第9話 除籍宣告
帰宅すると、いつもは誰もいないのにマリーが出迎えていた。
「旦那様がお呼びです」
そう言ったマリーの深刻そうな表情に、今度こそ嫌な予感しかしなかった。
行きたくなくても仕方ないと諦めた時、手の怪我をマリーに目敏く見つけられてしまう。
痛いけど「血は止まっているから大丈夫」と言ってもマリーは「手当てを!」と引かないので、私は大人しく怪我した手を預けてから、お父様の元へと向った。
「今日、除籍の手続きをしてきた」
「…………えっ?」
唐突に告げられた言葉に、私は唖然としてしまう。
「なっ、卒業まで待ってくれるはずではなかったのですか?」
何とかしなくては! と縋るように言うが、お父様は何を気にすることもなく
「そのつもりだったが、キャロラインが嫌だと言ってな」
そんな……またキャロライン……。
あと3ヵ月。たった3ヵ月が許せないと言うの?
「それでは学園は」
「あぁ、今日届けを出した。そもそも“魔力無し”のお前がいることで、キャロラインがいじめられでもしたらどうする。あの子が可哀そうだろう」
キャロラインを心底心配するお父様に、私のことは本当にどうでもいいのだと今更ながらに実感する。
「あぁ、それから。もうお前はクラディア家の人間ではないからな。今日からは、ここではなく使用人棟に行くように」
さも当たり前のように、私はあっさりとクラディア家から排除されてしまった。
「本当なら、すぐにでもこの屋敷から出て行ってもらうところだが。キャロラインもそれを望んだのだがな。わしは慈悲深い人間だから、お前を成人まではこの屋敷に置いてやることにした。感謝するんだな」
突然のことに二の句が継げないままの私に、お父様は誇らしそうに言うと退室するよう命じる。私は成す術もなく、ただ茫然としながらも部屋を出るしかなかった。
外にはマリーが控えていた。
その顔は、苦しいような悲しいような複雑な色をしている。
「お嬢様、こちらへ」
そう言って、使用人棟へ向かって歩き出す。
私の荷物は、すでに自室から運び出した後だと言う。
私が学園にいる間に、事は全て運ばれていたのだった。
******
「今日から、こちらがお嬢様の部屋となります」
マリーに案内されたのは、今までの部屋の半分もない大きさの殺風景なメイド部屋だった。
「えっ、ここが私の部屋……?」
室内をサッと見回しながら戸惑いの声を上げると、マリーが申し訳なさそうに言う。
「今までのお部屋と比べると狭く、家具も粗悪ではあるのですが……」
「えっ? いや、そうじゃなくて、ここって……南向きの部屋だよね?!」
部屋の前に着いた時点で思っていたけど、窓の外を見て確信する。
そんな良い部屋もらっていいの?
「え? あぁ、はい。今までお嬢様の部屋は北側の暗いお部屋でしたから。せめて日当たりの良い部屋をと思いまして」
「わぁ、嬉しい! ありがとう、マリー!」
思わず笑みが浮かぶ。それを見たマリーも少し微笑んでくれた。
うん、やっぱりマリーは暗い顔より、そっちの方が素敵だよ!
確かに部屋は今までより狭いけど、元々荷物はあまりないし、家具だってほとんどなかったんだから、全然問題ない。むしろ今までが無駄に広すぎたと思う。
あ、でも待って?
「この部屋って、誰が使っていたの?」
南向きの部屋は人気のはず。きっと誰かが使っていただろう。
それを私のせいで追い出してしまったとしたら……それは心苦しいものがある。
そんな心情を察してか、マリーは少し躊躇いがちに答えた。
「……私が使っておりました」
「え、マリーが?」
(そんな、それじゃあマリーは……)
窓に向いていた身体を、ガバっと私が向き直すと同時にマリーが口を開いた。
「お嬢様、気になさらないでください。他の誰かなら譲りませんけど、お嬢様にはこの部屋を使って欲しいと思ったのです」
日当たりも良く、実は窓からの眺めも良い部屋だとマリーは言う。
他の誰かなら譲らないと言うあたりマリーらしい。本当に譲らないと思う。
「ありがとう、マリー」
マリーの気持ちが嬉しくて、ちょっとしんみりしてしまう。
そんな空気を吹き消そすようにマリーは
「さぁ、お嬢様! そろそろ夕食の時間です。行きましょう!」
気持ちを盛り上げるように元気な声を上げた。
******
マリーが向かったのは、使用人が使う食堂。
テーブルを見ると一カ所だけ、クロスやカトラリーがセッティングされている席がある。そこに座るようにと、マリーに案内された。
(え、どういうこと?)
