ひげおんな

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ひげおんな


配役(1:1:0)

・・・


ひげおんな:女装癖のある男。


小夜:さる講釈師よりたのみごとを受けた女。


・・・


規約

・・・

アドリブは筋道の破綻なき限り是とし、他はなし。

・・・






ひげおんな:ねえ、アタシ、綺麗。


小夜M:その講釈師は、湯島(ゆしま)に怪人が出ると言った。真っ赤なワンピースを着た、長いみだれ髪の背の高い、女装癖のある男だという。


ひげおんな:ねえ、アタシ、綺麗でしょう。


小夜M:怪人は一人歩きの女を狙うが、金品を取るでもなく、乱暴を働くでもない。ただただ、自分が美しいかどうかを執拗に問い尋ね続けるという。


ひげおんな:ねえったら、ねえ、ねえったら。


小夜M:「どうです、ひとつ散歩でもしてみませんか、謝礼は弾みますから」と。そうしてアタシは今回も目先の金に釣られ、一人夕暮れの湯島を泳がされている。


ひげおんな:聞こえねえのかよ、このスベタ!


小夜M:病気の猫のような裏声が、野太い男のそれに変わる。なるほど、ひげおんなとは言いえて妙だった。夕暮れの薄暗がりで、どれだけドーランをはたいても、口回りの青さを隠しきれていなかった。



ひげおんな:アタシが綺麗かって聞いてんのよ。答えなさいよクソ売女(ばいた)。


小夜:ギャアギャアギャアギャアでかい声出すんじゃないよ、カマ野郎。


ひげおんな:まあやだワ、なんて汚い口をきくのかしら。お里が知れるワ。


小夜:汚いのはアンタのそのツラだけで結構よ。何の用だってんだい。癲狂院(てんきょういん)なら紹介してやるよ。


ひげおんな:話の分からない馬鹿な女だねェ。アタシが綺麗かどうかって聞いてんのよ。


小夜:ブス。


ひげおんな:はあ。何ですって。


小夜:一目見たら忘れられないくらいのブスよ。


ひげおんな:落ち着きなさい。もう一度聞くわネ。アタシ、綺麗でしょう。


小夜:二目とて見られない酷いブスよ。


ひげおんな:ねェ、さっきは言い過ぎたわ。ほら、落ち着いてちゃんと見て頂戴よ。


小夜:三千世界の鴉が黙るくらいのブスだって言ってんのよ。


ひげおんな:てめェ、目ェ腐ってんのか!



小夜M:ひげおんなはにわかに吠え、太く毛深い手で私の髪を掴み凄んだ。あの講釈師は一体何を考えているのだろう。どうしようもない不審者を釣り上げるために、結構な額の金を払うなど。



ひげおんな:ねぇ、綺麗でしょう。綺麗って言いなさいよ。言ってよ。綺麗ですって言えよ、このクソアマ!


小夜:つまんねえ世辞が欲しけりゃそれに見合う金出しなこのドブス!


(小夜、ひげおんなに勢いよく平手を喰らわす)


ひげおんな:アンタ、手出したわね。このアタシの頬を張りやがったわね。許しゃしないよ!


小夜:先に手出したのはそっちだろうが。アタシはねぇ、思い通りにならないからって膂力(りょりょく)に頼る男が大っ嫌いなんだ。女を思い通りにしたいってんなら金出すか汗かくか、どっちもないなら血でも出してな!


(小夜、何度かひげおんなの頬を張る)


ひげおんな:酷いわ酷いわ。顔は女の命だっていうのに。


小夜:何から何まで癇に障るねェ。アンタ一体何がしたいのさ。


ひげおんな:アタシはねぇ、確かめたいのよ。


小夜:テメェのイカれ具合をかい。


ひげおんな:だまらっしゃい、このアバズレ!


小夜:そんなナリして女追い掛け回して何を確かめようってさ。


ひげおんな:アタシがね、美しいってことをヨ。



小夜M:狂人とは、その迷妄ゆえに狂人なのであろうか。軽い眩暈がした。



ひげおんな:アタシね、役者なの。このかたずっと鳴かず飛ばずで、顔以外に取り柄がないと笑われるような悲しい役者なの。


(ひげおんな、しくしくと一頻り泣く)


小夜:さめざめ泣くんじゃないよ気持ち悪い。


ひげおんな:それしかないの。それしか。だから、綺麗だと言ってよ、お願いよ。


小夜:自分の足場を他人様(ひとさま)に頼むような奴が役者だなんて、ちゃんちゃら可笑しいわ。


ひげおんな:アンタみたいに、放っておいても虫が寄ってくる若く綺麗な女には分からないでしょうねェ。


小夜:知ったようなこと言うんじゃないよ。


ひげおんな:いいから。もういいから。さァ言ってよ。綺麗って言って。認めてよ。言えよ!


