第3話
ある時、古い城塞に立て籠る敵部隊が兵糧攻めによって、投降した際の事だった。
その城塞は太古の昔に作られたとされるもので、所々崩れた城壁や塔は矢の雨はおろか、雨風すらしのげなかった。
城塞に入った者達は自慢の嗅覚で金品、財宝等を手当たり次第に探していった。
数刻も立たぬ内に、一人の傭兵が地下室の入り口を見つけた。
すぐに、何人も先を争って傭兵達が入っていったが、中からは少し拍子抜けした声が漏れた。
地下室にあったのは大量の書物だった。
ずらりと御行儀良く、埃を被った本棚達が整列していた地下室に傭兵達は立ち尽くしてしまった。
彼らは本を見た事がなかった。
外気に長らく触れていなかったせいか、保存状態はすこぶる良かった。
傭兵達は、本棚から全ての本を抜いて本隊に持ってきたものの、これの価値が分かる者は現場には居なかった。
「おいおい、何だよこりゃあ」
「恐ろしい程に固い紙の束だ。外側を分厚い紙で被ってやがるぜ」
「売れんのか?これ」
「さぁな、取り敢えず持ってきたが…隊長殿は…?」
「将軍閣下の所。お貴族様の引き渡しと身代金の分け前の相談だとよ」
本隊の天幕に略奪品が大量に置かれていく。
この傭兵隊では、村や町、都市なんかを攻撃した際の略奪品は個人個人で集めるものだが、野戦や捕虜の物品などは分けるか、隊長のものになるかのどちらかと定められていた。
本隊の天幕の前に乱雑に山と積まれる本の数々を眼の端に捉える事が出来るくらいには散らかっていた。武具や金品は秩序良く固められていたものの、本に至っては誰も彼もが金にならないと踏んでいたために、一まとめにはしつつも倒れたり、直に地面に置いたりする事に一切の躊躇がなかったのだ。
そんな中に一人、それを求め続けていた男が飛び込んできた。
ロノクリフは乱雑に積まれ、固められた本の数々を手にとっては表紙を確認する。
「お、おい…」
傭兵の一人がその背中に声をかけたが、ロノクリフに届く事は無い。
違う、違う…これじゃない、これでも…
手にとっては、横に置き、手にとっては、横に置きを繰り返すロノクリフを傭兵達は呆然と見るだけであった。
それとは裏腹にロノクリフは焦りを隠せなかった。
ここにある書物はどれも太古の歴史に関わる第一級の資料だろうが、そんなものはお呼びではない。
お目当てなのは魔導書だ。それも上質であればある程良いが、贅沢は言わない。どんなにぼろぼろでも、文字が消えかかっていても関係無い。
使えればそれで良い。
血眼になって探すロノクリフの願い虚しく、魔導書は一向に姿を現さなかった。
まだだ、まだ……
ロノクリフが歯を食い縛ったその刹那、ロノクリフの鼓膜にそれまで雑音としか捉えられなかった声が刺さった。
「おいこれ、小さいけど宝石埋め込んであるぜ!」
「おっ、高く売れるか?!」
嬉しそうな声が発し終わる前にロノクリフは動いた。
「あのっ!それ見せてくれませんか?!」
「あぁ?」
「私が探していたものかもしれないんです!」
傭兵は少し考えるように顎に手をやると、左の口角を上げた。
「タダでって訳にはいかねぇな?」
「いくらです?」
「そうだな…80銀ファルスは出してもらうか」
ニタリと笑った傭兵の胸に何かが当てられる。
「どうぞ。お釣りは要りません」
ロノクリフは即座に銀貨の入った袋を取り出して傭兵に押し付けてしまったのだ。
「おっ、え…」
呆気にとられた様子の傭兵から本を引ったくるとロノクリフは速読した。
パラパラパラパラパラ…
「え…」
「はっ…?」
傭兵達は訳が分からないといった具合でロノクリフを見る。
だが、ロノクリフの眼中にその光景は無い。
突然、ロノクリフは凄い早さでめくられるページに手を突っ込んだ。
お目当てのページがあったのだ。
「皆さん、離れて!魔法が終わるまで決して、私に近づかないように!」
ロノクリフは大声で叫ぶと、天幕の近くから離れて少し開けた場所まで走った。
そして、懐からインク瓶と杖を取り出した。
インク瓶に杖を入れ、眼にも止まらぬ早さで地面に文字を書き始めた。
ただの文字ではない。
ロノクリフの魔力を杖から流し込まれた魔力を持った文字だ。それを自身を真ん中にして円状に書き出していく。
ロノクリフが作っていたのは魔方陣だった。
魔方陣にも幾つか種類がある。紋章を描くもの、模様を入れるもの、文字だけのものと多様だが、ロノクリフが選んだのは文字だけのものだった。
魔法を使う際には関連づいたものを多く使った方が成功率は高くなる。この場合、魔導書の文字、魔方陣の文字と二つ関連づいたものがあるため、成功率はぐんと上がる。
だが、問題はロノクリフ自身の魔力制御がどこまで上手くいくかだった。
魔導書の補助もあるが、それでも最後は術者本人の力量次第である。
ロノクリフは魔方陣を書き終えると、息を整えた。
ロノクリフが開いたページに記された魔法の呪文。それは物体誘導・転送の魔法だった。
ロノクリフは魔方陣の中央に矢文を置いた。兄からの矢文の矢を流用し、文は兄への返答として用意したものだった。
ロノクリフは深呼吸をすると、詠唱を始めた。
「バヤモガイジニギャノゾクナヤナタカノミイカハメ……」
詠唱と同時に魔方陣が淡い青色の光を放つ。
「おおっ…!」
遠目から見ていた傭兵達からはどよめきの声が上がった。
「ナガヤボグミウデケジャ…!」
詠唱は最後の総仕上げにはいった。
ロノクリフは矢文の矢じりを握る。痛みなどもはや感じない。
「我が血の近しき者の所へ届け!レ=ダナグャジモルブァ!(導きに従い、放たれよ)」
詠唱の終わりと同時に、矢文は矢じりの方が持ち上がり、東の空を差した。
ビシュウウウ!!
そして、凄まじい風切り音と共に、東の空の彼方へと飛んでいった。
魔方陣からは光が消えていた。魔法が終わった終わった事を認識した傭兵達がぞろぞろとロノクリフの近くに集まってくる。
「おい、成功かぁ?!おぉい!」
「どうした?大丈夫か、返事しろ」
傭兵達が声をかけた時、ロノクリフは糸が切れたように頭から前に倒れこんだ。
「お、おい!大丈夫か!」
「天幕へ運んでやれい!」
魔法は成功した。
役立たずと言われたロノクリフの一世一代の魔法であった。
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