25.書簡
小雨の降り始めたある日の午後、三鷹市下連雀の交差点を吉祥寺方面に向かって、一台の自転車が通過した。その時、すぐ横をトラックが通り、その影響で、自転車はよろよろした。次の瞬間に、トラックの後を走っていた乗用車が自転車に追突し、自転車と乗っていた男性は一緒に激しく突き飛ばされた。乗用車の中には数人の若者が乗っていたように見えたが、そのままスピードを上げて逃げるかのようにその場を立ち去った。
その時たまたま交差点に居合わせた歩行者が急いで男性の所に駆け寄った。自転車はぐにゃぐにゃに変形し、男性は身動きをしないし、頭部から出血もしているようだ。歩行者は即座に119番し、救急車と警察官がやって来た。男性は救急車で運ばれ、警察官は歩行者に事情を聴いた。警察官はその足で、男性の連れて行かれた杏林大学病院に向かった。 男性は頭部を含む全身打撲による即死であった。警察官は持ち物による身元確認を始めた。運転免許証には狛江市西野川の与野瀬幸路と記載されていた。
ところで、丁度その頃、幸路のマンションに狛江署の警察官が来て幸路に親展の書簡を手渡そうとしていた。しかし、狛江署にも幸路の死亡連絡が入ったので、その必要はなくなった。ただ、その警察官は、先に慈恵医大第三病院で幸路に尋問をした人で、まだ幸路の事を覚えていたので、気になってその書簡を読み始めた。
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与野瀬幸路君、
もし、君がこの書簡を受け取ったとしたら、おれはもうこの世にはいない。ところで、今更、君にこんなものを送ったところで、何の役にも立たないことは承知なのだが、どうしても書いておかないといけないような気がして書いた。
君のアパートで世話になった頃は、仕事を失い、頼れる身寄りもなく、友人宅を転々としていた頃だった。そして、君も知っている通り、おれの少年時代というのは幸福なものではない。それが、おれの行いに悪い影響を与えたことは否定できない。しかし、それを理由に、おれの罪を釈明するつもりはない。
あの時は、おれはすぐに望美さんに惹かれた。彼女とは君の結婚パーティー以来の対面だったが、ほんとに、誰にでも愛想がいい人だ。そして、それが、誰にでも愛想がいいだけか、ひょっとして、おれに気があるのか、混乱してしまったのだ。君が仕事に行っている間に、おれは自分を抑えきれずに、望美さんを後ろから抱いてしまった。初め、彼女は抵抗した。それでも、君も知っている通り、おれはかなりの力がある。自分の思う通りにしてしまったんだ。明らかに、望美さんはうろたえていた。
ところが、どういう訳か、次の日から、彼女の方から求めてくるようになった。これを聞いたら、君は激怒することだろう。しかし、事実だから仕方がない。それで、おれは望美さんがほんとにおれに気があると思った。それで、おれと一緒にならないかと聞いたのだ。その時、望美さんは、確かに悩んでいるように思えた。君は、おれを滞在させたことを後悔しているかもしれない。だが、君の好意を踏みにじったのはこのおれだ。なんと邪悪なことか。おれに少しでも分別と忍耐があったなら、こんな事態にはならなかっただろう。おれが君の一生を破壊してしまったことに釈明の余地はない。
しかし、さらに無責任なことは、おれが望美さんの所から早々に姿を消してしまったことだろう。おれは望美さんにも謝る言葉がない。それについて、もう一つ言わなければいけないことがあった。君がアパートに帰って来なかった夜、望美さんの君に対する心配は並大抵のものではなかった。おれは止めたのだが、君を探すと言って、君のジャケットと胃の薬を持って出て行った。そして、深夜過ぎに取り乱した様子でアパートに帰って来てからは、おれの事は全く眼中にない様子だった。これも尋常ではないが、おれは君に嫉妬した。そして、やっと悟った。望美さんは、所詮おれと一緒になる訳はなかったのだと。
その後も、おれは、暴力、暴行と、罪を犯し続けた。細かいことは言うまい。そして、これは、つい最近の事であるが、おれの連れが浮気をしていたことに気付いた。許せなかった。そして、それで、やっと君の気持ちを察したのだ。なんとも、愚かで、罪悪なことか。おれは死んだところで今までの罪を償うことは出来ない。ただ、もう、生きていくことも出来ないのだ。最後まで、自分勝手なものだ。確かに、もし、過去に戻ることが出来たら、やり直したい。いや、その前に、両親を選ぶべきだったかもしれない。しかし、それが出来ないことは明白だ。重ねて言うが、君と望美さん、それから、名前は知らないが、君達の子供に謝る言葉はないのだ。
灘桝貫太拝
絶望の波跡 蓮 文句 @husmonk
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