できない。
ハードワークをしていたことはステータスなのだった。
グラフトンに話をした3日後にギサール様の父上オイゲン様にお目通りする機会を与えられる。
窓辺に立つオイゲン様に対して片膝をついた。
「コーイチ。話は聞いた」
顔を上げると振り返ってこちらを見ている。
「そこでだが、そなたには魔法学院が休みの間、ギサールがアイラ島に滞在する間の世話役を任せる。話は以上だ」
こちらが口を開く間も与えられず、手を振って退室を命じられてしまった。
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