17.成仏

その後、幸路と左波は海岸まで坂を下りて行き、海辺の道を歩き、途中、喫茶店で休憩をしてから、夕刻にホテルに着いた。ホテルでチェックインした後は、部屋で暫くくつろぎ、その後、それぞれ大浴場へ行った。夕食は現地の新鮮な魚介類が豊富に出て、東京育ちの二人には嬉しいものだった。食後はホテルのお土産店に寄って、幸路が会社の人に土産を買った。左波は何も買わなかった。幸路は、数週間前に来たばかりだからかなと思ったが、左波が小さな声で言った。

「実は、わたし、自宅で仕事をしているし、あまり他の人と交流がないので、前回もお土産は買わなかったのです」


部屋に戻ると、和室には布団が二組並べて敷いてあった。幸路は少し驚いた。どうやら、左波はその驚きを察したようで、説明するように言い始めた。

「幸路さん、実は、わたし、右波から言い使ったことがあるのです」

「えっ? 右波さんとは別れてから一度も会っていないんですよね」

「その通りです。ですが、この旅を計画している時なんですが、夢の中に右波が現れて、わたしにこう言ったのです。『左波、一生のお願いがあります。うち、無残な死に方をして、幸路さんにきちんとお別れを出来なかったのです。それで、実は、体が無くなった今でも、死にきれないでいるのです。左波、高知に行く時に、左波の体を一晩だけ借して下さい。うち、幸路さんにもう一度だけ抱かれたいのです。そうしたら、うちも成仏できると思います。お願いします。』」


これを聞いて、幸路は涙が止まらなかった。右波への思いが込み上げてきた。そして、左波は続けた。

「それから、幸路さん、わたしのことは気にしないでください。心配はご無用です。わたしは独り者だし、誰も気にする必要はありません。幸路さん、今、わたしは、右波の体です」


そう言うと、左波は、両手を幸路の方に差し出した。幸路は右波との最初の体験を思い出した。不思議だ。同じだ。確かに、今、目の前に居るのは左波だ。火傷の痕があるのは左手で、顔ではない。だが、今両手を差し出しているのは、正に、右波だ。

幸路はその両手をしっかりと握って、言った。

「左波さん、ありがとう。右波、会いたかった」


翌日、幸路と左波は高知から羽田に帰ってきた。二人とも、行きとは打って変わって無口になってしまった。羽田でこれからタクシーに乗ろうという時に、左波が重い口を開いた。どうも、泣いているように見える。

「幸路さん、右波に会わせて頂いてありがとうございます。そして、あなたと会えて良かった。さようなら」

「左波さん、私こそ、会えて良かった。また、会えますか?」

「いいえ」

「えっ? どうして?!」

「分かって下さい。会いたくないのではないのです。わたしはあなたが右波に再会するための仲立ちだったのです。昨夜、右波は成仏できたはずです。それで、わたしの務めは終わったのです。ありがとうございます。お元気で。さようなら」

幸路が返答する間もなく左波はタクシーに乗り込み、走り去った。


左波が行ってしまった後、幸路はいつまでもそこに立ち止まっていた。途中、同じ会社の運転手達が何人も幸路を見かけては、「お~い、与野瀬、何でそんなところに突っ立ってんだよ~? 仕事はどうした~?」と声をかけて行った。

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