K②
「いいですか、よく考えてください」
悠々自適に空をゆったりと進む飛行船の中で、拳銃が男に向けられる。
「もう一度言いますが、あなたの身元は割れてしまっているんです。トイレの外では、マトリの連中がお待ちかねなんですよ」
「信じないぞ。お前の目的はなんだ?!」
トイレの個室から戸惑う声が漏れ出る。
「同業者の救出です」
「救出だと?」
便座に座った男がまたもや、戸惑う声をあげる。
「えぇ、あなたは今窮地に立たされている。トイレから出れば、怖~いお兄さんお姉さんに警察手帳を見せられて、そのまま警備室行きでしょう」
「……マトリの連中がストロベニアから便に乗ってたとでも?」
「ストロベニア軍は、ジャスティアンへの決戦兵器として……あなたの持っているお薬を軍事利用したい」
「んっ!?」
「人間は敵に対して優位でありたいものですから、目をつけられるのは仕方のないことですよ。あぁ、そういえばあなたのボスも同じ考え方のようですね」
「………」
「ジャスティアンで新型の覚醒剤が流行り始めたのは一年前……それも取り扱ってるのは、あなたの組織だけ。あなたのボスは大喜びでしょうね。全盛期と言われた時以上の収益が見込めるのですから……」
「………」
男の額からは冷や汗がにじんでいる。
「どう思うでしょうね?あなたがその……莫大な収益をもたらす物と一緒に消えてしまったら……あなたのボスは酷い人ですね、ご家族のすぐ後ろの見張りを置くとは。部下の事も信頼していないと見える」
男は目線を足元に落とした。
「あなたは今すぐに家族の顔を拝みたくて仕方ないでしょう。しかし、残念ながらあなたは今の雲の上にいる。鳥がどれだけ自由なのか、今まさに思い知ったというところでしょうなぁ」
「あんたは…!」
男が顔を下に向けたまま、すがるように声を発した。
「何をしてくれるんだ…?代わりに…俺は何をすれば良い?!」
「……俺たちは、あなたの荷物を代わりに運んでやることが出来る」
「本当かっ?!」
「ついでにあなたのボスにも渡してきてやるよ」
「……それで……俺は何をすれば」
そう問いかける男に分厚い封筒が突き出される。
「んっ」
「え……?」
戸惑いながら封筒を開けた男が目にしたのは札束だった。
「えっ……?」
「これで、ボスから逃げるも良し。留まるも良し。あんたの好きにしな」
「………あ、ありがとう……」
男は戸惑いながら礼を言う。
「で?あなたの荷物はなんだ?」
「あぁ……緑色のアタッシュケースだ。割れ物注意のシールが貼ってある」
「そうか……ありがとよ」
「こ、こちらこそ…」
気弱だねぇ……。
「ちょいとごめんよ」
そう言うと、俺はトイレの貯水槽に手をかける。
「おう……」
男が驚きの混じった声を発す。
「あんた、マフィアに向いてないよ。もっとましな仕事探しな」
俺はそう言うと貯水槽の上に立った。
個室トイレを仕切る壁をまたいで、隣の個室トイレの貯水槽に足を置く。
(余計な節介しちまったぜ。まったく、悪い癖だな)
たっ。
両足を床に付けると、ネックウォーマーの翻訳音波装置のスイッチを切ると同時に耳に手をやった。
「聞こえるか?」
通信機の向こう側にいる貨物室の相棒に声をかける。
「…おう、わかったか?」
「緑色のアタッシュケースだ。割れ物注意のシールが貼ってある」
トイレの手洗い場で手を洗いながら荷物の特徴を伝える。
手は汚れていないが、トイレから出てきて手を洗わないのは怪しまれる。今のご時世、ほんの少しのことで足が付くのだ。