小夜:顔も不味けりゃ性根まで不味い、救いようのないブスだね、アンタは!


(ひげおんな、両頬に手を添えて悲鳴を上げる)


ひげおんな:イヤァアアアア!


小夜:どれだけドーラン塗っても、青いのよ、髭が!


ひげおんな:おい、今何つった。



小夜M:茶番じみた応酬が凍り付く。ひげおんなの鼻にかかったダミ声がくぐもった。



ひげおんな:今何つった。もう一遍言ってみろ。



小夜M:ひげおんなの太く毛深い指が首を絞めてくる。明確な殺意を持って私の身体は宙に浮きあがった。



(小夜、逃げ場のない呻き声を上げる)


ひげおんな:俺の、髭が、何と。


小夜:だから、髭が、青いって、言ってんの。


ひげおんな:青くない。俺に髭など生えてない。


小夜:よく言うわ。砥石(といし)みたいな剃り跡しといて。


ひげおんな:ハハッ、目が悪ぃな。そんな目は、潰してやる。



小夜M:景色がぼやけ、意識が遠ざかる。死への恐怖よりも、死に際の滑稽さに力が抜けていく。三途の川の浅瀬で、突如としてひげおんなの指が緩んだ。



ひげおんな:アタシはね、美少年だったの。透き通るほどに肌の白い、美少年だったの。芝居はてんで売れなくても、アタシは売れたわ。そして、これからもずうっと、アタシは美少年なの。


小夜:なら、つまんない過去に縋り付いて、ずっとそうしていればいいじゃない。


ひげおんな:そうね、でも、アンタは殺すわ。



小夜M:こいつの全てを否定したい。

股ぐらの底から突き抜ける衝動を右足に込めて、股ぐらを、蹴り上げた。



小夜:やれるもんならやってみなさいよ、このブス!


(ひげおんな、陰嚢を蹴り上げられ、その痛みに絶叫する)


小夜:アンタさぁ、何から何まで救えないね。


(小夜、再度ひげおんなの陰嚢を蹴り上げる)


小夜:ここで引導を渡してやるよ。


ひげおんな:アァ、アァ、ちょっと、やめなさい、やめなさいよォ!


小夜:「美少年」にはさあ、こんな薄汚いモノ、要らないでしょ。ね。


ひげおんな:冗談でしょ。ねえ待って、待って、落ち着いて。踏まないで!潰さないで!それは、それはダメでしょう!


小夜:アンタの苦悩、終わらせてやるわよ。ほら、往生しな!


(小夜、ぐちゅん、と音の鳴る勢いで、ひげおんなの陰嚢を蹴り潰す。ひげおんなの絶叫が辺りにこだまする)


小夜M:栗を殻ごと踏み潰したような感覚が足裏に伝わる。ひげおんなは白目を剥き、泡を吹いて放心していた。



ひげおんな:ネェ、アタシ、キレイ、デショ……。


小夜:昔のことばっかり話す、可哀想なブスだって言ってんの。


ひげおんな:ネェ、アタシ、キレイ、デショ……。


小夜:……どっかで見てんでしょ。これで満足かしら。


(小夜、姿の見えない伽藍に声を遣る)


ひげおんな:ネェ、アタシ、アタシ、キレイ、ダッタ、デショ……。



小夜M:夕日も落ちた湯島の曲がり角、どこかから小さく乾いた拍手が聞こえた。



ひげおんな:アンタだって、ねェ、いつか、こうなるのよ。時の流れは誰にでも残酷よ。


小夜:ご忠告ありがとね。その時はいつまでもしみったれた昔話をしないよう、せいぜい気を付けるわ。


ひげおんな:ヤな女。



小夜M:ひとしきり暴れ、汗ばんだ首周りを手で拭った。ジョリッと、手のひらに何かが触れた気がした。




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