2.逃避

幸路は多摩川の河原まで来た時、一瞬立ち止まった。ここ、青梅から川上に向かうと奥多摩の山間部に行きつくだけである。幸路は人気のない所、特に、山の中には恐怖心があった。それで、自然と川下に向かって歩き出した。途中、ずうっと、望美と貫太の事で頭がはちきれそうであった。


どうして、俺は貫太を泊まらせたりしたんだ。それが、間違いだ。日中、何時間も望美と貫太だけアパートに残しておいたのは明らかに俺の失策だ。後悔しているのは確かだが、今となっては取り返しがつかない。それでも、あの二人には良心と言うものがないのか。恥と言うものがないのか。どうしようと言うのだ。もし、結婚生活を捨てる覚悟で浮気をしたとしたら、望美はもともと結婚生活に満足していなかったんではないか。それに気が付いていなかった俺が愚かだっただけか。望美を満足させられなかった俺の落ち度だろうか?


それにしても、直接、望美、そして貫太と話した訳ではないから、これは俺の妄想だろうか。いや、それはあり得ない。あの望美の言葉とシャワーの事を思えば、絶対に間違いない。それでも、面と向かって話をすべきか。もし、望美が過ちを認め、許しを求めたらどうだろうか。俺は望美の事を許すことが出来るだろうか。いや、もし面と向かったら、今の俺の頭の中の状態ではまともな対応が出来る訳がない。何も良いことはない。それに、望美と貫太がもうすでに駆け落ちでもしていたら、俺には絶えられる訳がない。俺の頭の中の混乱状態は、自分の意志で断ち切らなければならない。


同じことを何回も、何回も考えながら歩いて、5時間ほど経ったろう。立川近辺まで来た頃には、日はとうに暮れ、夜も更けてきていた。かなり疲れてきたので真っ暗な公園の中にあるベンチに腰を掛けた。頭の中は依然、怒りで一杯であった。少し休もうと思い横になったが、眠れる状況ではない。暫くじっとしていると今度は寒くなってきた。いっそのこと、このまま凍え死んでしまえば良いとさえ思ったが、それほどの低温でもない。怒りと寒さに侵されたまま、眠れぬまま暫く横になっていた。だが、急に、夕食も食べていないし、何も飲んでもいないことに気が付いた。


そこで、今度は街の方に向かって歩き出した。まず夜間営業のATMで現金を引き出した。引き出せる限度額、全額を引き出した。それから、コンビニで暖かい缶コーヒーとおにぎりを2個を買って外に出た。コーヒーを飲みながら歩いていると、ネットカフェがあったのでそこに入って、持ち込んだおにぎりを食べた。暫くネットを見ていたが、それでも望美の事が頭から離れなかった。


今度は、ボウリング場で初めて望美を見た時の事を思い出していた。一目惚れだった。幸路は数人の男友達と来ていたのだが、隣のレーンにいた女性グループに望美が居たのだった。そして、明らかに望美も幸路の事を意識していると思った。幸路はその辺にあった紙切れに自宅の電話番号を書いた。その頃、幸路はまだ携帯電話を持っていなかったからだ。そして、望美のボールが戻って来た時に、その紙切れを素早くボールの所に置いた。望美はすぐにそれを取って、幸路に目配せした。その日の夜、幸路の自宅に望美から電話があり、その後はすぐに親しくなり結婚に至った。結婚後も幸せな毎日だった。少なくとも、幸路はそう思っていた。今までは良かった。幸路は何度も何度もそう思った。そして、その後、いつの間にか、うとうとしていたようだ。


気が付くと朝になっていた。そこが自分のアパートで、横に望美が寝ていたら、幸路は悪夢を見ていたと思ったかもしれない。だが、現実は厳しかった。ネットカフェで一人で夜を明かしたことを再認識すると、また、怒りが蘇った。憎い。望美が憎い。貫太が憎い。

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