9.翌日

翌朝、幸路は、カチャカチャという食器の音で目を覚ました。右波が流しに立っていろいろな物を触っているのだ。

「あ~、おはようございます」

「与野瀬さん、おはようございます。起こしてしまったら、許してください。ほんとは何か準備が出来ないかと思ったのですが、さすがに、初めての場所なので、手探り状態で、戸惑っていました」

「じゃ、一緒に台所にあるものを確認してみますか? 大した物はないので、簡単ですよ」

「お願いします」


幸路は右波の手を取って、一つずつ確認していった。そして、二人で一緒にお湯を沸かし、トーストを用意した。幸路は、ほとんど独り言のように言った。

「あ~、こうやって朝ごはんを一緒に食べてくれる人が居るのは何年振りかな~」

「そうなんですか? うちは母が死んで一か月くらい一人だったんですけど、それでも寂しかったのです。似たようなものですね」

「よく眠れましたか?」

「えぇ、ぐっすりと。昨日はいろいろと新しいことを沢山経験し、疲れていたと思います」

「朝の身支度が出来たら、近くに小さな本屋があるので、そこで狛江の地図を買いに行きましょうか。それに、少し食料も仕入れたいので」

「お願いします」


その後、買い物に出かけた時は、右波は幸路の肘に捕まって歩いた。時々、右波が幸路の今まで気が付かなかったような街の様子を聞いたりした。どうやら、右波は頭の中に地図を作っているようだった。アパートに戻ってからは、買ってきた食品を一緒に冷蔵庫や戸棚にしまった。これで、右波も材料の場所が分かる。その他にも、洗濯機や物干し竿など、いろいろと日常使う物の位置も確認した。幸路は、右波がそれら多くの事をすぐに覚えてしまうことに感心した。


そして、昼食の前に、右波が尋ねた。

「与野瀬さん、もし、試さしてくれるのでしたら、うちが昼食の用意をしてみたいのですが」

「えっ、大丈夫ですか?」

「正直言って、そんなに自信はないのです。もし、分からない時に助けて頂ければ、出来るだけ、うちがやってみたいんです」

「分かりました。お願いします」


幸路には、目が見えても食事の用意というのは大変なことなので、目が見えなくてどうするのか全く見当がつかなかった。右波は、その後すぐに、お米を2合、炊飯器にセットして、ここで幸路に炊飯器のボタンの事を尋ねた。それから、大根とニンジンを洗って、皮を剥き、手鍋に入れてスープを作り始めた。この時にまた、幸路にキッチン・タイマーのボタンの事を聞いた。次に、スーパーで買ってきたお惣菜を皿に盛って、箸とスプーンをテーブルの上に用意した。その後、スープの味付けを始めたが、またこの時に幸路に調味料の事を聞いた。


「与野瀬さん、用意が出来ました。初めてなのでうまくできたかどうかわかりませんが、この調子で少しずつ覚えます」

これを聞いて、幸路は涙ぐんでいた。この目の見えない右波が自分に昼食を作ってくれた。そう思うと、何も答えられずにいた。

「与野瀬さん、どうして泣いているのですか? 何か問題でも?」

「沖さん、とんでもない。嬉しいんです。最近、こんな嬉しい思いをしたことがなかったんです。なんだか、家族が出来たようで」

「喜んでくれて、うちこそ、嬉しいです。さぁ、食べましょう」

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