「……緑だけでいくつもあらぁ。一個一個確認するしかねぇかぁ?だいぶかかるぜ」
「仕方ないだろ」
「はいはい、お前が安請け合いしなけりゃこんなことには……」
確かに、自分達には朝飯前の仕事かもしれない。だが……。
「逆に考えろ」
「逆?」
「博士は俺たちのことを大事に思ってる。捨て駒にはしたくないはずだ」
「けっ、だから危険がない仕事を回してきやがったのか?親の心子知らずだぜ?」
「どっちかっつぅと、俺らが子供だろ。逆だ逆」
「おめぇ、あんなやつのこと親だと思ってんのか?」
「まさか」
「だよな」
「けど……」
「けど?」
「保護者であることには変わりないぜ」
「……保護ぉ……?支配者の間違いだろ」
「いや、そうは思わん。博士は俺たちに愛着がある」
「だからどうした。奴は俺らをモルモットにして、人工世界に無理矢理いれて、いまや、俺たちを奴隷にしてる!それなのにお前は俺たちの事思ってくれてると思ってんのかよ?!」
相棒は吐き捨てるように、荒い言葉を吐いた。
「まぁな。少なくとも大切にしてくれてると思う」
「お前は“愛”とかわからないからそう思うんだ」
「愛とかそういうものはない。少なくとも博士にとって貴重であるとは思うよ」
「けっ、なんだってんだよ。人の人生を弄びやがって」
「仕方ないさ」
「仕方ねぇだと?」
「俺とお前は……モルモットなんだ。人間には戻れないさ。物理的にも、生物学的にもな」
「せいぶつがくてきぃ?」
「シュトゥーア……お前自分の体にいくつ薬品注射されたら覚えてるか?」
「いんや」
「俺もだ……その中に遺伝子改変の代物があったらどうする?」
「……遺伝子ってのは……親からもらえるやつだよな?」
「あぁ」
「それが変えられちまうと…………どうなんだ?」
「つまるところ純粋な人間じゃなくなる」全部ってことか
「え」
「俺はまだしも、お前は物心つく前から実験を受けてたんだろ。なら、そういうこともあり得る」
「う~ん……」
シュトゥーアが唸る。
「自分じゃ気づくことも、元に戻ることも出来ねぇ…俺が言いたいのはな、生かすも殺すも博士の自由って事だ。俺たち四人の命は博士が握ってるんだよ」
「……じゃあ、俺たちゃあいつのために生きて、あいつのために死ぬとかそういうことを抜きにしても、結局、あいつが俺らの事全部握ってるのか……」
「今だって、博士の言った通りに物持ってこれなきゃ博士のところに帰れないぜ」
「そっちの方がいいかも…」
「馬鹿」
シュトゥーアの言葉をバビロンは冷たく否定した。
「こんなところで、お前骨埋める気かよ?もしかしたら、家族がいるかも知れねぇんだぞ」
「お前はそうかも知れねぇけどよ…」
「お前にだっているかもな」
「えぇ……居んのか?俺は人工人間かも知れねぇんだぜ?」
「ならなんで、受精卵の時に遺伝子改変の薬品入れねぇんだよ」
「え…あ、そうか。そっちの方が効率良いもんな」
「意図的にそうしたかも知れねぇけどな」
「ヴゥゥ……変な期待させんなよ……」
廊下を歩きながら相棒と通話をするバビロンは、ふと右に目をやる。
右にある窓からは緑の丸印がたくさん見えた。
荒野にトラクターで無理矢理作った農園は素人目にはナスカの地上絵と同じくらいの衝撃がある。
ここで収穫される農作物がこの国の国民のみならず、遠い異国の国民の口にも入るらしい。
まさに、世界の穀物庫だ。
