19.合流

実際、幸路は3時間以内に左波の家に着いた。タクシーの乗客としてここに来るのは少し変な気分だったが、兎に角、左波に早く会いたかった。ドアをノックして、「幸路です」と言うと、左波が出てきた。二人は何も言わずに、そのまま玄関で激しく抱き合った。そして、左波が幸路の手を取って寝室に向かった。


翌朝、二人はなかなか床を離れなかった。だが、空腹の限界が来て起きだした。

「幸路さん、わたし、今日は仕事を休みにしたので一日中自由に時間を使えるわ。それから、わたし、もう、我慢できなくて。こんなこと、わたしから言っていいのかどうか分からないのだけど......、わたしと......、一緒に居てくれる?」

「もちろん。俺、考えたんだけど、当面、休業しようと思ってるんだ。明日にでも、一度、寮に帰って荷物を持ってきていい?」

「嬉しい。じゃ、ほんとにここに居てくれのね!」

「うん。なんだか、左波さんとはもう長いこと一緒のような気がするよ。ところで~、また、お腹触らして? 子供は~、この辺かな?」

「くすぐったい。わたしね、思ったんだけど。右波は自分が成仏するためにわたしの体を借りたわけなんだけど。ひょっとして、その時にわたしたちを結び付けてくれたんじゃないかと」

「そうかもしれないね。俺は今でも右波が恋しいのは確かなんだ。それで、もし、俺が間違って、左波の事を『右波』と呼んでも怒らないでくれる?」

「いいの。わたしは、右波無しではあなたと結ばれかったのだから」

「そうだ。今日は俺が食事を用意するよ。右波と生活をしている時は、右波が家事をすべてやってくれた。そのお返しをしたいんだ」

「ありがとう。わたし、こんなに幸せでいいのかしら」

「左波、幸せなのは俺の方だよ」


その日から、幸路がすべての家事を始めた。ただ、いくら一人暮らしが多いと言っても、今まで大したことをしてきたわけではないので、実際は左波が手取り足取り教えるということが多かった。それでも、幸路の右波に対する感謝が左波に向かって現れているのは確かだった。そして、約束通り、幸路は社員寮から自分の荷物を全部持ってきた。左波は今まで通り、テープ起こしの仕事は続けたが、二人の時間を取るために仕事の量は減らした。


それまで、左波は家に閉じこもりがちだったのだが、幸路が一緒に住むようになって、二人で出歩くことが多くなった。一番良く行ったのは近くの野川沿いの公園である。時には、少し遠いが、多摩川の河原まで歩いたこともある。それで、左波は、やっと天気や季節の移り変わりを実感し楽しむことが出来るようになってきた。時間が経つにつれ、左波のお腹はだんだんに大きくなり、少し、身動きが遅くなってきた。その頃までには、幸路がうまく家事をこなすようになっていて、左波も楽に過ごしていた。


そして、左波が妊娠8か月になった。幸路は大きくなった左波のお腹をさすりながら聞いた。

「ところで、左波、子供の性別は調べてないけど、どっちかな?」

「実はね、わたしは分かっているわ」

「えっ? ほんとに? どうやって?」

「わたしには『見える』のよ。どっちか聞きたい?」

「うん。教えてよ」

「女の子」

「へ~。凄いな。それじゃ、そろそろ、名前も考える?」

「そうだね。幸路も考えてよ。わたしはね、わたしたち双子に共通の『波』という字を使ったらいいんじゃないかと思うわ」

「それはいいアイデアだ。その線で考えよう」

この時、幸路は、俺はやっぱり幸せな路を進めるかもしれない、と思った。もう一つ思いついた事がある。そうだ、子供が生まれるに際して、結婚のことを考えないと。やはり、子供にはきちんとした環境を与えないと。


ところが、その日の夕方、左波に急に大量の出血があり、同時に強い腹痛を訴えた。幸路は心配になって、救急車を呼び、左波を近くの慈恵医大第三病院に連れて行ってもらった。診断の結果は常位胎盤早期剥離で、かなりの出血で、母子ともに危険な状態と言われた。幸路は気が気でなかった。医師の判断で、すぐに帝王切開となった。だが、未熟児の子供は、出産後、間もなく息を引き取った。そして、出血に伴うショック状態のため、左波もこの世を去った。


手術室の外で、その報告を受けた幸路はいつまでもうずくまっていた。あまりにあっけなかった。たったの数時間の間に、幸せの頂点から絶望のどん底に落ち込んだ。そして、その後は、ほどんど意識のない日時が過ぎた。正気が戻ったのは、母子の遺灰を手に左波の家に帰るところだった。だが、左波の居なくなった家に居ることは絶えられず、自分の荷物を持って、元の社員寮に戻った。仕事の再開は少し待ってもらって、毎日多摩川沿いを歩き続けた。


それから一週間ほどして、幸路はやっとしなくてはならないことに気が付いた。そうだ、左波と娘を、右波とお母さんの所に連れて行こう。それで、すぐ翌日に二人の遺灰を持って高知に飛んだ。また、フライトの途中で思いついて、死んだ娘を「小波」と名付けだ。その足で、太平洋の見える墓地の納骨壇に行き、二人の遺灰を収め、供養してもらった。これで、右波と左波はずっと一緒に居られる。少しでもの慰みだ。幸路はそう思わざるを得なかった。帰りの飛行機の中で、幸路が密かに期待したことは飛行機事故であった。しかし、周りの幸せそうな家族の様子を見ていて、それが、なんと自分勝手な期待かと思わざるを得なかった。

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