10.両手

昼食の後、幸路と右波は、右波の双子の妹、左波を探しに狛江に行く計画を立てた。幸路のアパートから電車で狛江に行く最も簡単で早いのは、蒲田駅から京浜東北線で川崎へ、そこから南武線で登戸へ、さらに小田急線に乗り換えて狛江まで行く経路のようだ。駅から駅まで一時間弱というところだろう。


二人は、幸路の次の休みの日を待って、狛江まで左波の捜索に出向いた。残念ながら、幸路はこういった探偵まがいの仕事には向いていないようで、なかなか有効な手が打てない。市役所に行ったり、市立図書館に行ったり、公民館に行ったり、思いついたことはしてみたのだが何の手掛かりもつかめなかった。特に役所関係は個人情報の公開に厳しく、あまり手助けにはならなかった。それでも、二人は何回も狛江に足を運び、それなりに地域の様子はつかめてきた。そして、名前の他に、重要な手掛かりは左波も生まれつきの全盲だということである。それで、矛先を少し変え、東京にある盲学校にも行ってみた。都立の盲学校三校には該当する卒業生は見当たらなかった。また、普通校に通っていた可能性もあるので、狛江市内の小中高校をすべて当たってみたが手掛かりはなかった。


その間、右波はアパートでの生活にも慣れ、炊事、洗濯、掃除をすべてこなせるようになっていた。そして、幸路が仕事に行くときは、弁当とスナックを持たせるようにもなっていた。幸路が早朝に出掛ける時は必ず「いってらっしゃい」、深夜過ぎに帰ってくる時は必ず「お帰りなさい」と声をかけてくれる。また、幸路が仕事中に、右波一人で買い物に行くことも出来るようになっていた。幸路は、最初、右波が一人で買い物に行くことをひどく心配していたが、一か所ずつ、一緒に下調べと練習をして、それが出来るということを確認したのだった。


そんな調子で何か月か過ぎた。偶然に始まった二人の共同生活は、お互いに寂しさを補い合う為の手段であったかもしれない。それでも、幸路は、目の見えない右波が家事を手伝ってくれるのが嬉しかったし、右波の誠意に少なからず心を打たれた。そして、その感情が積み重なっていき、いつの間にか、完全にその人柄に惹きつけられていった。右波も見知らぬ土地で、左波探しに協力してくれる幸路に感謝したし、視覚障害者の自分に対する幸路の対応が安心できるものと確信した。そんな二人の間柄を反映して、街を歩く時、右波は、幸路の肘に捕まる代わりに、段々に腕を組むようになっていった。


さて、左波の捜索を始めて暫く経った訳であるが、さすがの右波も少し希望を失いかけていた。幸路は慰めようとして言葉をかけた。

「右波、こんなに一生懸命調べたのに何の手掛かりもつかめなく残念だ。でも、左波さんが亡くなったという情報もないし、長期戦で行こうよ。少しずつ、地域を広げるという手もあるし、何か他の方法を考えないといけないかもしれない。それに、ひょっとしたら、もう狛江に居ないということもあるよね」

「そうね。確かに残念。でも、うちも根気よく続ける」

「そして、右波、ちょっと気なっているのは~、もし、左波さんが見つかったら、右波はどうするつもり?」

「え~、正直言って見つけられるかどうか、今は自信がない。それに、見つかったとしても、左波がどんな生活をしているか全く分からないし。その時になってみないと......。でも~、たとえ見つからなかったとしても......、うち、東京に来て良かったと思っている。幸路と知り合えて」


暫くの沈黙の後、幸路が思い切ったように切り出した。

「右波、俺、考えていたことがあるんだけど。あの~、もしかして......、ここで......、このままずっと、俺と一緒に暮らしてくれる?」

「うん! 嬉しい!! 幸路、ほんとよね?」

「あぁ、ほんとに。俺は嘘をつくのは苦手だよ」

「実はね、うち、幸路がほんとのことを言ってくれてるんだなぁって分かるわ。いつも言うように、うちは目は見えないけど、幸路の息とか、そして、今は心臓の音まで聞こえるの。それで、言葉に出ない感情が伝わってくることもあるの」

「えっ、ほんと? それじゃ、俺の、今の気持ちも分るの?」

「えぇ......、伝わってくる。幸路、うち......」


そう言うと、右波は、両手を幸路の方に差し出した。幸路は何も言わずにその両手をしっかりと握ると、右波を立たせて、初めはそっと、それから強く抱きしめた。

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