課題曲

お昼を食べた後はあきちゃんの部屋でギターの講習会。

まずはちえさんが僕達が持っていったスコアの曲を披露してくれると言うので人生初のギターの生演奏に期待が膨らむ。


ちえさんは集めたスコアの曲は全部弾けると言っている。

アンプにギターを繋ぎ、CDをかけてその曲と合わせてくれた。

アンプから聴こえるギターの生音に僕は興奮してしまう。

めちゃくちゃカッコいい。

全身にちえさんの演奏するギター音が響き渡る。


『これくらいの曲はすぐに弾けるようになるからまずはこの曲を課題にしようか』

ちえさんが言うには簡単な曲らしいのだ。

僕はこの曲が大好きなので課題曲としては最高だと思った。

課題曲を設定して目標を立てた方がモチベーションが維持され練習が捗ると教わった。


この後、TAB譜の読み方やギターのテクニック、技などを教えてもらう。

エレクトーンを幼稚園の時からやってきた僕は要領の掴みが早く、才能があると褒められた。


バンドの楽しさや達成感の大きさ、学べるものが多くてバンド活動はかけがえのない時間を過ごせるという話をちえさんからたくさん聞かせてもらってバンドをやりたい気持ちはどんどん膨らんでいく。


『ちょっとだけ大切な事を伝えるね。』

ちえさんが真剣な表情になる。

『ギターはとにかく練習が必要なんだ。

練習する時間、演奏している時間を少しでも多く取ることで上手くなる。

技術だけではなく指の皮もギタリストの指の皮になっていくんだよ。

ぷにぷにのキミの指で演奏を続けてたらすぐに切れて血が出てきちゃう。

ギタリストの指の皮はすごく分厚くて硬いんだ。』

ちえさんは自分の指の皮を僕に触らせてくれる。

『そういった物理的な事に関してもギターは練習時間が多く必要なんだよ。

だけどキミはギターを持っていない。このギターは私の大切な宝物だからキミにプレゼントしてしまうわけにはいかない。』


確かにその通りだ。僕にはギターがないので練習ができない。

小学生の僕が簡単に買えるような安い物ではないのだ。

『キミは本当にやる気があるのなら、習い事をするような感覚で毎週日曜日にウチに練習しに来る気はないかな?

夏休みの間はいつ来てもいい。ただ、学校が始まったら平日はダメだよ。日曜日だけね。』

『私がしっかりとギターを教えてあげられるし月謝もいらないよ。大好きなあきにも会えるから一石二鳥でしょ?』


さりげなく僕をイジるための地雷も撒いてくるちえさんだが僕は嬉しかった。

夏休みの間はいつでも来てもいいと言ってくれたので僕は可能な限り毎日通いたいと思った。

夏休みの間に課題曲をマスターしたかったのだ。


電車賃の援助なども必要なので僕は父親にこの事を相談した。

夏休み期間にはできる限りあきちゃんの家に通い、夏休みの間に課題曲をマスターしたいと頼みこんだ。


父親はあきちゃんの住む町の駅までの1ヶ月分の定期券を購入してくれてさらに、夏休み中に課題曲をマスター出来たら安いギターを買ってくれると約束してくれた。


僕のやる気は最大級だ。

この夏休みは必死にあきちゃんの家に通い、ちえさんにギターを教わりながら課題曲の練習に全力で集中した。

あきちゃんとはほぼ毎日会えるようになり、どんどん親密になっていく。

ちえさんやなっちゃんのイジりにも慣れてきて軽くいなせるようになった。


ちえさんは自分が諦めたバンドの道をあきちゃんに託したい気持ちであきちゃんの部屋にずっと大切なギターを置いていたみたいだ。

あきちゃんの元に僕が現れ、あきちゃんとバンドを始めたいと告げた。

そんな僕がギターを覚え、上達していくことがちえさんの夢を叶えるためにもなる。

あきちゃんも僕も、自分から進んでやりたいと思った音楽。

この先どんな苦労があるのかも想像はつかないが僕達はとにかくやる気に満ちていた。課題となる曲をマスターするために毎日ひたすらその曲ばかりを繰り返し聴いた。

TAB譜もコピーしてもらい常に眺めながらイメージトレーニング。

なるべく多くあきちゃんの家に通い一生懸命練習も繰り返す。


通常ではあり得ないくらいのやる気とモチベーションで練習量は多くなり、みるみる曲が弾けるようになった。

8月中には弾けるようになりたかった課題曲だが、8月の中旬くらいには既に一通り通して弾けるようになっていた。

ちえさんからは絶賛の声をもらう。次の日曜日に僕の父親に披露する事になり、僕の家の最寄り駅付近にあるスタジオの予約を入れた。

スタジオに父親を招待してちえさんのギターをアンプに繋ぎ演奏を披露した。


始めてまだ半月くらいの初心者の演奏だが基礎はしっかり出来ているしひたすら反復して練習し続けた曲なので演奏は充分できた。

『すごいな。本当にちゃんと弾けてるじゃないか』

父親に認められ僕はギターを買ってもらう事になった。

父親は初めて会うちえさんとあきちゃんに少し緊張していたのか口数も少なかったが、約束していたギターの購入その場で宣言。


みんなでそのまま楽器屋さんに向かった。

楽器屋さんに入りちえさんに予算が2万円で買える無難なギターを選んでもらう。

この日に楽器屋さんにあったギターの中で僕が欲しいと感じたのは8万円以上もした。

流石に初心者の練習用にそれは買えないと却下されたので僕はいずれこのギターが買えるほどにギターで認められるように頑張ろうと思った。



ついに自分のギターを手に入れたのでこれからはもっと練習が捗る。

2万円の予算でアンプなどを揃えるのは難しく、ひとまずギターと弦をセットで購入する。

父親は役目を終えた達成感と共に帰宅していった。

まだ午前中だったので僕はそのままあきちゃんの家に行く。


こうして1992年夏、僕はギタリストとしての道を歩き始めた。

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