だが、その穀物を作るのにどれだけの農薬がいるのか誰か考えたことがあるのだろうか。
バビロンは鼻をならした。
どうせ、覇権国家様には文句を言うやつもいなけりゃ、意見を言えるやつもいない。ただ、従うやつと他の覇権国家に従うやつがいるだけだ。
「……あぁ?」
シュトゥーアが気に入らんと言わんばかりに変な声を出す。
「どうした?」
「警備員が入ってきやがった」
「監視カメラを見てた警備員は寝かせたんだろ?」
「あぁ、今頃おねんねしてるはずだぜ」
「なら、寝てるやつを起こしに来たやつがいたんだろ」
「ちっ、だから、殺した方が良いって言ったのに」
「なら、死体が見つかるだけだ。それに、血を流さずにどうやって殺すんだ?」
「あそっか、結局無理か」
「大丈夫そうか?」
「殺れる殺れる、安心せぇや任せとけぇ」
貨物室に突入した警備員が二手に別れ、壁沿いに列を成して進んでくる。
その一手の一番前の警備員の頭に両手が迫る。
一瞬の内に視界を塞がれ、背中に誰かの胸板が当たる。
警備員は右の肘で肘鉄砲を食らわすが、その時には首を太い右腕が迫り、体は宙に浮いていた。
「武器を捨てろぉ……さもなきゃこいつ殺るぞぉ……」
男の声が静かな貨物室を人質事件の最前線に変える。
後ろの警備員達が男の指示に従い、左手を挙げながらスタンガンを握った右手を下ろす。
だが。
「……ヴェェイ…カース ボライ(わかった……落ち着け)」
「へぇぇい?かーすぅぼらん?」
「ヤー シャン ウェスウォック(お前は逃げられない)」
「ゆーきゃん?えす……こっく?」
「レッサァ ォブァイッド(そいつを離せ)」
「れっつぅぁ……ごぉ、おぶいっと?」
「メルボス……アイドラン ゴベェレッチ イドレェラン?(もしかして………ローラン語が分からないのか?)」
「あぁぁ、ゆーきゃんすぴーんきんぐぅ……ぐぅ………ぐぅ……じゃあぁぁぁ………ぱんぐぅぅう?」
俺はなんとか捻り出した英語で意思疏通を図る。
「アァ……バッツドォ クレーツ(あぁ……こっちが気を引く)」
警備員が俺と目を合わせながら会話してくる。
「ゆーきゃんと!すぴーきんぐぅ……ぐぅ……じゃあぁぱんぐぅ!」
「ノトレェ ジントラル ゼトロォ ガンダロアァ(そっちに気づいてない。怯ませろ)」
ん?こいつら英語わかんねぇのか?
「あぁぁ……っ、だからぁ、ゆーきゃん……ぐあぁっ!」
右の脇腹から電流が走る。
と、同時に人質にしていた警備員が俺の腕を払うと右から警備員が飛びかかってきた。
(こんの野郎ぉ!なめてんじゃねぇ!)
払われた右腕を勢いそのまま後ろに引いて前に突き出す。
警備員の鼻にまともに俺の拳が入る。
ドォッ!
警備員は衝撃で後ろの同僚達にぶつかりながら倒れる。
ビリリリッ……
(なんだこりゃあ、ビリビリ言いやがって。体が強ばりやがるのはこいつのせいか)
電流を流す針金みたいなものが俺の動きを鈍くしているようだ。
「お……らあっ!」
強ばり、上手く動かない右手で無理矢理針金みたいなものをつかんで剥がす。
良くもやってくれたな、お返しだ。
俺は剥がしたものを放り投げると、警備員達に襲いかかった。
まずは目の前の人質にしてたやつ。
ビリビリさせるやつを力任せに剥がしたのが以外だったのか、呆気にとられたような顔をしていたが、すぐに銃口を俺に向ける。
(当たるかよぉ……)
俺は体制を低くし、一気にやつのあごに左の拳を突き上げる。
ドッ!
警備員の足が床から離れ、体が宙を舞った。
ドサァッ!
