第17話 美味しい晩餐
明日は学園が休みだから、夜が遅くなっても大丈夫だろうと、少し遅めの時間に夕食を用意してもらうことになった。
シリウス様と入れ違いに入ってきたマリーに、制服から普段着に着替えさせてもらう。自分で着られると言っても「私の仕事ですから」と引いてくれない。
なんか、いつもと違うよ~。
「アリシア様、こちらを」
そう言って、マリーが服を着せる。
「あの、マリー。私の呼び方なんだけど……以前と同じではダメかな?」
「以前と、ですか?」
「ほら、マリー達は私のことを“お嬢様”と呼んでくれたでしょう? 他の使用人達は違っていたけど。キャロラインは“お嬢様”で、私は“アリシア様”だったから……そこでも区別されているんだって、ずっと感じていて……だから出来れば、前みたいに“お嬢様”と呼んでもらえると、嬉しい」
私は指をモジモジさせて、窺うようにマリーを見た。
シリウス様と結婚した私を“お嬢様”と呼ぶことが、おかしいのは分かっている。
けれど、キャロラインと差別されていたことを思い出してしまうから。
それに“お嬢様”と呼んでもらえるのも、あと少しだけだから。
だから、今はまだ“お嬢様”と呼んでもらいたい。
(あぁ、マリー達に“お嬢様”と呼ばれていたことが、心のどこかで支えになっていたのかも)
いつの間にか俯いてしまっていた顔を上げると、マリーはチラリとフェリシアを見ていた。あっ!
「マリー達が困るならいいの! 今のは」
忘れて! そう言おうとした私の声をマリーが遮る。
「分かりました、お嬢様」
えっ、いいの?
思わず、そばにいたフェリシアを見ると、コクンと頷いていた。
「ありがとう!」
******
まだ夕食まで時間があるというから、勉強をすることにした。
机が立派な所為か、心なしペンの進みも早い。
暫くしてマリーが「夕食のお時間です」と迎えに来てくれて、食堂へと向かった。
貴族の食卓と言えば、長いテーブルだ。
クラディア家の食卓はそこまで長くはなかったけど、本で読んだお話しでは長~~~いテーブルの端と端に座って食事をしている姿が描かれていて、あれだと話し掛けても聞こえないだろうなと、もっと近くでお話ししながら食事した方が楽しいだろうと……一人、自室で食べながら思っていた。
食堂に入ると、そこにあったのは長方形ではあるけど、そんなに長~~くはない普通のテーブルだった。
その正面にシリウス様は腰かけている。そして私に気づくと
「アリシア、ここにおいで」
そう言ってシリウス様の横の席を指差した。
(隣に座っていいんだ?)
何だか嬉しい。
近くで誰かと食事が出来ること、それは学園では当たり前だったけど、今ではもう当たり前ではない……それにクラディア家でも、なかったことだったから。
席に近づくと、シリウス様が椅子を引いてくれて、ぎこちなく座る。
だって! 初めてだよ、椅子引いてもらったの! 初体験にドキドキしてきた。
あれ、でもこういうことって使用人がするんじゃなかったっけ?
疑問に思いながら目線を上げると、クロスの上には沢山のカトラリーが並んでいた。スプーンもフォークもナイフも複数本ある。
こんな正式な形式で食べるのは初めてだ。
(だ、大丈夫……本で勉強したもの。外側から使っていけばいいはず……!)
何となく緊張してジッとカトラリーを見つめていると、ほどなくして料理が運ばれてきた。
「アリシア様の方は、少なめにご用意させていただきました」
「あ、ありがとうございます!」
助かる! と思った瞬間、先程フェリシアを紹介された時の会話を思い出す。
あ、もしかして……使用人に、丁寧にお礼を言うのはダメだったかな……?
チラリと表情を窺うと、やっぱり少し驚いた顔をしていたけど、すぐ何事もなかったようにお皿をクロスの上に置いていった。
クラディア家の使用人が相手なら「ありがとう!」と言うところなのだけど。
あれ? もしかして“ありがとう“もダメだったりする?
