7.申出

幸路は乗客との話を続けた。

「えっ、それでは、その双子の妹さんとは全く別の暮らしをしてきたと言う訳ですか?」

「そうです。うちの父は雇われ漁師だったんですが、最後はアラスカ沖のカニ漁に携わっていました。ところが、母の妊娠中に遭難し不帰の人となってしまったのです。母は一人で目の見えない双子を育てる自信がなく、一年もしないうちに妹だけを養子に出したということです」


「そうだったんですか。大変でしたね。ところで、その妹さんの事はどのくらい分かっているのですか?」

「東京の狛江ということと、二つの川に挟まれた地域に住まいがあるということだけです」

「えっ? それでは、市役所というのは?」

「あぁ、それは、市役所が二つの川に挟まれた地域の真ん中辺にあるということも聞いたからです。あっ、それから、もう一つ考えられる事があります。これは、定かではないのですが、うちが小さい時に何でもないのに、暫く左手が痛かった事があります。その時は気が付きませんでしたが、今思えば、これは、妹の左手に何かが起こったのではないかと思います」

「そうですか。それは、不思議ですね。ただ~、この後、狛江市役所の近辺に着いたらどうされるおつもりですか? もう、暗くなってしまっていますし。私の職業柄、東京の地理はそれなりに把握しているのですが、その~、二つの川に挟まれた地域と言っても、基本的には人口7万人程も居る狛江市全体が多摩川と野川という二つの川に挟まれた地域に当たりますよ」


すると、後部座席でしくしく泣き始める音がしてきた。幸路は、これはまずいな、ちょっと突っ込みすぎたかな、と思った。

「お客さん、私の言ったことが差し障るようだったら許してください。ついつい余分なことを言ってしまいました」

暫く泣き声が続いたが、やっと治まったと思われる頃に、また声が聞こえた。

「急に泣き出して申し訳ありません。なんだか急に不安になってしまって」

「こちらこそ、すみませんでした。お客さんの不安になるようなことを言ってしまって」

「うち、母が死んで、一人になってしまって、十分に考えもせず、準備もせずに飛び出して来てしまったのです」

「そうだったのですか」

そう言った途端に、幸路は自分が青梅から飛び出して来たことを思い出した。

「実は、私も何年か前に、家を飛び出して来たんですよ。当然、事情は違いますが、多摩川に沿って何日か歩いてここ大田区にたどり着いたときは、全く何も計画がありませんでした」

「そうだったんですか。その時は、お困りだったでしょう」

「確かに、困っていました。泊まる所もなかったんです」


この時、幸路が思いついた事がある。そして、この不憫なお客さんに謝罪する意味もあって、その事を言い始めた。

「ところで、お客さん、もし、宿泊先が決まっていなかったら、私のアパートに来てもいいですよ。この近くなんです。とても小さいのですが、私は寝室と隔てられた台所でも寝れますから。そして、落ち着いてから、ゆっくりと狛江の妹さんを探すということも出来ますし」


また暫くの沈黙が続いた。幸路は今度は、ちょっと出しゃばり過ぎたかな、と思った。ところが、その後に、細々とした声で返答があった。

「そんなに親切なことを言ってくれてありがとうございます。初対面でほんとに図々しいとは思いますが、お願い出来ますでしょうか。確かに、これから狛江に行って何が出来るかと言われれば、その通りですから。うちは沖、右波と言います。右の波と書きます。狛江に居るはずの妹は左波と言います。姓は分かりません」

「沖、右波さんですね。海らしい名前ですね。私は、与野瀬幸路と言います。多分、幸せな路を歩んで欲しいという親の気持ちからでしょうかね。なかなか名前の通りには行きませんが」

「そうでしょうか。これからではありませんか?」

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