警備員が頭から床に落ちる。あごを殴られ、後頭部から衝撃を受けた警備員は眉一つ動かさない。
良い感じに気絶させられたのだろう。
よし、次だ。
俺は次の獲物に狙いを定める。
気絶したやつの後ろにいた中年くらいの警備員に手を伸ばしたその時だった。
ビリリッ、ビリリッ、ビリリッ……
俺の体のあちこちにさっきの針金みたいなのが張り付いた。
どうやら、警備員達が銃で撃ってきてるらしい。体の震えが収まらない。
こぉ……のぉ………。
俺はどうにか警備員達に近づこうと足を動かすが、震えが止まらず、まともに動かない。
やっとのことで一歩、一歩と前に進むも、警備員達は銃を向けながら一定の距離をとり、一向に近づくことができない。
しかも。
ビリリッ……、ビリリッ、ビリリッ……
警備員達が次から次へと針金を俺に撃ち込んできた。
体の震えが強くなり、体が言うことを聞かなくなるっていく。
ぐぅぅぅ………
俺は獣のような唸り声をあげた。
こんな連中に……やられてたまるかぁ……
沸々と湧いてくる憎悪とは裏腹に立っているだけで精一杯で足を踏み出すこともできなくなった自分に怒りが湧いた。
くっそぉ……てめぇらぜってぇ……殺すぅぅ!
「ああああああああぁぁぁぁぁ!!」
俺は雄叫びをあげて、半ば倒れるように警備員達に向かって駆け出した。
通信機から聞こえてくる騒音が、何が起きているのかバビロンに伝える。
(手こずってんのかよ。ちくしょう)
付近に怪しまれないよう、足早に貨物室へと向かう俺の前に警備員の姿が見えた。
大人数で一列になって倉庫へと向かっていく。
あれだけの数を相手どることはシュトゥーアに簡単なことであるだろう。
だが、問題はそこではない。
「ここは空の孤島だ。騒ぎが大きくなりゃ大きくなるほど不味い」
飛行船は飛行機のように給油せずとも、ガスが有る限り空中にとどまることが出来る。
飛行船内の警備員だけでなく、空港警察まで出張ってくる程の大騒ぎとなってしまえば袋の鼠だ。
なにもかもご破算。一生鉄格子の別荘で暮らすことになる。
(どうしたもんかなぁ……)
「おい、大丈夫か?警備員の群れがそっち行ったぞ」
通信機の向こう側の相棒が答えた。
「体が言うこと聞かなくねぇ!電気が流れてきやがる……!おらあっ!」
バァーン!
何がぶつかる音を通信機が拾う。
「なんとかなりそうか?」
「……なめんなっ………!おらっ!やってやるぜ!こんな連中屁でもねぇ!」
バァン!ド…!ド!ジャァン!
恐らく、相棒が暴れる音と、何かがぶつかり合う音を背景に余裕のありそうな声が聞こえる。
「わかった………あんまり無茶するなよ」
「やるだけやったよぉ………!ごらっ!おいっ!撃つことしか出来ねぇんかおらぁ!かかってこいやぁ!」
ドォン!ガシャァ……!
乱闘の音を最後に俺は通信を切る。
………さてと、俺は………。
回れ右をして、客室に足を向けようとした俺の視界の端に、捉えたものがつかの間、俺の心臓の鼓動を止めた。
黒いジャケットから覗く紺のネクタイに白いワイシャツ。
温度を感じさせない淡々とした声、飾り気の無い黒髪、端正な顔に茶色い瞳。
外見だけで忘れることの出来ない経験が脳裏に蘇ってくる。
(黒川…………まさかここでまたとはな)
飛行船の通路は基本的に前と後ろを繋ぐ一本の通路を中心に、木の幹から枝を生やす要領で作られる。
この構造を上から見たら、亀の甲羅にあるのように見えるかもしれない。亀の甲羅の溝のようなものが通路、それ以外の所が客室や食堂などと捉えることも出来るだろう。
この中で客室に置いていくことの出来ない程大きいものや、預けたいものは貨物室に保管される。
貨物室は船尾に位置する。扉から出ることが出来ないのなら、最終手段ではあるが、着陸後に荷物を外に出すためのハッチから出るしかない。
もちろん、パラシュート無しでは自殺と同じだが。
黒川が警備員に加勢すれば、シュトゥーアも危うい。もしもの時は、ハッチから出ることも考えねばならないだろう。
(今ここで足止めする……か?いや、まだブツが見つかってない。手ぶらでは降りれん)
黒川はどうやら警備員に状況を聞いているようだ。恐らく、警備員に加勢して、貨物室へ向かうはずだ。
「シュトゥーア、ブツは見つかったか?」
「今それどころじゃっ、利かねぇよ!おらっ!」
乱闘する音と同時にされた報告は、俺にとって想定内だ。
「シュトゥーア、一分以内にそこにいる警備員全員倒して、貨物室の扉をロックできるか?!」
「あぁ………?!やったるよ、やったるやったる!おらっ!」
バァン!ダダダダダダダダ!
