第3話 水質浄化の魔法
朝から酒を飲むとはいい御身分である。
ただ、このエールは俺たちのような庶民向けのものなので薄めてありアルコール度数は低い。
味の方も量販スーパーのプライベートブランドで出しているビール風味の発泡アルコール飲料といい勝負だった。
ジョッキを抱えてマーティンはぽつぽつと話をする。
天気の話に始まり、貴族のゴシップ、最近できた店、妹夫婦にできた甥っ子のことなど、一貫性のない話題を持ち出してきた。
屋敷に戻っても昼飯はない。
まあ、そこまでは付き合うかと俺は腰を落ち着ける。
少し早いが昼飯にしようとマーティンが注文したものが運ばれてきた。
木皿の中にはどろっとしたものが入っている。
チーズで味を付けたリゾットだった。
「たまには分厚い肉と白いパンを食べたいが、俺たちみたいな貧乏人はこんな粥しか食えねえな」
マーティンが文句を言いながら匙ですくう。
「俺は結構好きだけどな」
どうせ後で割り勘をすることになるので遠慮せず俺もチーズリゾットを口に運んだ。
この世界では米は身分の低い者が食べる食物である。
だが、俺にとっては問題ないどころかむしろ喜ばしかった。なんと言っても米だけ食って生きてきた日本人のDNAを持っている。
むしろ米を食べられない方が苦しんだだろう。
癖の強いヤギのチーズと塩で味付けしてあるリゾットをせっせと口に運んだ。
俺にとっては固くて黒くてちょっと酸味があるパンを食べるよりもよっぽど良い。
長粒種であっても米は米である。
まあ、欲を言えばそのまま米を炊いて醤油を垂らして海苔を巻いて食べたいがさすがにそれは贅沢というもの。
「まったく、長い間忠誠を尽くしてもこんなものしか食べられないんだから嫌になっちまうぜ」
マーティンは食事をしながら文句たらたらだった。
「俺たちも魔導銀が使えればもうちょっとマシな生活できたろうにな。そう思うだろ、コーイチ?」
「ん-。俺は今の待遇に満足しているけどな。以前に比べればずっといい」
「へえ。どんな仕事をしていたんだよ」
プログラマと言っても通じるはずがないし、説明するのも面倒くさかった。
「うん、まあ色々だ。まあ、中身というより仕事の長さが大変だった」
夜中もほとんど寝ずにぶっ続けで働いていたことを説明する。
「こんな食事すら取ることはできなくて、魔剤……飲むと体力が回復する液体だけでずっと働くんだ。肩は凝るし目はしょぼしょぼするし頭痛はするしでひどいもんだった。それに比べればずっとマシさ」
実際のところ俺の今の勤務時間は8時間程度である。まあ、時計がないので正確なところは分からず感覚的なものではあるが。
待機時間も長いので実働時間はさらに短くなるうえに残業は基本的にゼロ。
魔法学院の授業は6日に1日の割合で休みがあるので、一月に5日も休みとなった。
以前の俺の労働環境は……思い出すだけで震えが出る。
俺の話しを聞いていたマーティンが怪訝そうな顔になった。
「コーイチ。お前、以前は奴隷だったのか? いや、奴隷でももうちょっと待遇はいいな。何か罪を犯して刑を科せられていたんじゃないだろうな」
奴隷以下ですか。
ジャパニーズサラリーマンはそんなもんなんだけどな。
「いや、別に刑を受けて働かされていたわけじゃないよ」
「じゃあ、少し話を盛ってるんだろ。そんなひどい境遇だったら絶対逃げ出すはずだぜ」
「別に信じられないならそれでいいよ。とりあえず、俺は今の仕事に満足してる。魔法だって全く使えないわけじゃない」
俺はとなりのテーブルに置きっぱなしだった水差しを持ってくる。
左手の親指と人差し指で輪を作ると呪文を唱えた。
輪っかを通すようにして空になったジョッキに水を注ぐ。
この水差しの中は心の安寧を保ちたいなら見ない方がいい。
俺の指で作った輪っかには小さなごみや何かの羽虫が浮いていた。
でも水質浄化の魔法を使っているのでジョッキの中に入っている水はきれいになっている。
一度水差しを置くと体をねじって親指と人差し指を離した。
薄い円盤状のものが地面に落ちる。
マーティンのジョッキにも注いでやった。
俺と同年配かやや若いマーティンは魔導銀から魔力を引き出せないことに自暴自棄になってほとんど魔法を学んでいないらしい。
経済的事情により大学進学が見込めない家庭の子供が勉強をしないのと似ているかもしれないなと思った。
理屈の上で、勉強をして身につけた知識はどこかで役に立つかもしれないと理解していても、すぐ目の前の門が閉ざされていても努力するというはなかなかに難しい。
俺が日々の食事により生み出せる細々とした魔力でも、この水質浄化の魔法は十分に使えた。
あくまで感覚的な話だが1日に溜まる魔力を10とすればせいぜい1ぐらいの消費という気がする。
だからマーティンも不貞腐れていないで魔法の勉強をすればいいのにとは思った。
だが、俺はそれを口にはしない。
俺だって目新しさから夢中になっているだけというのは分かっていた。
きっと今俺は傍目には得意げに水を注いでいるのだと思う。
でも、この世界の人間の大多数はごく普通にやっていることなのだ。
そもそもマーティンは浄化していない水を飲んだところでなにも起きない。そういうふうに体ができていた。
一方で同じ水を俺が飲んだら、今日の午後には厠に閉じこもることになる。
実際、コーネリアス家に雇われる前に酷い目にあっていた。
水質浄化の魔法が使えたところで誰も褒めちゃくれない。
そんな魔法ですら俺は1日に10回使う程度しか魔力が溜まらかった。
もちろん使わなければ魔力は体に溜めておける。
ただ、なんだかんだでちょこちょこ魔法を使うため毎日魔力の収支がほぼ同じになっていた。
生活が苦しくてちっとも貯金ができないのに似ている。
元の世界と同じような境遇にあえでいるのは変わらないのだった。
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