第10話 別れ

翌日。

いつもの部屋と違って、朝日が気持ちよく部屋に降り注いでいる。


学園には行けないし、勉強もしなくていいのに、いつも通りの時間に目が覚めた。

身体がこの時間を覚えているんだね。


(今までは夜明けと共に起きて、朝も勉強していたけど)


さて、今日からは何をしたらいいのかな。とりあえず


「着替えよう!」


そして特にすることがないので、昨日の続きを! と本を開いて読み耽った。


あと1章で読み終わるというところで、私はうーんと伸びをする。

ふと、窓の外を見るとキャロラインの馬車が見えた。


(今日はずいぶん早く登校するんだ。何かあるのかな?)


もう学園に行くことのない私には、関係ないことだけど。

窓から本へ視線を移し、読み進めていく。


そして最後の1ページを読み終わり、本を閉じようとしたその時、慌ただしいノックの音が響いた。


「お嬢様! 今すぐお支度を!」

「え、マリー? どうしたの? 支度?」


何の???

戸惑う私に構うことなく、マリーは折角着替えた服を脱がせると、メラルーシュ学園の制服を着せる。


正確にはマリーが忙しなく動いているから、制服は自分で着たけど。

まぁ、着替えはいつも自分でしているから問題ない。あれ、何で制服? どういうこと?


更に困惑を深くする私に応えることなく、マリーは私の荷物を纏めてトランクケースに詰めていく。昨日纏めたばかりの所為か、スムーズに荷造りが進んでいる。


ん、荷造り? えっ、まさか! やっぱりすぐに屋敷を出ていけと?

昨日の食事が、ジョナサンの料理が食べられる最後の晩餐だったのか。


マリーに促されるまま部屋を出て、使用人が使う出入口から庭を通って正門に向かう。


途中、横切った庭には花々が綺麗に咲き誇っていた。

この庭は、何気に私の好きな花が沢山植えられている。

外に出られない私に、庭師が贈ってくれた粋な心意気ってやつだ。


特に薔薇が巻き付いているガーデンアーチが気に入っている。

ここを潜ると、ちょっと特別な気分になるんだよね。


(あぁ、もうここを潜ることは出来ず、この花々を見られるのも今日で最後になるんだ)


庭を通り過ぎながら、感慨に浸る。

この屋敷とも、ついにお別れか。いや、それは別にお別れでもいいんだけど、マリー達と別れるのが……辛い。後ろ髪を引かれるように思わず振り返ってしまう。


「お待たせ致しました!」


マリーが誰かに声を掛けている。

誰だろう? と前に向き直ると、そこにいたのは


「シリウス様……?」


え、何でシリウス様がここに?


「あぁ、荷物は後で運ばせるから……え、これで全部?」


マリーが手にしているは2つのトランクケース。

それを見たシリウス様は「本当に全部?」と驚きながら、マリーに聞き返している。


まぁ、普通はもっと荷物があるよね。

キャロラインの部屋の大きさを思うと、普通の令嬢の持ち物の多さは想像に難くない。


「ジュリアン」


シリウス様は横にいた、おそらく執事であろう人物を呼ぶと、トランクケースを積むよう指示して私に近づく。


「アリシア、昨日の怪我の具合はどうだい?」

「え、あぁ、もう大丈夫です」

「それは良かった。では、行こうか」


そう言ってシリウス様は、とびきりの笑顔で手を差し出した。

朝日の所為か、その笑顔が眩しい。

よく見ると、シリウス様の後ろには立派な馬車が。


どういうことか分からないけど、とりあえずその手を取る。

触れた手は昨日と同じようにとても温かく、何故かひどく安心した。


そして馬車に乗り込もうとしていると、ジョン達使用人が集まってきた。


「お嬢様、おめでとうございます!」


私に良くしてくれた彼らは、口々に祝いの言葉を告げ喜んでいる。


よく分からないけど、何か良い方向に事が進んでいるらしい。

それは他でもない、ここにいるシリウス様のおかげなのだろう。

当事者であるはずの私は、状況が全く把握できていないけれど、分かっていることがある。


それは……

私はこの屋敷を出ていき、彼らとはもう会えないということ。


私は「ありがとう」と言いがら、何となく感じた別れの予感に涙が浮かんでくる。

それは嬉し涙か、悲しみの涙か……その両方か。使用人達もつられて涙ぐむ。

名残惜しく思いつつ言葉を交わしていると、マリーが


「ほら皆、これではお嬢様が出発できません」


そろそろ時間ですと、一歩出て皆を制する。

一番お礼を言いたかったマリーが目の前にきて、私は思わずその手を取った。


「マリー、今までありがとう」


感謝を伝えると、マリーも握り返してくれた。

姉妹のように育った私達にとって、別れは本当に辛い。

それでもマリーは気丈な様子で


「お嬢様、幸せになってください。それが私の一番の望みです」


その言葉に、私の涙腺は崩壊してしまった。

涙が止まらない。


「ほら、もう泣かないの!」


子どもの頃と同じ口調で、マリーはハンカチを手に目元を拭ってくれる。


「マリー……」

「お嬢様、どうかお元気で。シリウス様、お嬢様を宜しくお願い致します」


マリーは泣きそうな顔で笑って、シリウス様に向き直ると深々と頭を下げて私を託した。そのマリーに合わせて、他の使用人達も一斉に深い礼をする。


頷いたシリウス様に手を引かれ、私は馬車に乗り込む。

そしていざ出発という時、慌てた様子でジョナサン達シェフが駆けてきた。

急いで馬車の窓を開けると


「お嬢様、ご朝食がまだでしたから! それにご昼食も! お嬢様のお好きな物をいっぱい詰めておきました!」


そう言って大きなバスケットを渡してきた。

私が屋敷を出ると知って、慌てて作ってくれたのだろう。

その気持ちが嬉しくて、胸が熱くなる。


「ありがとう!」


その言葉を合図に、馬車は走り出す。

集まった皆は手を振り、ジョンは馬車を追いかけようとしたけど、マリーに止められていた。


正門をくぐり、屋敷がどんどん小さくなっていく。

私は皆が見えなくなるまで窓から少し身を乗り出して、ずっと手を振っていた。



******



ついに屋敷が見えなくなって、私は改めて座り直す。


「アリシアは、使用人達から好かれているんだね」


シリウス様が微笑ましそうに言うので、私は頷いた。


「皆、私に良くしてくれたんです。お父様達に目を付けられないように、陰でこっそり優しくしてくれたんです。私の……大切な人達です」

「良い関係だね。素晴らしいことだと思うよ」


この国では、貴族が使用人に好かれる必要はないと思われている。

替えはいくらでもいるから、大事にする必要もないと。


でも、使用人だって同じ人間なのだから尊重するべきだと思うし、お互いを思いやれることは喜ばしいことだと思う。


きっと、この国の貴族から見たら変わった考えだろう。

それでもシリウス様は否定せず認めてくれる。

シリウス様こそ、素晴らしい人だと思う。


「ところで、どこへ向かっているんですか?」

「あぁ、もちろんメラルーシュ学園に……おっと! 時間がないから、ちょっと急がせるね」


そう言うとシリウス様は、御者の方をノックする。

意図を汲んだ御者は馬車を加速させ、揺れが激しくなった。


「きゃっ」

「あ、結構揺れると思うから、舌を噛まないように気を付けてね」


そう言われて、私は慌てて手で口を押さえた。

今の状況など色々聞きたかったけれど、どうやら難しいようだ。

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