衝撃音と床を力強く叩く音が聞こえる。
「俺はその間パラシュートを持ってくる。それまでに警備員を倒すんだ」
「………わあったよ!………後四人!うぁぁぁっ!おらっおらっ………!後三人!」
シュトゥーアの痛がる声と殴り付ける音が聞こえる。
増援が来るまでにやってくれ。
俺は一気に客室に向かって走り出す。
人目など気にするものか。
「………おらっ!後一人!」
恐らく、飛び蹴りを放ったのだろう。打撃音と倒れ込む音が聞こえる。
いいぞ、間に合え!
俺は十字路を右に回ると、手近にあったドアノブを引いた。
「……悪あがきはおしめぇだぁ!」
バァン!
なにかを叩きつける音が聞こえて、俺は勝利宣言をする。
「やったぜ!勝ったぞ!全滅だ」
「今すぐ扉を閉めろ!増援が向かってる」
ズゥ………ガン!ガチャ
バビロンが言い終わらないうちに、俺は扉を閉めてロックする。
「閉めたぜ、つかえ棒もしとくか?」
「やっとけ」
「へいへい」
ガタッ……ガン!
「……つかえ棒もした、で、緑だっけ?」
俺は獲物の特徴を確かめる。
何かをしてる時に、他の事をしてしまうと今まで何をしていたか記憶が曖昧になってしまう。
もし、間違えていたら、時間も俺とバビロンの命も水の泡だ。一度の失敗がたちまち命取りになる事があるのだ。
「緑のアタッシュケースだ、割れ物注意のシールが貼ってある」
「了解、なんでこんな目立つのにしたんだろうな」
「…………ま、ちゃんと届ける様にってことだろうな」
「見失わないってことか?例え運び屋が持ち逃げしたとしても」
「恐らくは、な」
「ふーん、尻尾は信用置けねぇか。分かるけど分かりたくねぇな」
「俺たちもそうだものな」
「…………」
俺は黙りこくった。
分かっていることを、改めて再認識するのが嫌だった。どうにもならない事をどうにかしようとしたくて、なんとかなると思ってどうにか生きていると言うのに。どうにか己を保っていると言うのに。
どうしようもない事だってのは、分かってるんだ。
「そうだ、パレットであったやつのこと覚えてるか?」
バビロンは話題を変えた。
「黒川って言う探偵の助手」
(探偵……あぁ、そういやいたな)
「………特徴は?」
「黒いジャケットに、黒髪。端正な顔に……」
「覚えてねぇぜ」
「思い出せよ、何発か撃たれなかったか?」
「なんだ、それを最初に言えよ。心臓に二発風穴開けやがったやつのことか?それとも右腕の神経切りやがったやつか?」
「たぶん、心臓を撃ったやつだ」
俺は苦々しい思い出が甦ってきて舌打ちをした。
「澄ました顔して、冷静に撃ってきやがって………こっちは壁ぶち抜いてミンチにしてやるってのに………」
「そいつがここにいる」
俺は沈黙した。
「…………そいつぁ……不味いな……うん」
「今…警備員と一緒にそっちに向かってる」
「ど、どうすりゃ良い?」
「入っては来れないようにしただろ?一秒でも早くブツを見つけろ」
「分かった、分かった。で、お前はどうする?」
「俺か?俺はさっき、パラシュートを手に入れた。お前にも後で届ける」
