21.夜道

またまた、何年か過ぎた。その間に先輩の真夜が退職し、有志で小さな退職祝いの集まりをした。それ以外は、特に変わった事もない日々だった。それでも、過去の事を忘れたわけではない。毎日のように右波と左波の事を思い出してはいた。また、時には望美の事も思い出した。そして、今までずっとしてきたように、仕事のない時は相変わらず、多摩川沿いを歩くのだった。


ある夜、羽田で乗せた女性の乗客は狛江に行って欲しいと言った。幸路はハッとした。狛江と言われたのは右波と左波の時以来であった。それで、また以前の思い出が蘇っていた。と、同時にこの人はどういう人だろうかという好奇心も生じた。その後、首都高に入ったが、この時は渋滞はなく、順調に狛江まで来た。そこからは、言われるままに調布との境界に近い地域の路地に入ってその女性を降ろした。何事もなく行程を終えた幸路はほっとしたと同時に、少しがっかりしたような気もした。幸路は思った、この辺だったら京王線の方が近いかな。だけど、喜多見にも遠くはない。左波の家まで簡単に歩ける距離だ。そして、また、左波と右波の事を思い出しては、悲しみに耽っていた。自分の中にまだ残っている二人の温かみだけが慰めだった。


そんな思いの中、帰路に着いて細い路地をゆっくりと走行中、急に目についたものがある。微かな街灯の光の下に人が倒れているように見える。即座に停止し、車から降りて近寄ると、それは女性だった。服装が乱れ、暴行でもされたのではないかと思われた。幸路と同年代のようだ。心配して、「大丈夫ですか」と声をかけ、抱き起した時、幸路は仰天した。その女性が望美に見えたからだ。「人違いだったら勘弁して下さい」と前置きして、「望美?」と尋ねた。だた、その女性は気を失っているようで返答はない。どんな状態か分からないので、すぐに119番した。救急車が来ると、幸路は事情を話して、病院までついて行くと言った。救急隊員は近くの慈恵医大第三病院に行くので、見失ったら、そこに行けば良いと言われた。当然、幸路には知れた病院だ。病院に着くと、緊急窓口で再び状況を伝え、そこで待機した。


緊急窓口の係の人は幸路に怪訝な顔で聞いた。

「それでは、あなたはタクシーの運転手で、道路で倒れていた女性を発見されて......、その女性があなたの奥さん『かも』しれないということですね?」

「はい。そうです」

「今、緊急看護師がその女性の容態を調べていますので、その間に、この紙にあなたの連絡先を書いてくれますか?」


幸路が書き終わった書類を渡すと、係の人がまた話し始めた。

「与野瀬さんですね?」

「そうです」

「今受けた看護師からの情報だと、持ち物からですが、あなたの助けた女性も確かに与野瀬さんだということです」

「やっぱり! 与野瀬望美ですね! 望美の状態はどうなんですか?」

「詳しい状態はまだわかりませんが、望美さんだということは間違いなさそうです。それでは、確かにあなたの奥さんですね?」

「抱き上げた時にそうかとも思ったのですが。もう15年程でしょうか、会っていなかったので、確信できませんでした。それに、あまりにも偶然だったので......。過去に問題があり、ずっと別居の状態なのです。連絡もしていませんでした」

「そうですか。いずれにしても、私たちは警察に連絡する義務がありますので、このまま、ここで待っていて下さい」


幸路の頭の中は混乱状態であった。もはや記憶の中にしか存在していなかった望美がここにいる。どうしてあそこの路上に意識不明の状態で倒れて居たのだろう、と思ったのだが、それもつかの間、すぐに一人の警察官が来て、幸路に質問を始めた。


幸路は今までの経緯を話した。警察官は警察署と何やら連絡を取り合っていたが、また幸路に話し始めた。

「あなたの言っていることは、私たちの持っている情報と合致しているようです。それに、あなたは嘘をつくような人にも思えないのですが、一応取り調べの対象にせざるを得ないとの事です。その理由は、あなたが大田区で沖右波さんの死亡を届け出たことと関連しています」

「えっ? どういう関係があるのですか?」

「直接の関係ではありません。単に、あなたに関連のある女性が二人暴行事件に巻き込まれたという理由です。これは、全く手続き上、念のためなんですが、両事件ともあなたが加害者ではないということを再度確認する必要があるということなんです。ですから、心配はしないでください。それより、いくら別居していたとはいえ、あなたと望美さんは離婚をされてはいません。それで、夫として、あなたがしなくてはならないことがあります。その点は十分承知してください」

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