そう疑問に思っていると「お嬢様がいらっしゃいましたよ!」とマリーが食堂の奥に声を掛ける。
すると奥から「待ってました!」という返事と共に、ジョナサン達シェフが料理を持って来た。
「はい、お嬢様! こちらが本日のディナーとなります」
「前菜は、お嬢様のお好きなマッシュルームと生ハムのサラダ。スープは、お嬢様のお好きなカボチャのスープ。メインは、お嬢様のお好きなサーモンのパイ包み焼き。付け合わせには、お嬢様がお好きなマッシュポテトです」
目の前には豪華で、私の好きな物ばかりが並ぶ。
「これは、いったい……?」
この豪華さについては、傍から見れば貴族の普通の食事に見えるに違いない。
けれど、こんな食事は何年ぶりだろう。いつもは質素な食事だから。
以前は、こういう貴族にとって“普通な食事”を食べていたんだけど、キャロラインがそれを嫌がったのだ。なんでも「あの人と同じ物を食べているなんて、気持ち悪い」と言ったらしい。
それまで、キャロライン達と食卓を一緒に囲んだことなどなく、いつも一人自室で食べていたけど、たまたま運ばれる料理を見て、同じ物を食べていると知ってしまったようだ。
そのキャロラインの鶴の一声で、私の食事は使用人と同じ物となった。
そして、おやつも一切なしに。
おやつがなくなったのは悲しかったけど、食事についてはジョナサンの作ったものなら何でも美味しいから、私としては別に構わなかった。
ところが、構わなくなかったのはジョナサンの方だったようだ。
「旦那様に抗議する」と怒り心頭だったと他のシェフから聞いた。
それを踏み止まらせたのは、マリーだったそうだ。
マリーは「抗議してクビなったら、料理をお嬢様に食べてもらえなくなるのですよ。それでもいいのですか?」と言ったらしい。
でも決定打になったのは「ジョナサンが解雇されたとなったら……大好きなジョナサンの料理を食べられなくなるお嬢様、あぁなんてお可哀そうなのでしょうか」だったとか。
“大好きな“がジョナサンに係っているのか、料理に係っているのか。もちろん私としては両方なんだけど。
どちらに受け取ったか分からないけど、それを聞いたジョナサンは涙しながら思い留まり、使用人の食事はそれまでより私の好物が多くなったという。
(ジョナサンって、結構ハートフルな人なんだよね)
そんなわけで、こんな豪華な食事は久しぶりだ。パイ包み焼きなんて、いつ振り?
というか、何故こんな食事が用意されているのだろう?
その疑問に答えたのはマリーだった。
「ここ、使用人の食堂なら、旦那様達に見られる心配はありませんので、シェフが腕を振るいました」
なるほど、そういうことか!
お父様達は使用人棟に近づいたりしないから、バレないと!
ジョナサン達を見るとニカッと笑っている。
「さぁさぁお嬢様、冷めないうちに召し上がってください」
「ありがとう。いただきます!」
ジョナサン達の気持ちが嬉しかった。
スープを一口掬って口に運ぶ。カボチャの甘味が口いっぱいに広がった。
サラダはキノコの風味がフワッと香って、生ハムもちょうど良い塩気。
パイ包み焼きは外側がサクっと、中身はトロっと絶妙なバランスで、マッシュポテトは……う~ん、これこれ! このほんのり感じる甘さとジャガイモの風味、最高! 思わず頬に手を当ててしまう美味しさ!!
もぐもぐと美味しさを堪能している私を、ジョナサン達は微笑ましそうに見つめている。
こうして美味しいご飯も食べられるなら、もっと早く使用人棟にくれば良かったのでは? と思わずにいられなかった。
******
美味しいご飯って、お腹だけじゃなくて心も満たされるよね。
ホクホクとした気持ちで部屋に戻る。
手の傷も、マリーが手当してくれたから、もう痛くない。
そうだ、勉強しなきゃ! と思ったけど……あ、そうか。明日から学園には行けないんだった。
折角、シリウス様が手を差し伸べてくれたのに……残念なことになってしまった。
「明日から私、どうなるんだろう?」
成人までは置いておくと言っていたけど、それもまたキャロラインの一言で覆されるかもしれない。
不安な気持ちを抱えたまま、眠りに……つけるわけがない! むしろ目がギンギン!
学園に通えるわけじゃないけど、教科書でも読んで気を紛らわせよう!
あ、借りた本どうやって返却したらいいのかな?
まぁ、とりあえず借りた本の方を読もう!
(あ、良かった。今日は満月だ!)
カーテンを開けた私は、月明かりを頼りに本を開いて読み始めた。
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