「泥棒!不届き者よ!警備員を呼んで!」
後ろから女の叫び声が聞こえる。
俺は顔をしかめた。
「黙らせろよ…警備員が増えちまう」
「すぐに消えるんだ、そこまでする必要はない」
「どうやってトンズラすんだ?ここからはもう出れねぇぞ?」
「落ち着けよ。良いか、奴が貨物室に入るには扉以外からは入れない。警備員達もだ。でも、扉にはお前がつかえ棒をして開かなくした。そうだろ」
「あぁ…」
「だから、奴らは扉を蹴破ろうとしてくるわけだ。だがそれには時間がかかる。奴らが蹴破るまでにブツを見つけられるくらいの時間はあるはずだ。だから、とにかく早いとこ見つけ出せ。話しはそこからだ」
(時間制限ありかよ、かったりぃ)
「あぁ…分かったよ……」
黒川と警備員達は貨物室に近づいている。
距離は20メートルも無いだろう。
時既に、貨物室の扉の前には警備員達が立ち往生を食らっていて、それに気づいた黒川は小走りになりながら「扉を破るしかない、スクラムを組め!」と命令を下した。
このままじゃ、予想よりも速く扉は破られそうだ。
どうする。
ドォン!
スクラムを組んだ警備員と黒川が扉に激しくぶつかる。
扉はたまらず真ん中からへこみ始める。
(くっそ、持たねぇ……一戦交えるしか………ねぇか!)
俺は、左脇のホルスターから拳銃を抜いた。
バァン!
スクラムを組んでいた警備員達の真横で細い硝煙が上がる。
乾いた銃声が、奴らの目をこちらへと向けさせた。
(こっちだ!)
バンバンバンバァン!
警備員達が反撃する間もなく、四発の弾丸が奴らの足元に着弾する。
警備員達が伏せたり、逃げ惑ったりしている中、黒川だけは冷静に拳銃を抜く。
(だろうな、予想通りだ)
バァン!
とっさにすぐ近くにあった左の扉を開けて部屋に飛び込むんだ俺に、扉を貫通した弾丸が背中を通りすぎていく。
そうすると俺は、即座に通路へ倒れ込みながら反撃する。
バァンバァン!
横に倒れた状態での射撃ではほぼ命中はしないだろう。黒川には。
「ぐぁっ!」
「あぁっ!」
黒川の近くにいた警備員二人に弾丸が命中し、悲鳴が上がった。
黒川が警備員の方へ視線を移す。
(今だ…)
俺は一気に駆け出して、幾つかの扉の前を素通りし横に出られる十字路まで足がちぎれるかと思う程の全速力でどうにかたどり着く。
飛行船の外縁部につながる通路の壁に背を預け、俺はへたり込んだ。激しい息切れが俺に己の実力を痛感させた。
(まだまだだ。俺も。これくらいがなんだってんだ)
やはりシュトゥーアの様に、体力が無尽蔵にあればと思ってしまう。
「応援を!負傷者が居ます!」
警備員達が無線で増援を要請している。
俺は懐から年期の入った折り畳み式シルクハットを出すと、通路からシルクハットのクラウン(帽子の山の部分)を少しだけ覗かせた。
すると、シルクハットの天(クラウンの頭頂部分)を貫いて山に大穴が作られる。
(さすが……)
撃ってきたのは黒川のガバメントだろう。
近距離戦で高威力を誇るそいつに体を抜かれた日にはお陀仏だ。
(さて、また飛び出すか?)