うぅ、正解が分からない……。
「こちらホタテとホウレン草のカルパッチョ。グレープフルーツとニンジンのラペでございます」
ラペって何だろう? と思っていたらサラダだった。
緑・オレンジ・黄色と彩りがとても綺麗な野菜が、お皿に少量ずつ盛り付けられている。
私は初めての料理に心躍らせながら、外側のフォークを使って口に運んだ。
あ、美味しい! グレープフルーツとニンジンって合うんだ?
カルパッチョも美味しい! ホタテの旨味がギュ~ッと詰まっている!
ふとシリウス様を見ると、食が進んでいない。
あれ? シリウス様お腹いっぱいなのかな?
いや、でもさっきの反応からすると普通に食べる感じだったけど。
現に運ばれてきた食事は、私のものとは違って普通の量だ。
(お腹が空いていないのなら、シリウス様も少なめにしてもらうと思うんだけど)
そう思っている私の視線に気が付いたのか、シリウス様は決まりが悪そうに笑った。
「あまり野菜が好きではなくてね」
「えっ、そうなんですか?」
よく見るとホタテとグレープフルーツだけは、すでにシリウス様のお腹の中のようだ。
意外だなー、野菜が好きじゃないなんて……でも
「お野菜は美味しいですよ? バートが裏庭でこっそり作っていたキュウリはパキっと割ったら中の水分が弾け飛ぶほど瑞々しくて、シャキシャキとした歯ごたえで美味しいですし! トマトも酸っぱさより甘味が強くて一口齧ったらジュワっと、まるでジュースみたいに口いっぱいに溢れて美味しいんですよ」
そう、バートは裏庭で野菜を作っていた。
それは形が不揃いだったり、歪な形をしている所為かお父様達に出すことはなかったけど、味はとっても濃厚で美味しいから使用人達には人気だった。
「それに……例えば、このホウレン草は鉄分が多いので血の気が足りない時にいいですし、ニンジンには免疫力を高めてくれるカロテンが豊富に含まれているんですよ」
「へぇ、アリシアは物知りだね」
「バートが教えてくれたんです!」
シリウス様は、感心したように微笑んだ。
ほ、褒められた……嬉しいな。そういえば使用人以外に褒められたことって……なくはなかったね。
学園の先生達に褒められたことはある。だけど、これは何だか全然違う。
なんかこう、もっと……身体がぽかぽかするような……こそばゆいような、不思議な気分。
「お野菜は、とっても体に必要な栄養が含まれているから、食べた方がいいですよ?」
「ふふっ、アリシアにそう言われたら、食べないわけにはいかないね」
そう言って、シリウス様はお行儀良くホウレン草を口に運ぶ。
好きではないものを食べているのに……何て綺麗な所作!
やっぱり貴族ってすごいなーと私は感心した。
そして全て綺麗に平らげた時、一瞬その場の空気が変わった気がしたのは気の所為かな?
「こちらゴボウのポタージュでございます」
ゴボウ?
あれがポタージュになるの?
興味津々でいると、目の前に置かれたのはデミタスカップサイズぐらいの小さなカップだった。
こ、これは……このまま飲んで……いいわけないよね?
食事の時は何を食べるにも、パン以外はカトラリーを使うものだって本に書いてあったもんね?
えっ、じゃあこれ、スプーンで飲む感じ?
そう思ってスプーンを見たら……3本ある。え、どれ? どれ使うの?
しかも私の知っている普通のスープ用のスプーンはない。
そりゃそうだ。普通のスプーンじゃ、このカップに入らないもん。
こういう時は……周りを見る!
お手本にしようとシリウス様を見たら……違う! 器が違う! シリウス様のは普通のスープ皿だ!
そうだよね、シリウス様は普通に食べられるんだもんね。
ど、どうしよう……若干焦り始めた私に、スッと助舟がきた。
「お嬢様、お水をお持ち致しました」
マリーだ!
マリーはグラスを置く時、小さいスプーンを一つ、こっそり指でつついた。
あ、これを使えばいいんだね? ありがとう、マリー!!
心の中で盛大に感謝しつつ、そのスプーンを手に取る。そして一掬いして口へ。
「美味しい!」
驚いた! ゴボウのポタージュがこんなに美味しいなんて!
えぐみやクセがないのに、ゴボウの味がしっかりしている!!