そう思って相手を伺う俺に相棒が朗報を届けた。
「見つかった!緑のアッタッシュ!」
「割れ物注意の……」
「シールがあるんだろ?」
ほっと胸をなで下ろしたい気分だが、そうもいかない。
「よくやった。で、さっきから騒がしいと思うが……」
「やりあってんのか?」
「あぁ」
「………んじゃあ、なんだ?ここのすぐ近くにいんのか?」
「あぁ、ちょうど扉の前にな」
「なら、話しは早い」
パンッ
シュトゥーアが左の手のひらと右の拳が音を立てたのだろう。シュトゥーアの癖みたいなものだ。
「よしっ、やったる!俺がやったるぜ!」
「まだ、待て」
「あぁん?」
「俺が良いって言ってからだ。俺がやつの注意を引く」
「んな知るか!パラシュートでずらかるんだろ?パラシュートは見つかったのか?」
「いや、まだだ。貨物室の扉が破られそうだったから……」
「俺の事はどうでも良い!それより、二人でずらかるために行動しろ!じゃなきゃ二人とも、この空飛ぶ棺桶でお陀仏だ!」
「分かったよ……でも、警備員もいるんだ」
「黒川がいるんだ、数のうちにも入らねぇよ」
「………分かった、俺が一発撃つ。そうしたら、一気にかかれ」
「アイアイサー」
残弾は一発。これが合図になる。問題は………その一発で何をするか。
(一瞬でどこを狙うか……それとも、狙わずにそこら辺撃つか………)
通路は黒川の射線が通っていて、まともに狙うことなんて出来ない。
当てずっぽうで撃っても良いが、どうせなら少しでも相手に出血を強いておけば、シュトゥーアが戦いやすくなるだろうし、攻撃されずにパラシュートを探す時間が増える。
すぅぅぅ………はぁぁぁ………。
俺は、深呼吸をして覚悟を決める。
横に寝そべり、拳銃を右手に、折り畳み式シルクハットを左手に持つと俺は、壁を蹴った。
スゥゥ。
それと同時にシルクハットを投げる。
バァン!
シルクハットを撃ったのだろう。
黒川のガバメントから硝煙が細く昇っている。が、そんな事はどうでもよかった。
黒川がシルクハットから俺へと狙いを変えようとした瞬間、俺の拳銃が火を吹いた。拳銃についているトグルロックが上がる。
バァン!
「あぁぁっ!」
黒川の隣でテイザー銃をこちらへ向けていた警備員の右肩が血潮を揚げる。
と、同時に凄まじい衝撃音と共に、貨物室の扉をぶち破り相棒の巨体が姿を現した。
黒川が銃口を相棒へ向けようとするがもう遅い。
パァァン!
黒川の顔面に、思い切り後ろへ引いたシュトゥーアの固い拳が突き出される。
ダアァァン!
黒川は壁に思い切り叩きつけられる。
「よお…久しぶりだなぁ、黒川ぁ……!」
壁にもたれ掛かっていた黒川に、シュトゥーアが追い討ちをかける。鋭い右ストレートが黒川の左頬に突き刺さる。
なんとかなったか。
「シュトゥーア、よくやった!」
「あぁ……たっぷりいたぶってやるぜ」
シュトゥーアはそう言うと、黒川の襟を掴み上げると右の拳を引いた。
ビリリリッ………。
その時、シュトゥー!!、
倒れていた警備員が最後の抵抗を試みたのだろう。
「くっそ!」
俺は、空になった弾倉を外し、新しいものを着けるとシュトゥーアを撃った警備員を照準に定めた。
「やめろ!」
それをシュトゥーアが制止する。
「こんなもん屁でもねぇっ!」
その刹那、警備員の頭をシュトゥーアの右足が蹴り飛ばす。
「寝てろぉ、俺はてめぇに用はねぇ」
シュトゥーアは血走った両眼を皿のようにしながら黒川に向き直った。
「シュトゥーア、行くぞ」
「こいつ殺してからでも良いだろ?」
シュトゥーアは拳を握る力を強めた。
「いや、もうこの世界からはおさらばだ。一刻も早く出るぞ」
バビロンは倉庫の奥へ足早に向かう。
「ちっ……命拾いしたな」
捨て台詞を吐いてシュトゥーアもそれに続いた。
「これか?引くタイプのレバーだな」
「あぁ、貸せ、ガキの力で開くかよ」
ハッチのレバーを引こうとするバビロンの手を払いのけ、シュトゥーアはレバーを片手で握る。
ガクッ
力任せに引いたレバーは少し悲鳴じみた音を出して倒れると同時にシュトゥーアがハッチを蹴り飛ばした。
バッ
開かれたハッチから冷たい空気が雪崩れ込んでくる。
「ひぃ、さみぃ」
「降りるぞ」
「こっからかぁ……」
シュトゥーアはハッチから頭を出して辺りを見渡した。
「あのプロペラに巻きこれねぇようにしねぇとな」
開かれたハッチの前には後ろ向きに大きなプロペラが轟音と共に回っている。あれに巻き込まれたら体が二つになるだけじゃ済まないだろう。
「一気に飛び降りて、地上がはっきりと見えてきたら、パラシュートを開け。分かったな」
「わあった。でさ、パラシュートのやり方教えてくれ」
「は?」
バビロンは開いた口が塞がらなかった。
「いや、だからさ、パラシュートやった事ねぇんだよ」
「お、おぉ……なら……二つ取る必要なかったじゃん………」
「あぁ……すまね」
(軽いんだよぉ、そんなんで済むかよぉ……)
バビロンは叫びたくなる気持ちを抑えて、極めて理性的な提案する。
「お前が出来ないなら、俺と一緒に飛べば良い」
「あぁん?二人で飛べんのか?」
「別に、二人でしょえば良いんだよ」
「なんだ、思ったより簡単だな」
「ほんとなら、二人専用のもあるんだろうが、仕方ねぇだろ、ほら早く手ぇ通せ」
バビロンが喋りながらしょったパラシュートのショルダーストラップに、シュトゥーアが腕を通す。
「よっと、てっあ、これじゃ歩けねぇぜ?タイミング合わせて足動かさねぇと」
シュトゥーアは自分の背中に隠れてしまったバビロンに言う。
「あぁ、そうだな。そうするぞ」
バビロンは頭に被ったシルクハットを折り畳んで背広の懐に入れる。
「じゃ、一で、右足。二で左な」
「オーケーオーライト!」
「じゃ、行くぞ、せーの」
「「いっち、に。いっち、に。いっち、に。いっちに。いっ!?」」
タイミング良く合わせて足を動かした二人は、最後の、にっ。で前にいるシュトゥーアが踏みしめた床を蹴り飛ばしてしまったため、二人の体が完全に宙に放り込まれる形となってしまった。
バビロンにしてみれば、前も見えない状況で一気に頭から急降下したのだ。
驚くのも無理は無い。
「何が起こったぁ~!」
「飛び降りたんだよ!」
「俺はまだ、飛ぶ段階じゃ……あ、お前が前に居たからお前が飛び降りる時に俺も一緒に飛び出しちまったのか!」
シュトゥーアから見れば、後一歩で飛び降りるのだ。最後の一歩は力強く床を蹴って飛び降りたいものである。
それは恐らく、大人になっても消えない好奇心であるのだからしょうがないだろう。
「何あたりめぇの事言ってんだ?」
「びびったんだよ!仕方ねぇだろ!いきなり頭からまっ逆さまだ!想像してみろ!」
「ていうか、今もそうだけどどうするの?!」
「慌てんな、サンタクロース!こういう時のパラシュートじゃい!地上ははっきり見えるか?!」
「んあぁ……見える!というか、一面緑だ!」
「あぁ?まぁ良いや!」
バサァァ……
パラシュートが開かれた。
どうにか助かったようだ。
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