「こちらはサーモンのパイ包み焼きでございます」
テーブルにお皿が置かれた瞬間、料理が運ばれてきた扉を思わず見つめた。
「どうしたの? アリシア」
シリウス様からしたら、奇妙な行動だっただろう。
でも私には扉の向こうの厨房で、ニコニコと調理しているジョナサン達の姿が思い起こされた。
「これ、ジョナサンのパイ包み焼きです! とっても美味しいんですよ!」
パイの包み方は、シェフの個性が出るという。
ジョナサンのパイは少し台形になっていて、上にパイで花模様を模っているのが特徴だ。一目見ただけで分かる。
「へぇ、そうなんだ? それは楽しみだね」
そう言ったシリウス様の言葉に、すっかり飛んで行ってしまっていた記憶が蘇ってきた。
そういえば馬車の中で私が『ジョナサンの料理は美味しい』と言った時、シリウス様は『今後が楽しみだ』と言っていた。
(そうか、このことだったんだ)
今後なんてないと思っていたけど……まさか二日連続でこのパイ包み焼きが食べられるとは。
シリウス様の配慮が嬉しくて、ジョナサンの料理が嬉しくて……泣きそうだ。
「こちらは鴨肉のロースト、オレンジソースかけ、マッシュポテト添えでございます」
マッシュポテト! これもジョナサンのだ!
それと鴨肉? どんな味なんだろう?
フォークとナイフで一口サイズに切ってパクリ!
「美味しい!」
思わず目が輝いた。
歯ごたえがあるのに柔らかくて、口当たりがいいのにコクがあって、そこにオレンジソースのほろ苦さと甘味がとても合う。初めて食べたけど、鴨肉って美味しい!
「鴨肉って……」
何のお肉ですか? と聞きそうになって何とか飲み込んだ。
あ、危なかった。鴨肉なんだから、鴨のお肉に決まっているじゃない!
バカかな、私!
「うん?」
私が言いかけて止まったものだから、シリウス様は言葉の続きを待っている。
「えっと、初めて食べました。柔らかくて、コクがあって美味しいですね」
シリウス様は「そうだね」と言って、微笑んでいる。
よし、上手く誤魔化せた。
やっぱり、こうして誰かとお話ししながら一緒に食べられるのって嬉しいね。
これから……毎日こうだといいなぁ。
全ての料理を食べ終わった。
もう満腹。いや、それ以上……完全に私の胃袋のキャパを超えてしまった。
こんなに食べたら、明日は何も食べなくて平気なんじゃないかな?
そう思っているところに
「こちらデザートの白桃のシャーベットでございます」
と、目の前に置かれてしまう。
シャーベットって確か、冷たい氷菓だよね?
もう食べられないと思っていたのに~! これは食べたい!
最後に残っていた1本のスプーンを手に取り、パクリと口に入れる。
ふわわぁ!!!
(これは……言葉にならない!!!)
よっぽど目がキラキラしていたのか、顔が綻んでいたのか、シリウス様は子どもを微笑ましく見るような目をして
「美味しいかい?」
と楽しそうに聞いてくるので、とりあえずコクコクと頭を縦に振った。
今は口を開けるのも惜しいぐらい、咥内に広がる美味しさを堪能したい。
すっかり溶けて、コクンと飲み込んだ後、やっと口を開けられた。
「すごく美味しいです! 白桃の甘い香りが口いっぱいに広がって、冷たさがスーッと喉を潤していって、口の中が幸せでいっぱいでした!」
「ふふふっ、それは良かった。そんなに気に入ったのなら、毎食にでも用意させようか」
毎食! それは嬉しい!
と思ったけど、さすがにそれはやり過ぎのような気がする……。
「それは嬉しいですけど……ほどほどじゃないと、特別感がなくなってしまうかなーと」
いつも食べられることは嬉しいけど、それでは感動が薄らいでしまう。
それは、ちょっと残念な気がした。
たまに食べて“美味しい!”と思うから、ずっといつまでも変わらず美味しい喜びを味わえるのだろうと思う。
だから毎食ではなく週1……いや週2ぐらいで食べられたら嬉しいなぁ♪
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